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信貴山(2021/11/13-14参詣,写真は Nikon Z6 で撮影)
信貴山案内図
左:赤門から朝護孫子寺を望む。右:張子の大寅。
左:聖徳太子像。右:太子像近くの子連れ雌虎像。
左:成福院に至る参道。右:成福院手前の檻に入った虎像。
左:成福院前の檻に入った虎家族像。右:霊宝館。 左:朝護孫子寺本堂。右:本堂回廊。
朝護孫子寺本堂からの眺望。左:東方,奈良盆地方面。右:西方,玉蔵院。
玉蔵院宿坊から朝護孫子寺を望む。
左:玉蔵院における護摩祈祷。右:護摩祈祷後に朝護孫子寺から見た日の出。
鞍馬山(2021/11/15参詣,写真は Nikon Z6 で撮影) 鞍馬山案内図
左:鞍馬寺山門。右:山門手前「鞍馬山修養道場」前の台杉。
鞍馬山参道で見た珍しい岩石。左:石英閃緑岩(鞍馬石)。右:褶曲した砂岩泥岩互層。 左:鞍馬山鞍馬寺本殿金堂。右: 香炉。
鞍馬寺本堂を守る虎像。左:向って左。中:向って右。右:側面。
左:鞍馬寺からの眺望。右:下山道途中にある由岐神社。
由岐神社の大杉。
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左:歌川國貞,「江戸名所百人美女-小石川牛天神(1857)」の挿絵,東京都立図書館. https://ja.ukiyo-e.org/image/metro/025-C001-035 より複寫。 右:源賴朝が夢に見たと傳はる牛石 (2020.07.27. 愚生撮影). 小石川,北野神社牛天神,社殿を守る一對の牛像 (2020.07.27. 愚生撮影). 由緒[北野神社牛天神境内掲示抄]:壽永三年(1184)春,右大將源賴朝卿東國追討の折,此處の入江の松に船を繋ぎ和波を待つ間,夢に菅原道眞公神牛に乘りて現はれ,賴朝卿に二つの幸あらんと告ぐ。賴朝卿夢覺めて傍を見れば,一岩石ありて夢に見し菅神の牛に似たり。果して同年秋賴家卿誕生あり,翌年平家の追放,國の鎭定なる。而して此處に天滿宮を勸請,御神領等を寄進す。時に元暦元年(1185)なり。 左: 牛天神社前景。 右: 御由緒書板。 左: 御神木。木斛,樹齢100年超。 右:中島歌子の歌碑。 "雪中竹,ゆきのうちに根ざしかためて若竹の 生ひ出むとしの光をぞ思ふ "。 道灌時代(15世紀中頃)の江戸湊。国立公文書館企画展「太田道灌と江戸」資料(http://kdx220k.blogspot.com/2018/02/)を参照して,CorelDRAW上で作図。 當時は徳川幕府開府以來埋立てが行われた現在より入江が深く,牛天神の辺りまで舟の遡行が可能であったことが分る。
斎藤月岑(著)『江戸名所圖會』第四巻,1836(天保7)刊-牛天神社・牛石・諏訪神社。https://jinjamemo.com/archives/ushitenjinkitanojinja.html より複寫。 右圖の表門石段は取壊されて,今は左圖の「裏門」から上る。現在山上境内にある「牛石」は,元は「裏門」左手(左圖の左端)にあった。 境内には楊弓小屋もあった。参道裏手には遊郭もあった。 歌川國貞,「江戸名所百人美女-小石川牛天神(1857)」全圖,東京都立図書館。https://ja.ukiyo-e.org/image/metro/025-C001-035 より複寫。
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(1) 大豊神社末社「大國社」(京都市左京区鹿ケ谷宮ノ前町)社殿前前景, (2) および (3) 鼠像,2018年10月10日撮影;
(1)
正住山福相寺(東京都杉並区堀ノ内)山門,
2019年2月13日,筆者撮影。
(2) 本堂前鼠像, 密教の大黑天(ダイコクテン),ヒンヅー神シヴァの化身たる暗黑の神摩訶迦羅(マハーカーラ)に由来す。大國(オオクニ)の字音,大黑に通ずるが故に兩神習合せしと云ふ。當山の鼠,大黑天(或ひは大國主命)に代って米俵上に座す。米三俵,人ひとり一年分の食扶持ならむ。
(1) 正住山福相寺の願満大黑天(非公開)。複写元:http://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/031/586/75.pdf; (2) 横浜戸部杉山神社の大國主命像,三つの米俵の上に座してゐる。俳優 黒沢年雄氏奉納。2019年2月7日 撮影。
詳細は本ホームページの以下の項を参照: |
左:山口素岳筆:醍醐寺三宝院障壁画, 秋草臥猪圖(一面), 江戸時代後期, 1830s (同寺ホームページより複写)。
右:森一凰(1798-1872)筆:猪圖, 絹本着色双幅, 各99.4x36.0cm,(財)永青文庫蔵。安村 敏信(著)江戸の十二支どうぶつえん, 東京美術 2014。本圖は2007年切手趣味週間記念切手に採用された。
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北關東諸地區の六世紀の塚から出土せし犬 (中央) 及び様々なアイテムの埴輪。 東京国立博物館平成館にて觀賞, 古代人の暮しと工藝に想ひを馳せ候 (2017/11/08 撮影)。 |
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パートリッヂ・コーチン, 秋篠宮紀子妃殿下筆 。 秋篠宮紀子妃殿下が夫君・秋篠宮文仁親王殿下の御著書の爲にお描き遊ばされた細密畫。秋篠宮文仁殿下ほか著,『欧州家禽図鑑』, 平凡社,東京1994, 附録繪葉書より複寫。秋篠宮文仁親王殿下のニワトリの起源に關する分子系統學的研究 (博士論文 1996) に依れば, 全ての家禽の原種は嘗てチャールス・ダーウィンが唱へた通り東南アジア北部に分布する赤色野鶏 (Gallus gallus) 一種のみであり,家禽化の過程には突然變異よりも人間の手による交配が強く與った由。 |
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ゴリラ (雌),アルフレッド・ラッセル・ウォーレスの書,挿絵
Alfred Russel Wallace, The Malay Archipelago: The land of the bird of
paradise, A narrative of travel, with studies of man and nature,
Macmillan and Co., London 1869
より複寫。
アルフレッド・ラッセル・ウォーレス
1869年ロンドン刊の自著『マレー諸島:オランウータン及び極樂鳥の地』冒頭に,「『種の起源』の著者たるチャールス・ダーウィンへ,個人的尊敬と友情の徴としてのみならず彼の才能と仕事への深い驚嘆を表して本書を捧ぐ。」と記せり。彼等ホモサピエンス遠き未來に如何なる種に進化せんと説き給ひしや。 |
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ペルシャ・ペルセポリス, アパダナ宮殿階段壁浮彫, 蒟羊 (キヨウ) 献上の圖. 畫像元:https://www.flickr.com/photos/48028519@N05/14288410559 牧羊の権輿メソポタミアにやありけむ。舊約聖書創世記第四章に云ふ。[第一節] アダム其妻エバを知る。彼女孕(はら)みてカインを生みて言ひけるは, 我エホバによりて一個(ひとり)の人を得たりと。 [第二節] 彼女また其弟アベルを生めり。アベルは羊を牧(か)ふ者, カインは土を耕す者なりき。(愚生註) |
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「プランバナン・モチーフ」の野兎 中部ジャワ・プランバナン遺跡シヴァ寺院基壇外壁を飾る所謂「プランバナン・モチーフ」の一つ。カヨン (生命の木) と一對の鳥のデザインは共通するが, 動物は野兎のほか, キナラ・キナリ (人面鳥), 鵞鳥, 緬羊, 鹿など様々である (2015年2月撮影)。 |
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バリ虎, Panthera tigris balica (剥製) ボゴール動物學博物館蔵, 2007年10月許可を得て撮影。世界で知られる8亞種の虎の中で最も小型で, 尾を含む體長, 雄約2.2m, 雌約2.0m。1937年に絶滅したとされる。現存する標本少なく, 他には敷貼の毛皮や頭蓋骨が大英博物館などにあるのみ。インドネシア固有の他の2亞種の内, ジャワ虎は1970年代に絶滅したとみられたが, 其後も目撃情報度々あり, 2009年にも子連れの雌を見たとの東ジャワの村人の報告があった。スマトラ虎は, 動物園で飼育されてゐるものの他に, 保護区に數百頭生存すると推定されてゐる。 |
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インドネシア西ジャワ州ボゴール熱帯植物園内にあるナンディ (シヴア神の乘物とされる牡牛) 及びヴィシュヌ神の石像, 並びに古スンダ文字の刻まれた石碑 (2006年9月撮影)。 19世紀に言語學者フリードリヒ博士或ひは初代園長ラインワルト博士が4km郊外のコタ・バトゥで見つかった2體をここに運んで碑を設へたと傅へられますが, 碑文の意は「遠からぬ處に池あり」といった他愛のないもので, 詳しい由来は不明です。私見乍ら石像はヒンヅー教を奉ずるパジャジャラン王國の都パクアンがこの邊にあった時代 (1482-1579) のもの, 石碑は2人の博士或ひはその何れかが遊び心で作ったものと想像されます。(2006年9月撮影)。 |
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ロンドン自然史博物館南面門柱を飾る15枚のパネルの1枚(原圖)。黒鼠(英名:Black Rats, ラテン名:Mus rattus)。 ヴィクトリア朝華やかなりし 1881年に完成したアルフレッド・ウォーターハウスの設計になる該博物館の建物には, 内外隨所に動植物を象った夥しい數のテラコッタ製の浮彫や彫像があしらはれてゐます。Colin Cunningham, The terracotta designs of Alfred Waterhouse, Wiley-Academy, Chichester 2001。 |
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アルタミラ洞窟彩色天井の野生猪の圖 Early Style IV, 12,000-14,000 BC, 原書寸法63インチ。 猪の描かれた洞窟は,アルタミラのみと言はれてゐる。 Andre Leroi-Gourhan (Author), Norbert Guterman (Transl.), Treasures in Prehistoric Art, Harry N. Abrams, New York 1967より複寫。 |
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Foo Dogs (福太) 守護獅子對) 象牙, 高12.5, 幅6.5, 奥行6.0 (cm)。乾隆帝(1735-1795)初期。複寫元: http://www.buddhamuseum.com |
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伊藤若冲筆「老松白鷄圖 (1776)」。 皇室所蔵。 狩野博幸(著)『目をみはる伊藤若冲の動植綵絵』, アートセレクション, 2000 より複寫。 |
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猿圖, 傳毛松筆(東京國立博物館蔵)。 13世紀南宋, 傅毛松の作。武田信玄より曼殊院覺如に寄進されたと傅へられる。今上天皇の「この猿は日本猿である」との御指摘に對し,「目本の猿を南宋に送って作を依頼したもの」といふ妙な説明を美術史学の権威が奉ったとの曰くあり(徳川義宣著「迷惑仕り候-美術館長みてある記」淡交社1988)。東京國立博物館名品ギャラリーより再録。 |
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圓山應擧「十一支圖」のうち。 |