5. 結言:日本の社寺守護神のルーツについて

 

 

ジャワの古刹で見た様々な守護神は,筆者をして日本国内の古い寺院の飾り物をも観察するよう促しました。

    その結果,「古代の日本で,(1)東大寺の棟端瓦に最初に採用された鬼面,(2)唐招提寺などの棟上に飾られた鵄尾や鯱,(3)法隆寺などの屋根の小屋束や後に東大寺の香炉や日光中禅寺の燈籠などに適用された邪鬼,(4)法隆寺に最初に据えられた仁王像のルーツが,それぞれ,ガンダーラまたは古代インドの,(i)キルティムカ―,(ii)マカラ,(iii)アトラス,(iv)ヘラクレスにあるのでなかろうか。」との思いに至りました。

    この疑問について訪ねた寺々でお尋ねしましたが,就中,唐招提寺でお目見得した高僧からは,「断定はできないが,可能性は高かろう。例えば,この唐招提寺を建てた鑑眞の学んだ長安には玄奘によって仏典とともにガンダーラの文化が伝えられていたし(北方ルート),他に時代々々に印度の文化が海路を経て日本に伝わった事実もある(南方ルート)。日本には,古来,何時の時代においても外国の文化を好んで取入れる気風があった。」という趣旨の回答を頂きました。想い起せば,後の平安時代初期に東寺を任された空海の長安滞在中の学友にジャワの訶陵から来た辨弘なる人あり,空海も彼から南方の事情を学んだと想像されましょう。

    信州上田市に近い大法寺の御住職も筆者の質問に耳を傾け,「日本は閉ざされた神の国であったが,文物の多くは海外から移入されたものに由来する。」とお答え下さいました。

 

付記:

江戸時代以降,建物上部を支える彫物に人間らしい姿のものが出現した。これらはメルカートルの地図帳に描かれたギリシャ神アトラスをモデルとしたもの想像される。

 

    主題から離れますが,愛知県瀬戸の定光寺を訪ねたとき,筆者の年来の疑問について若い学僧に尋ねました。「日本の諺にいう『三人寄れば文殊の智慧』は間違いではないか。ジャワの古い碑文に『インドラ王が仏(Buddha),法(dharma),僧(sangha)の智慧を併せ持つ文殊の像を祀る寺院群の建設を命じた。』とあった。若し文殊菩薩に適う智慧を得んとすれば,三宝(仏法僧)の智慧に依らねばならぬのではないか。」と。

    禅学者であり物理学者でもある彼は,「それはある意味のトリニティ(三位一体)である。物理学で例えれば,原子は陽子,中性子, 電子があってこそ完全な存在たり得る。」と解釈して下さいました。