5. 英雄ケン・アロック登場

 

 

    クディリの繁栄振りは南宋の地誌「嶺外代答」[1]に,「諸外國の中でジャワは大食國(サラセン)に次ぐ富める國」と記されていることに窺われますが,13世紀になると翳りが見えてきます。王朝最後の王となるクルタジャヤ(1185-1222)は専横かつ残虐で,宗教指導者と対立しました。嘗てのジャンガラの都トゥマペルにはトゥンガル・アメトゥンという領主(代官)がいましたが,彼もまた横暴な男で,意に沿わぬ僧侶を迫害し,農民には重税を課していました。そこに現れたのが,ヒンヅー・カースト最下層のスードラから身を起してシンガサーリ朝の始祖となるケン・アロック(またはアンロク)なる若者でした。彼の生涯は,後世に編まれた史書「パララトン[2]」の前半に詳しく書かれていました。簡単に粗筋を追ってみましょう。

 

    ケン・アロックはブラーマ神が農婦ケン・エンロクに産ませた子で,誕生後間もなく捨てられましたが,身体から光が放たれていたところを窃盗を稼業とするレンボンなる男に拾われて育ち,後に,バノ・サンパランなる賭博師の養子となりました。その間もその後も,略奪と賭博に明け暮れ,婦女暴行も茶飯のこと,時には人を殺めもしましたが,ある時には,扇椰子の葉を羽根にして飛び去れという神の忠告に従って,追手から逃れました。そんな中で,ある時期にジャンガンという教師から読み書き算盤,暦法,科学,文学を学びました。放浪を続ける中,彼は神の導きによってサン・ヒヤン・ローガーウェという名の,海上に浮かべた3枚の昼顔の葉の上に立ってインドから来たシヴァ派の高僧に出会い,彼と共にトゥマペルの都に行って,領主トゥングル・アメトゥンに仕官することになりました。あるとき,トゥングル・アメトゥンが略奪して妻にしていた仏教聖者プールヴァの娘ケン・デデスが馬車から降りるときに,彼女の陰部が光り輝くのを目撃,ローガーウェから,斯かる女は男に幸運を齎す[3]と教わって,トゥングル・アメトゥンを殺して,彼女を奪うことを心に決めました。そのためにムプ・ガンドゥリンなる刀工に一振りのクリス(短剣)を注文したのですが,約束の期間で仕上っていなかったのに立腹し,その未完成のクリスで刀工を刺殺しました。ガンドゥリンは死際に,「貴様も,そのクリスで刺さるであろう。貴様の子も孫も,そして全部で7人の王が殺されるであろう。」と呪いました。クリスを手にしたアロックは,それをケボ・ヒジョなる同僚に貸し与え,或る晩,そのクリスを盗み取って,トゥングル・アメトゥンを殺害しました。その罪は姦計通りケボ・ヒジョに着せられました。ケン・デデスを妻にしたアロックは,やがて王に推挙され,スリ・ランガ・ラジャサ・バータラ・サン・アムルワブミ(短くはラジャサ)という名で即位して,シンガサーリを建国,遂にはトゥマペルを支配するダハ(クディリ)をも戦で破り,西暦1222年,東ジャワ全体の支配者となりました。

 

    パララトンは,所々に超自然的出来事が挟まれてはいるものの,事実の客観的かつ平坦な記述によって構成されていて,情景といったものが全く書かれていませんが,文豪プラムディア・アナンタトゥールの歴史小説「ジャワのアロック」[4]は,ストーリーの細部は多少異なるものの,筆者にとって,人物像や時代背景を想像するのに大きな助けになりました。例えば,アロックはマハーバーラタとラーマーヤナの全詩を理解し,美しいサンスクリット語を話せる稀有な知能の持主,無法者でありながら常に弱者に味方する,恰もイギリスの民話に伝わるロビンフッドを彷彿させる英雄として捉えられ,立場の激変する環境に置かれたケン・デデスの心の綾も如実に語られていました。また,その時代のジャワにおける宗教事情,ヒンヅーのシヴァ派とヴィシュヌ派,大乗仏教教徒や密教徒(タントリ)の葛藤に関しても,教科書にない知識が盛られていました。プラムディアによれば,ケン・アロックの目指したものは,異なる宗教を持つ人々の融合した社会でしたが,これはプラムディア自身の理想でもあったに相違ありません。

    ケン・アロックには,ケン・デデスとの間に儲けた3男1女,第二の妻ウマンとの間にできた3男1女のほかに,ケン・デデスを獲得する前に彼女が孕んでいたトゥングル・アメトゥンの忘れ形見,アヌサパティという男子がありました。アロックの善政は25年続きますが,彼は,刀工ガンドゥリンの呪言通り,成長して自分の出生の秘密を知ったアヌサパティによって,件のクリスで殺されることになります(西暦1247年)。国王暗殺はその後も繰返されました。アロックの後を襲ったアヌサパティは,父の死の事情を知ったウマンの子トージャヤによって刺殺され,トージャヤもまた王位に就いたものの,アヌサパティの子ランガウニの手下に刺された傷がもとで死にました。何れの場合も用いられた凶器は,同じムプ・ガンドゥリンのクリスでした。

 

 

プラムディア・アナンタトゥールの小説「ジャワのアロック(Pramoedya Ananta Toer, Arok of Java: a novel of early Indonesia, Horizon Books 2007 の表紙画,Mohamad Yusof による挿絵の中,アロックが叛乱を指揮する場面)。

Horizon Books Sdn Bhd の好意を受けて複写。

 

 


[1] 周去非撰『嶺外代答』(乾道八年-淳煕五年頃,1172-1178)の中,「諾蕃國之富盛多寶貨者,莫如大食國,其次闍婆國,其次三佛齊國,其次乃諸國耳。」

http://toyoshi.lit.nagoya‑u.ac.jp/

[2] シンガサーリ王国(1222-1292)およびマジャパヒト王国(1293-1500)の歴史を記した著者不明の書。本文中の 3 August 1613 (サカ暦1535)から,完成は16-17世紀と推定される(I. Gusti Putu Phalgunadi (translated from the Original Kawi Text), The Pararaton: A Study of the Southeast Asian Chronicle, Sundeep Prakashan, New Delhi, India, 1996)。

[3] この言伝えは,スクムルなるオランダ人が熱い陰部を持つパジャジャラン王国のタヌラガ王女と結婚し,ムル・ヤンクン (ヤン・ピーテルスゾーン・クーン)が誕生した話(サコンデルの書)に共通する。「ジャワ探究」 第1章「お春の渡ったジャガタラ」参照。

[4] Pramoedya Ananta Toer; Max Lane (trans.), Arok of Java, Horizon Books, ingapore 2007 (原著:Pramoedya Ananta Toer, Arok Dedes, Hastra Mitra, Jakarta 1999) この小説では,例えば,アロックでなく,ケボ・ヒジョがトゥングル・アメトゥンを手に掛けたことになっている。