9. クリシュナヤーナ

 

 

    クディリ王国第3代ジャヤバヤ王(在位1135‑1157)は文学を庇護し,ムプ・セダー,ムプ・パヌルーの詩人兄弟をして古代ジャワ文学史を飾る「バーラタユッダ」ほか幾編かのカカウィンを著さしめました。「バーラタユッダ」は,マハーバーラタの終章の翻案でありますが,詩の冒頭と結びには,ジャヤバヤ王への作者の敬意が加えられ[1],1157年起草と記されています。

    同時代にはムプ・トゥリグナによって有名な「クリシュナヤーナ」も著されました。以下に物語[2]の概要を記します。

 

    「クンディナの王女ルクミニが,政略的にチェディの王スニティに嫁がされることになったとき,クリシュナは叔母である彼女の母親から,『娘が真に恋するのはクリシュナであるから,是非なく救出してくれるように。』と認められた手紙を受取り,軍を率い,チャリオット(4頭立戦車)に乗ってクンディナに赴く。親族として祝賀に来た風を装って,王宮の外に宿所を与えられたクリシュナは,侍女に頼んでルクミニに連絡,往来する祝賀客で混雑する中,夜陰に紛れて尼僧姿で抜出した彼女をチャリオットに乗せて立去り,暗闇に隠れる。追い駆けてきたルクミニの兄ルクマに発見され,不名誉な所業であると詰られると,クリシュナは,『力づくで花嫁を奪うはサトリア(武士)に許されたる慣しなり。』と反論,決闘になってクリシュナがルクマを倒した瞬間,ルクミニがクリシュナの脚に縋って,兄の助命を乞う。クリシュナはルクミニを連れてドゥワラワティに着き,煩わされることなく平和に暮す。」

 

 

パナタラン寺院の本堂基壇2階外壁を廻るクリシュナヤーナ・レリーフの一部(左前側の左半分,高さ約63cm)。クリシュナが連出したルクムニをチャリオットに乗せて走り去る場面・

 

 

 


[1] 最終節に次のように書かれている。「クリシュナとパンダワ兄弟が天に帰り,終にカリ・ユガ(=カリ・ヨガ,暗黒の時代)が来たとき,ウィシュヌは(この度はクリシュナにではなく)ジャヤバヤ陛下の身に宿り,爪哇に平和と繁栄を回復せしめた。」

[2] P. J. Zoetmulder, Kalangwan, A Survey of Old Javanese Literature, Martinus Nijhoff, The Hague 1974.