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クリスマスカードの写真および関連写真

 

 

  

2021 築地外國租界発祥の教會およびミッションスクール

(写真は201年11月5日,7日の何れかに撮影。カメラは,Nikon Z6 または Pentax K-3iii。)

   

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明石町エリアの地図(2021年11月,Google map を基に作成,Xmas Caed 2021 に載せたものより広範囲をカバー)。

   

   

左:築地駅付近から聖路加病院の尖塔を望む。中:聖路加通り。右:木立を通して見えた聖路加国際病院。

   

 

左:聖路加国際病院正面。右:正面ドアを入った廊下:聖画,聖彫刻が飾られている。

   

 

左:病院創立者・ルドルフ・ボリング・トイスラー博士記念碑。右:トイスラー博士住居(記念館になっている)。

  

 

左:病院敷地内,アメリカ公使館があったことを示す碑。聖路加ガーデンタワー南隅,ここにもアメリカ公使館があったことを示す碑。

  

 

 

居留地通りに面した聖路加礼拝堂入口:同礼拝堂の大部分は右の聖路加国際病院ビルに包含されている。遠方に聖路加ガーデンタワー。

 

   

左:築地カトリック教会。右:聖マリアの徴をあしらった正面の妻。

 

     

左から,ホール入口脇に立つ聖ヨーゼフ像,ホール内部,ホール内の聖ヨハネスと聖マリアの像。
  

   

左:聖堂内展示室,教会の歴史を示すパネル。中:教会前庭にあるジーサス・マリー・ヨーゼフと名付けられた大きな銅製のベル。右:フランス・レーヌで1876年に鑄造されたことを記したパネル。

  

  

左:築地カトリック教会付設,聖コロンバン会。同会外壁龕の聖マリア像。

  

明石町に由来する学校のリスト。全て関東大震災(1923)のあと,市内西北の丘陵に移転した。以下にい幾つかの記念碑の写真を示す。

   

    

左:暁星学園碑。中:立教女學院碑。右:女子學院碑。

 

 

左:慶應義塾(中津藩内私塾)。右:シーボルト博士(Dr. Philipp Franz Balthasar von Siebold,オランダ東印度会社派遣医師)の胸像。

  

   

明石町鳥瞰写真。左:2011年11月7日,聖路加ガーデンタワー32Fのブリッジから撮影。右:1958年の航空写真(京橋図書館資料より複写)。左: 聖路加ガーデンタワー2棟を繋ぐ32F回廊からの現在の眺め(7 Nov. 2021,Nikon Z6 にて撮影),右: 1958年の眺め(京橋圖書館アーカイヴから複寫)。1: 聖路加国際病院(舊館), 2: 聖路加国際病院(新館), 3: 築地カトリック教會, 4: 明石町小學校, 5: あかつき公園, (5): 築地川。

 

  

   

2020 芥川龍之介の切支丹小説 (2) - “神々の微笑”

   

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(1) (3)

(2)

南蠻船入津圖屏風(六曲二双),1620-1625,(1): AK-RAK-1968-1-A, (2): AK-RAK-1968-1-B, (3): 2の部分拡大。作者不明(Rijksmuseum 蔵)。 https://www.rijksmuseum.nl/ より複写。

   

1 2 3 4

1:南蠻寺の鐘,妙心寺春光院藏 (https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda より複写)。

2:南蛮寺址,京都市中京区蛸薬師通室町西入北側 (Wikipedia より複写)。

3:オルガンチノの肖像と目されるスケッチ。エヴォラ屏風の下張りより発見されたもの (松田 毅一 (著),『南蛮史料の発見―よみがえる信長時代』, 中公新書,1964 より複写)。

4:安土(Anzucci)のセミナリオ (Marco Antonio Ciappi, “Compendio Delle Heroiche Et Gloriose Attioni Et Santa Vita di Papa Greg. XIII, 1596 – BooksGoogle より複写)。

  

『天岩戸傳説錦繪』,三代豊国筆 1856。國學院大學神道文化学部蔵。

https://www.kokugakuin.ac.jp/article/130732 より複寫。

   

 『岩戸神樂ノ起顯』,春齋年昌筆 1887。Wikipedia

  

『天の岩戸』,河鍋曉翠筆,絹本着色,明治10年代(?)。https://ultrabigfight.blog.fc2.com/blog-entry-58.html より複寫。

  

オディッセウス,裏切者を射るの圖。

https://catherinecarby.com/schedule/2018/1/16/monteverdi-the-return-of-ulysses より複寫。

  

百合若大臣,歌川國芳「木曾街道六十九次の十」,ボストン美術館,ビゲロー・コレクション所蔵。
(特に九州地域の海の傳説である百合若が内陸の深谷に因縁づけられたかは不明)
https://catherinecarby.com/schedule/2018/1/16/monteverdi-the-return-of-ulysses Odysseus shooting the suitors より複寫。

  

聖アントニウスの苦難,c.1487–88,ミケランジェロ作と判定された。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Torment_of_Saint_Anthony より複寫。

  

聖アントニウスと聖パウロの邂逅(背景にケンタウルス),c.1430-35 by Master of the Osservanza.
https://www.nga.gov/collection/art-object-page.436.html より複寫。

    

   

2019 芥川龍之介の切支丹小説

   

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芥川龍之介

(1)   (2)

(1) 芥川龍之介肖像: https://bookvilogger.com/akutagawaryunosuke

(2) 芥川龍之介が所有したマリア観音および聖書. : http://blog.livedoor.jp/sawarabiblog/archives/2007-10-07.html

 

聖マリーナ

(1) (2) (3)

(1) 炎に包まれた傘張の家から「ろおれんぞ」が赤子を抱いて現れた場面。吉村忠夫による挿絵。  複寫元: 芥川 龍之介,『 奉教人の死・邪宗門 』,旺文社文庫 1967

(2) Sancta Marina Virgo (おとめ聖マリーナ), 18世紀手彩色銅版グラヴュール. 複寫元:  http://antiquesanastasia.com/religion/references/other_saints/marina/general_info.html

(3) アレキサンドリアの隠修士聖マリーナ. Abraham Bloemaert An engraving に倣ったBoëtius Adamsz Bolswert に依る彫版16195 (139 × 90 mm). 複写元: https://www.rijksmuseum.nl/nl/collectie/RP-P-OB-26.714

 

ポリステナ大聖堂(イタリア)の絵画

(1) (2)

(1) マリノ婦人の修道院からの追放,(2)サンタ・マリナの死。Carmelo Zimatore , 20世紀初期。複: http://www.santamarinapolistena.com/la-santa/culto

 

(1) (2)  

(1)修道院からの追放,(2)サンタ・マリナの死。司祭館壁面を飾る A. Pagano による古い作品,1834。複写元:http://www.santamarinapolistena.com/la-santa/culto

 

St Christophorus

(1) (2) (3) (4)

(1) および (2) 「セント・クリストファー」および「セント・アンとヴァージン・メアリー」のステンドグラス,St Peter's London Docks Church,井口撮影,20174月。 (3) ウェストミンスター祈祷書詩編 (1250年頃)のセント・クリストファー (Wikipedia) (4) セント・クリストファーを描いた最古の木版画の一点。1423年頃のBuxheim(ドイツ)藏書の原稿。マンチェスター大学  John Rylands University Library(Wikipedia) St Peter's London Docks Church で見たステンドグラス(2)は本記事と無関係であるが,美しくあったので追加。セント・アンがヴァージン・メアリーに見せている巻物の文言は,イザヤ書第11章第一節 "ヱツサイの株より一つの芽いで その根より一つの枝はえて實をむすばん" の前半。

 

(1) (2) (3) (4)

(1) Saint Christopher, by Konrad Witz (c. 1435), バーゼル美術館 (Wikipedia).

(2) ヘルヴェティア(スイス)切手1969 https://myloview.de/fototapete-briefmarke-schweiz-1969-st-christophorus-basel-museum-nr-F23C0F

(3)ウィーン教区500年記念オーストリア切手,https://austria-forum.org/af/Wissenssammlungen/Briefmarken/1969/Di%C3%B6zese_Wien_-_Hl_Paulus

(4)リヒテンシュタイン公國切手 2004 https://www.stampmagazine.co.uk/forums/memberpostings.asp?c=112500&p=2

 

 

2018 ブリストルおよびロンドンのテンプル教會

   

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ブリストルのテンプル教會 (4 April 2017 by Pentax K-3ii),

 

 

左:194011月の獨逸空軍爆撃で破壊される以前のブリストルテンプル教會(インターネット上の古い繪葉書から複寫),  右:案内板 (4 April 2017 by Pentax K-3ii).

 

          

ロンドンのテンプル教會:前景;  内陣東側および西側のヴィユー;内陣東側および西側のステンドグラス (7 April 2017 by Pentax K-3ii).

 

       

ロンドンのテンプル教會前庭の柱上の2人の騎士の騎馬像;有名な法廷弁護士リチャードマルチン(1608没)の像 (7 April 2017 by Pentax K-3ii); 第3代ペンブローク伯爵ギルバート・マーシャルおよび無名の主教の人形 (公式案内書より複寫).  

 

このクリスマスカードを送ったオランダの友人からの返信のには「ロンドンのテンプル・コンプレックスについては,ジェーン・グラハムの一連の小説,Old Filth, The Man in the Wooden Hat および Last Friends の中で繰返し讀んだ」とありました。

 

また,イギリス・エセックス在住の友人は,「テンプル騎士は自分の子供の頃のヒーローであった。ここから程遠からぬところCressing Temple Barnsにテンプル騎士團最大の基地のひとつの遺蹟がある。」と書き送ってくれました。私は50年前(!)のコルチェスター滞在中に其處を訪ねる機會を逸しました。Simon Brighton, In Search  of  the  Knights Templar: A Guide to the Sites in Britain, Weidenfeld & Nicolson, 2006 の抜粋

 

イギリスのあるレイディは,「嘗て7年間ブリストルに在住したのでその教會をよく知ってゐる。正にその背後にある Temple Circus という名のビルで働いてました。」との返事を下さいました。

 

 

2017 フィンセント・ファン・ホッフの宗教画

   

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左: 『馬鈴薯を喰う人達』 1885 - ファイナル・ヴァージョン,ニュネン.O/C 82 cm x 114 cm.

Van Gogh Museum.  (ファースト・ヴァージョンも此の博物館に收藏,セカンド・ヴァージョンは.クレーラ―・ミュラー美術館に収蔵).

右: 『聖書のある静物』 October 1884-85.,O/C 65.7-78.5 cm. Nuenen.

Van Gogh Museum, Amsterdam. 村の牧師であった亡父遺品の聖書。傍らの小冊子はフィンセント所有のエミール・ゾラ著『生の歡び』.

  

 

左: 『ニュネンの改革派教會*去る群衆』 1885,O/C 41.5 x 32.2 cm,

Van Gogh Museum.  *) 原語=De Hervormde Kerk。日本で屡々「カルバン派教会」と譯されてゐるのは正確でない。

右: 2017年4月の同じ教會。井口撮影 (Pentax K-3ii/DA 18-270 mm F3.5-6.3)

  

『善きサマリア人』(ドラクロア作に倣ふ). O/C: 73-60 cm. Saint-Rémy, Early May 1890.

ルカ傳10-3 の挿話に因む。構圖はドラクロアの繪と左右逆になってゐる。

 

同じ挿話は數多の藝術家によって描かれた。下に4例を示す。

4

(1) Eugène Delacroix, 1849, O/C, 37 x 30 cm, private collection.

(2) Domenico Campagnola, c.1530s, Tempera on wood, Lowe Art Museum, University of Miami.

(3) Jan Wijnants,, 1670. Oil on canvas, The State Hermitage Museum, St. Petersburg, Russia.

(4) Sir Charles Lock Eastlake, 1850, Print.

  

『ラザロの蘇生』(レンブラント作に倣ふ). O/C 50-65 cm. Saint-Rémy, May 1890.

ヨハネ傳第11章の場面。Van Gogh Museum, Amsterdam。構圖はレンブラントの繪と左右逆になってをり,元繪にあったキリストは描かれてゐない。

  

同じ場面は數多の藝術家によって描かれた。下に5例を示す。

5

(1) Rembrandt, late 1620s or 1630-32, Oil on panel. 96.36 x 81.28 cm.. Los Angeles County Museum of Art

(2) Rembrandt, c.1632, Etching, Rijksmuseum.  

(3) Michelangelo Caravaggio, c. 1609, O/C, 380 x 275 cm, Museo Regionale, Messina.   

(4) Juan de Flandes ca. 1465 – 1519, Oil on panel, (110 × 84 cm, Museum Museo del Prado, Madrid 

(5) Geertgen tot Sint Jans 1460s, Oil and tempera on panel , 172 × 97 cm, Museum Musée du Louvre, Paris.

 

(關聯繪畫およびミケランジェロ彫刻

5

(1) Café Terrace at Night, 1888, O/C, 81.0 x 65.5 cm, Kröller-Müller Museum.

(2) Country road in Provence by night, 1890, O/C, 81.0 x 65.5 cm, Kröller-Müller Museum.

(3) Pietà by van Gogh (after Delacroix), 1889, O/C, 42.0 x 34.0 cm, Van Gogh Museum.

(4) Pietà by Eugène Delacroix, 1850, O/C, 35 × 27 cm, Vatican Museums.

(5) Pietà by Michelangelo (1475-1564) in St. Peter's Basilica, Vatican.

 

 

2016 カトリック藝術家・長谷川路可の作品

   

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イタリア,チヴィタヴェッキア「日本聖殉教者教會天井畫」(フレスコ) 1954

和装の聖母の左右に1548年に日本に最初にキリスト教を傳へたイエズス會士・聖フランシスコ・ザビエルとフランシスコ會の創始者であるアッシジの聖フランシスコが表されてゐる。祭壇両袖の天井には,右にチヴィタヴェッキアの庇護者であるサンタ・フェルミナ,左に此の都市を1615年に最初に訪れた日本人である支倉六右衞門常長*が描かれてゐる。(*)私のクリスマスカード2009に詳述(複寫元: 長谷川路可(著)『長谷川路可画文集』,求龍堂 1989)。

「細川グラシア」(日本畫) 1949

10回カトリック美術展出展。川崎市在住風巻隆氏の私信によれば,この作品は多分ヴァチカン法王廳ウルバニアーナ大學または別の關連施設に保管されてゐる(複寫元: 同上)。

[補遺] レディ・ガラシア,長谷川路可 1950s。

カラシア病院(大阪府箕面)のために描かれた作。同病院の好意により提供された繪葉書から複寫。

  

  

Fresco in the Sutokubyo, the Charnel of the Owari-Tokugawa Family, 1938

定光寺尾張徳川家納骨堂「崇徳廟」フレスコ壁畫, 1938

畫面左右に描かれた日光菩薩と月光菩薩と中央手前に置かれた北魏の石佛が佛三尊を形成してゐる。畫面中央には石佛を祝福するやうに天女が描かれてゐる (複寫元: 長谷川路可 (著)『長谷川路可画文集』,求龍堂 1989)。

  

A portrait of Yoshichika Tokugawa (Oil) 1936.

徳川義親像 (油絵) 1936

尾張徳川家の好意による。狩猟は義親公の最も好まれた趣味の一つであった。

  

 

2015 英国グロースター大聖堂のグレイト・イースト・ウィンドウ 

   

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The Great East Window of The Gloucester Cathedral, England (19/05/2014.). This windouw installed in 1350 AD was the largest one in the world, measuring 12 metre wide and 22 metre high.

英国グロースター大聖堂のグレイト・イースト・ウィンドウ (19/05/2014)

1350年に作られたこのウィンドウは幅 12 m,高さ 22 m あって,当時世界最大のものであった。 

  

このカードを受取った御一方は,彼女も同年8月に同じ大聖堂を訪れたが日曜禮拜と重なって内部に入れなかった,私の寫眞で見られて嬉しいと仰せられれました。別の御一方は,ウィンドウのクローズアップ寫眞または私の望遠レンズを褒めて呉れました。

  

The central panel in the third tier from the top in the window which depicted the characters in the Coronation of the Virgin, with enthroned Mary and Jesus in the middle flanked by four important apostles., St. Thomas and St. Peter on the left and St. Paul and St. John on the right (19/05/2014.)

ウィンドウ中央上から3段目のパネル。

戴冠したメアリーとイエスの両脇に4人の主要な使徒,左にセント・トーマスとセント・ピーター,右にセント・ポールとセント・ジョンが侍るように描かれている (19/05/2014.)

  

The front view of The Gloucester Cathedral with an entrance with the sculptures of six saints above the lintel (19/05/2014.). This cathedral was originally founded in 678-9 AD as an Anglo-Saxon religious house by Price Osric of Mercia and reconstructed in 1072 in the Romanesque style by Serio, a Norman monk, by the order of William the Conqueror.

グロースター大聖堂正面 (19/05/2014)

この大聖堂は西暦678-9年にマーシアのオスリック王子によってアングロサクソンの宗教施設として建てられ,西暦1072年に征服王ウィリアムの命を受けたノルマン僧セリオによってロマネスク様式でもって改築された。入口(南玄関)左右の柱にオスリック王子とセリオ修道院長の立像がある。

左: 南玄関楣上の6人の聖人像 (19/05/2014)

像の6人は(左から), 聖マシュー,聖マーク,聖ピーター,聖ポール,聖ルーク,聖ジョン。

中および右: 入口(南玄関)左右柱のオスリック王およびセリオ修道院長の像(Wikimedia より複写,カット)。

   

   

2014 ジョン・コンスターブル作 The Ascension (昇天, 1822

   

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The Ascension (1822) by John Constable (25/05/2014.). The best piece among three religious paintings painted by the Romantic painter. This painting, which had a somewhat chequered career from the very beginning, exists in the St. Mary’s Church, Dedham, Essex, England, since 2001 AD. (25/05/2014.).

ジョン・コンスターブル作 The Ascension (昇天,1822) (25/05/2014)

この浪漫派画家が描いた3点の宗教画の中の最高傑作。製作当初以来數奇な経歴を辿ったこの絵は,2001年以来,英国エセックス,デダムのセント・メアリー教会に存在する。 

  

このストーリーを讀んだイギリスの友人は,彼の細君は少女時代の1950年代,この絵が存在したマニングトゥリーの教会のコーラスで歌っていたと懐しんで呉れました。

  

ジョン・コンスターブル作 The Mill Stream  (水車水路, 1814+15)

英国エセックス,デダムの一風景。(画像元:http://www.john-constable.org/The-Mill-Stream,-1814-15.html)

  

he same scenery painted 200 years ago by John Constable in his The Mill Stream (. (25/05/2014.).). In Dedham, beautiful rural landscape and townscape with medieval houses are perfectly reserved.

ジョン・コンスターブルが 200年前 The Ascension に描いたのと同じ風景(25/05/2014)。

デダムでは中世の建物のある美しい田園風景や市街風景が完璧に保存されている。

  

 

2013 Xmas ワヤン・ワヒュー (黙示影絵芝居)

   

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 scene of Wayang Wahyu (Revelation shadow play) of the Saint Paul Story held in the Easter season in 2012 at Solo. (Image from: http://www.hidupkatolik.com/2012/04/18/solo-jawa-tengah-wayang-wahyu-paulus.

ワヤン・ワヒュー (黙示影絵芝居),セント・ポール物語の一場面。

2012年のイースターにソロで上演。(画像元:http://www.hidupkatolik.com/2012/04/18/solo-jawa-tengah-wayang-wahyu-paulus)

  

A set of Wayang Wahyu puppets owned by Pangudi Luhur Primary School, Suraka (Solo). (14/02/2012).

ヤン・ワヒュー (黙示影絵芝居) 用パペットのセット。

パングディ・ルフール小学校・スラカルタ (ソロ) 所有 (14/02/2012)

  

esus puppet for Wayang Wahyu (14/02/2012).

イエスを象ったワヤン・ワヒュー (黙示影絵芝居) パペット (14/02/2012)

  

 

2012 ガンジュラン聖心会教会及び寺院  

   

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The Javanese architectural style Hall of The Church & Temple of the Sacred Heart of Jesus, Ganjuran, Bantul, Yogyakarta.(12/02/2012).

ジョクジャカルタ,バントゥール,「ガンジュラン聖心会教会及び寺院」のジャワ建築様式のホール (12/02/2012)

一般にグレジャ・ガンジュランとして知られるこの教会は,1927年に砂糖プランテーションで成功したシュムッツアー家により建立された。

  

The chapel of Greja Ganjuran, Bantul, Yogyakarta, designed after an ancient candi (Hindu/Buddhist temple). . (12/02/2012).

ガンジュラン聖心会教会及び寺院の古代チャンディ(ヒンヅー寺院)を模したチャペル (12/02/2012)

  

The chapel of Greja Ganjuran, Bantul, Yogyakarta, designed after an ancient candi (Hindu/Buddhist temple). . (12/02/2012).

ガンジュラン聖心会教会チャペルのジャワの王子を模したキリスト像 (Wikipedia)

  

 

2011 お春の渡ったジャガタラ

   

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De Kruiskerk (Cross Church), built in 1640. Haru who was deported to Batavia must have prayed every Sunday and celebrated her wedding at this church. (Image from: http://www.onderwijsbeeldbank.geheugenvannederland.nl/).

バタフィアのクライスチャーチ(十字教会)

1640年建立。バタフィアに流されたお春は毎日曜日この教会に通い,結婚式もここで挙げたに相違ない。(画像元:http://www.onderwijsbeeldbank.geheugenvannederland.nl/) 

  

Pieter Cnoll and his Family, Jacob Coeman 1665. Held by Rijksmuseum Amsterdam.

ピーター・クノルと家族,ヤコブ・クーマン画 1665

アムステルダム・国立博物館蔵。絵の中の女性は長崎商館長の娘コルネリアでピーター・クノルと結ばれたが,病気で夫を失った。ジョアン・ビッテルとの再婚生活は不幸でなものであって,悲惨に終った。(画像元:http://www.rijksmuseum.nl/)

  

 

2010 レイディ・グラシア-主と家族に命を奉げし賢き女   

   

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Hosokawa Gracia by Kiyochika Kobayashi, Woodcut-Ukiyo-e (1885).

細川ガラシャ,小林清親,木版浮世絵 (1885)

細川夫人は石田光成の人質となるより死を選んだ。彼女は2人の忠臣に最後の命を下した。彼女の最後の祈りの後,河北石見立会のもと,小笠原少齋が長刀で彼女を刺殺,二人は家に火を放ち,切腹して女主人に殉じた。(Image from: http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/results-black.php)

  

Lady Gracia's last day, by Insho Domoto (1963) in St. Mary's Catholic Cathedral, Osaka. (http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/.....). 

ガラシャ夫人の最後の日,堂本印象画 (1963),大阪カトリック玉造教会。

画像元:http://bittercup.blog.fc2.com/blog-entry-417.html

(クリスマスカードに採用したものより鮮明)

 

  

2009 慶長遣欧使節  

   

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Tsunenaga Rokuyemon Hasekura in Prayer, painted in Madrid in 1610s. His lord, Masamune Date of Sendai Clan, appointed Tsunenaga to lead the so-called Keicho Embassy to Europe for negotiating direct trade with Spain. The journey started in1613 and took seven years both ways ended in vain, as the Shogunate government issued the edict to prohibit the visit of Spanish and Portuguese. (Image from: Pictorial Record of National Treasure: Material related to the Keicho Mission to Europe, Sendai City Museum 2003. Defects around the face manually fixed on Corel PhotoShop).

神に祈る支倉六右衞門常長肖像画,1610年代マドリッド。

支倉はスペインとの直接貿易の交渉のため世に言う慶長遣欧使節を率いるよう仙台藩主伊達正宗の命を受けた。1613年に出発した旅は往復に7年を要したが,幕府がスペイン人およびポルトガル人の来日禁止令を出したため,無為に終った(画像元:Pictorial Record of National Treasure: Material related to the Keicho Mission to Europe, Sendai City Museum 2003. 顔の辺りの傷は Corel PaintShop 上で手作業で修正)。伊達政宗は洗禮を受けなかったが,正室の愛姫(めごひめ)は少なくとも一時期キリシタンであったと傳はる。

 

  

San Juan Bautista, reconstructed at Ishinomaki, near Sendai. (Image from: http://www.museum.or.jp/action/report/12/).

仙台近郊石巻に再建されたサン・ファン・バウチスタ号。

画像元:http://www.museum.or.jp/action/report/12/

  

 

左: ローマにおける盛装の支倉六右衞門常長,1615, アルキータ・リッチ作,Palazzo Borghese蔵(Wikipedia)。

右: ローマにて他の使節団メンバーに囲まれてルイ・ステロと語る支倉六右衞門常長,1615, by アゴスティーノ・タッシ作,クイリナーレ宮殿蔵(Wikipedia)。 

  

   

2008 親指のマリア

   

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左: 『親指のマリア』,アグネス・ドルチ作, 1700年頃(東京国立博物館藏)。

1707年,キリシタン禁教下の日本でキリスト教を復活させんとローマから密航してきたジョバンニ・バチスタ・シドッチ神父の所持品。

右: 『悲しみの聖母』,1616, カルロ・ドルチ作(国立西洋美術館藏)。
アグネス・ドルチ(カルロの娘)がシドッチ神父のために模写した「親指のマリア」の元絵。

  

A portrait of Hakuseki Arai in his formal attire。A genius scholer and advisor to the Shogun in the mid Yedo Period, he was in charge of interrogat ing Giovanni Battista Sidotti in Yedo.

正装の新井白石

江戸中期の天才的学者であり幕府の顧問であった彼はジョバンニ・バチスタ・シドッチ神父の江戸における尋問を担当した。(画像元:宮崎美友編「徳川十五代将軍」,新人物往来社 2000)

  

  

2007 高谷山金昌寺の子育觀音  

   

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Child-rearing Kwannon at Kouyasan-Kinshouji Temple, Chichibu, Saitama Prefecture. (30/11/2007). Dedicated in 1792 (the 4th year of Kwansi Era) by Yoshinoya Hanzayemon, a rich merchant in Yedo, who lost his child and wife.

秩父市高谷山金昌寺の子育観音 (30/11/2007)

寛政四年 (1792),妻子を亡くした江戸の豪商吉野屋半左衛門が奉納。  

 

  

Approach to the main temple of Kouyasan-Kinshouji Temple, Chichibu, Saitama Prefecture. (30/11/2007).

高谷山金昌寺 (秩父市),本道に向ふ參道 (30/11/2007)

  

Child-rearing Kwannon statue (replica) in Hakkosan-Koushouji Temple, Tachikawa Town, Yamagata Prefecture. (16/02/2004).

山形県立川町,白狐山光星寺にある子育觀音像 (レプリカ) (16/02/2004)

  

 

2006 切支丹燈籠  

   

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東京都下東大和市の個人邸宅にある切支丹燈籠 (03/12/2006)

棹に彫込まれた像は赤子を抱いた夫人と見ゆる。島根県松江に由来する由。

  

 

2005 龍泉寺のマリア観音

   

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Maria Kwannon, Ryusenji, Higasine, Yanagata Prefecture (23.01.2004). In a winter day in the early 17th century, a traveller asked the temple to keep this statue for a while but never returned. This statue is supposed to be an imported one or have been worked designing after a picture of the Virgin and Child.

山形県東根市龍泉寺のマリア観音 (23/01/2004)

17世紀初めの冬の日,旅人がこの寺に預けたが,戻ることはなかった。この像は輸入品か,さもなくば聖母子の絵を見て製作されたと想像される。

  

Ryusenji, Higasine, Yanagata Prefecture (23.01.2004). 

山形県東根市龍泉寺 (23/01/2004)。駐車してゐるのは私の車。

  

Maria Kwannnon, Sosenji, Miyagi Prefecture (01/04/2004). 

仙台近郊大郷町粕川伝三郎,禅宗糟川寺のマリア観音 (01/04/2004)

2019年10月12日から13日にかけて同地方を襲った台風19号による近くの吉田川の氾濫で,本寺も甚大な被害を受け,マリア観音も流失して行方不明と報じられた。南阿彌陀! 合掌!

同年12月13日のニュースによれば,該マリア観音は寺から十数キロ下流の粕川三十丁地区で,流木の間に紛れているのが発見され,寺に戻された。アーメン!

  

 

2004 米沢における殉教  

   

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Martyrdom at Hokusanpara, Yonezawa, Yamagataq Prefecture (11/01/2004). Louis Yemon Amagasu, a retainer of the Uesugi Clan, who did not want to abandon the Christianity and family members and followers, 57 persons, martyred in 1629.

山形県米沢市北山原における殉教。

1629年,キリシタン棄教を望まなかった上杉藩の家臣,ルイス甘粕右衛門の家族と家来57名の信者が殉教した (11/01/2004)