第5章附録   

ロロ・ジョングラン伝説   

   

   

1.序   

    「ロロ・ジョングラン伝説」と呼ばれるものには様々な異説があるが,本附録では次の2編を取上げる。   

    第一は,J. F. Scheltema によって1912年に著された,“記念すべき”随筆,「モニュメンタル・ジャワ(Monumental Java)」[1]の中にある物話で,然る語り手が語った話を文書化したものと想像される。類似の筋書きの概要は,20世紀前半の他の出版物[2]に見られ,これらは,現今,夥しい数の案内書,児童書,インターネット記事などに見られる物語の原典であったかも知れない。   

    第二は「ババド・プランバナン(Babad Prambanan)」に筆記されたもの(ジャワ語)で,物語風というより年代記風である。ここでは,リンカサン,アディトゥリヨノ両氏の労作になる全54章のインドネシア語訳[3]のうち,関係する第1-25章を抄訳(分量にして約2/3に圧縮)する。   

    なお,ロロ・ジョングラン伝説に纏わる話は,有名な「チェンティー二物語」の中に,主人公のひとりマス・チェボランの求めに応じてキ・ハルサナ師が語り聞かせる話として書かれている[4]。筆者の知る限り「プランバナン年代記」に並ぶ価値ある古典であって,人名地名などを網羅した全7章35ページに亙る長編である。甚だ興味深くはあるが,数ページに要約したのでは意味が乏しいので,本書本附録には収録しない。   

   

2.「モニュメンタル・ジャワ」の中の話     

    昔々,プランバナンは巨人の王,ラトゥ・ボコによって治められていた。王には一人娘のジョングラン姫と,父親がペンギンの王に殺されたラデン・グポロという名の養子の2人の子供があった。復讐を誓ったラデン・グポロは,ペンギン王[5]の美しい娘を愛しているかのように装い,彼女を妻にするのを助けてくれるようラトゥ・ボコに頼むことを考えた。そこで結婚の交渉をするよう指示を受けた特使が送られた。   

    ペンギンの陛下は彼らを友好的に迎え彼の宮殿で持成したが,ラデン・グポロを娘婿にする気はなく,兼ねてから恐怖を抱いていたラトゥ・ボコの家来の巨人どもに対抗して屈服させ得る力を持つ英雄を探して彼に奉仕させるよう,八方に密使を送った。スンビン山の山腹を探索していた密使の一人は,椰子樹液採集人[6]の頭目スメンディ・ぺトンの子供で隠遁者のダマル・モヨに会った[7]。ダマル・モヨの妻は2人の男子に恵まれていた。一人は背が高く強い男でボンドウォソといい,もう一人は逞しくはなかったが外見が良くて穏やかな性格でバンバン・カンディララスといった。ダマル・モヨは,巨人軍が敗北した場合を想定して,ペンギン王女を救うに必要な男としてバンバン・カンディララスを推薦し[8],若し彼女の父王が同意するなら,王国の半分を持参金として付けて彼女を与え,後の半分は王の死後に引継がせることを提案した。(これらの条件は太古の時代においても高徳の者が世俗的な利益を軽蔑しなかった証である。)   

    ペンギンの王はこれに同意し,バンバン・カンディララスはプランバナンに向けて行軍したが,如何なる武器も,恐ろしく吼え,その声と吐く息が,男か女か,あるいは巨人かワーリンギン樹か区別できないほど遠くにいる如何なる敵をも吹っ飛ばすラトゥ・ボコを痛めつけることはできなかった。バンバン・カンディララスは遁走してダマル・モヨの洞窟に報告し,兄弟のボンドウォソの助けを受けて再度試みるように勧められた。   

    しかし,彼らは何もできなかった。バンバン・カンディララスはバトルの始まる前に逃走してプランバナンの部隊が追ってこられない渓谷に身を隠し,ボンドウォソはラトゥ・ボコの恐ろしい肺からの吐息で足を飛ばされて,スンビン山の方角に急いで退却して身の安全を求めた。   

    そこでダマル・モヨはボンドウォソに,2度発声すると彼を象のように大きく重く変え,彼に象千頭分の力を与える魔法の言葉を教えた。斯く武装してボンドウォソはプランバナンに戻り,ラトゥ・ボコの兵の半数を,寝込みを襲って殺した。他の半数は敵の激しい追跡をうけて後退し,彼らの王に何が起ったかを告げた。「誰も動揺することはない。我輩一人でこの件を収めるであろう。」と王は言った。ラデン・ボコはタンキサンの村の近くでボンドウォソに会い,能うる限りの大声で吼え,能うる限りの激しさで血気を吐いたが,驚いたことに彼の息は何時ものような力を持たず,彼は命懸けの白兵戦を余儀なくされた。   

    それは恐ろしい戦いであった。家や庭は踏みつけられ,森は根絶され,山は蹴飛ばされ,猛り狂った戦士の体から滴る汗は大きな水溜りをつくって,ポウィニヤン湖となった。闘いを終らせるためボンドウォソが必死にラトゥ・ボコを捉えて池に抛り入れると,ラトゥ・ボコは沈んで溺れ,最後の怒りと悲痛の叫びを上げ,大地を震わせた[9]。   

    ラデン・グポロはこの声を聞き,ムボック・ロロ・ジョングランの用意した霊薬,数滴を唇に与えれば死んだ王を蘇生させるに十分な生命の水の入ったカップを持って救出に急いだ。しかし,この闘いを見ていたバンバン・カンディララスが弓を引いてカップをラデン・グポロの手から射落したので,ラデン・グポロはボンドウォソを攻撃した。バンバン・カンディララスは,殺された王の敵討ちに駆けつけたプランバナンの巨人兵士たちに更に矢を浴びせた。混戦の中でボンドウォソはラデン・グポロをも殺し,その首を切って東のほうに投げると,それはグヌン・ガンペンという山になり,西南に投げた脳味噌と心臓はグヌン・ウンカルという山になった。   

    ボンドウォソはプランバナン軍の残りの半分を破り,彼ら兄弟への褒美を要求するためにペンギンに出向いた。ペンギンの王は巨人を打ち負かしたことを喜び,約束通り,美しい娘をバンバン・カンディララスと結婚させ,ボンドウォソにはブパティ(知事)の称号を与えてプランバナンの代官に任じた。   

    故ラデン・グポロの宮殿に住居を構えたボンドウォソは,宮殿に未だ住み続けていたムボク・ロロ・ジョングランを見かけ,一目惚れした。彼が彼女に求婚すると,彼女は父を殺した男であり,気に食わない顔つきでもあるボンドウォソを嫌悪したが,無下に拒否して彼の怒りを買うのを恐れ,若し彼が然るべきサスラハン(結婚の贈物)をくれるなら彼の妻になっても良いと答えた。それは,何と今まで誰も見たことのなかったような6棟の建物の中に掘った6つの深井戸と,天に在る前プランバナン王とその神性の先祖を模した1000個の彫像であって,それら全てを一夜のうちにつくることであった。   

    ボンドウォソが父の隠遁者ダマル・モヨ,ペンギンの王および兄弟のバンバン・カンディララスを呼んで援助を求めると,それに応じた3人はプランバナンに行って明るいうちに一緒に祈り,スンビン山の聖者から任務を果すべく徴用された地の精の合意を得た。日が暮れて夜の帳が降りると不可視の手が基礎をつくり,壁を立て,像を彫る不気味な音が聞えた。午前3時半までに6つの井戸が掘られ,6棟の建物が完成し,999体の像が立った。   

    ムボク・ロロ・ジョングランは鉄(かな)鎚(づち)と鑿(のみ)の音によってまどろみから醒め,何が行われているかを訝り,女官に籾を臼で打ち,鉄槌と鑿の音の最も大きいところに花をばら撒き,香水を撒布するよう命じた。地の精は花と香水の香りに居たたまれずに終了しかけていた仕事を急いで止めて放り出した。茫然とさせられたボンドウォソは,「プランバナンの少女どもは忠誠な求婚者を馬鹿にして喜ぶ故に,神よ,彼女らが花嫁になるのを長く待たねばならなくさせ給へ。」と呪った[10]。   

    こう言い終えて,彼が微かな望みをもってロロ・ジョングランを訪ねると,彼女は嘲(あざけ)るように,「お出ましを受けるは,愛を証すべく御身に課せられし仕事の完成を告知遊ばすためなりや。」と問うた。逆上した彼は,「否,未完成なり。貴女自ら完成させるべし。」と答えた。その呪い文句は直ぐに現実のものとなり,ロロ・ジョングランは,地の精が造るのを止めた1000番目の石造と化した。それは,プランバナンの主堂の北側の龕に今も見ることができる。   

   

3.「ババド・プランバナン」にある話   

第 I 節   

    このプランバナン年代記の筆記は,ジャワ暦[11]1877年ワウ,ウク・マダンガン,ルワー29日クリウォン・カミス,西暦1929年3月4日夜7時に始められた。   

    話はジャヤバヤ王の子孫のダハからペンギンへの遷都に始まる。   

ジャヤバヤ王にジャヤミジャヤという子があり,その子ジャヤスセナには,クスマウィチトラという子があった。クスマウィチトラ王の時代,王国はペンギンに移った。クスマウィチトラ王の子にスリ・チトラソマ,その子にパンチャドゥリアがあった。パンチャドゥリアには,4人の子,デワマジャ,アングリンドゥリア,ラデン・ディパナタ,ダルマナタがあった。   

    パンチャドゥリア王の死後,王権はアングリンドゥリアが継いだ。彼は2人の女性,ドゥウィ・シンタ,ドゥウィ・スメニを娶った。パティ(公爵)にはタンバクバヤが任命された。王弟のディパナタはサレンビの王となった。アングリンドゥリアの即位は964年[12]のことであった。   

    アングリンドゥリアの第一王妃は美しい娘(ドゥウィ・ララサティ,後出)を産んだ。彼女は長じて多くの王子から求婚を受けたが,彼女の気に召す者はなく,彼女は謎々を出してそれに正しく答えた者を夫に決めると言った。謎々には3つの設問があった(内容は後述)。謎解きのコンテストは国中に触れられたが,2ヶ月を経ても正しく答える者は現れなかった。王は落第者たちに山の修行者に教わるように告げた。   

第II節   

    それにも拘らず有力な候補者は現れず,半年が過ぎた。アングリンドゥリア王は,娘が婿を探し得ないのでないかと懼れた。   

    山の閑居に強力な魔力を持つスワルダなる聖者がいた。彼は魔力を持ち,何時でも好きなように姿を変えることができた。レシ・スカンタはスワルダを家族に引入れたいと欲し,長女エンダン・スケスティと結婚させることに成功した。レシ・スカンタには,他に2人の男子があり,一人はスケリという名であった。   

    結婚したスワルダとエンダン・スケスティは幸せに暮し,夫婦の間には2人の子が生れた。年長の男児プトゥフ・カルンはラクササ[13]のような偉丈夫に成長し,時々断食して修行した。妹はディアー・ララ・ジョングランといい,母に優る美人であった。   

    数年後カルンの祖父スカンタと父スワルダが世を去った。ジャケ・カルンは里に来たが,1年後,400人のラクササ軍を引連れてシンバラン山に戻った。彼は母と2人の叔父と再会した。それ以来,ジャケ・カルンは王を自任し,家族の支持を受けた。王になると,彼はマハプラブ・カルンカラを名乗った。彼の2人の叔父,レシ・スケリとレシ・バエクシが大老に任ぜられ,他の4人の親族,トゥメングン・ジャプラック,トゥメングン・バンダワサ,トゥメングン・スリキおよびトゥメングン・ペンコックも重臣となった。更に4人の男,カラバブリク,カラベントン,カラジャンバおよびカラシドゥフも地位を与えられた。パティ(公爵)の位はバェケスリの息子ブハルタルが継いだ。   

    カルンカラ王は丘陵に新都を建設するよう軍司令官に命じ,刃向うものは殺せと告げた。多くの住民の暮しは損なわれ,彼らは離散した。都市は短期間に完成し,プランバナンと名付けられた。彼は990年にプランバナンの王となった。   

    王位に就いて2,3年後,カルンカラ王はペンギンの王女を娶りたいと欲した。彼はペンギンの姫に穏やかに申出るつもりであったが,武力を使うことも考えていた。叔父のレシ・バスケリがペンギン王女の謎々を解く意思を示したのでカルンカラは大変に喜び,軍に戦の準備を整えて使節に随伴するよう命じた。   

    その頃,ペンギンのアングリンドゥリア王はパティ・タンバックバヤに,ペンギン領の一部が混乱し,民が災難に合っていることについて問い質し,ムラピ山の南に1000人のラクササからなる軍を擁するカルンカラという王が居て,森を拓きプランバナンという名の国を建てたことを聞かされた。また,王女との結婚を欲する者の中に王女の謎々に正しく答え得た者は未だにいないことを知らされた。   

    プランバナンはペンギンから徒歩で5日の距離にあり,その建国はペンギンにとって脅威であった。アングリンドゥリアは先制すべくプランバナンに兵を進めた。火は大きくならないうちに消すべしの所以であった。   

第III節   

    プランバナン王の使者と従者はペンギンに到着した。彼らの任務は二通りで,王女の出した設問に正しく答えようとはするものの,成功しなかった場合には力づくで王女を奪うことも辞さないというものであった。   

    プランバナンの一行は王宮に通された。アングリンドゥリア王がプランバナンの使節に接見すると,間もなく王女が呼ばれ,謎々が示された。それは次の3つであった。(1)タマリンドの木の芯で作った棒の両端の何れが根元側で,何れが梢側かを知る方法,(2)相似た一対のジャワ・ムニア(コシグロキンパラ)の何れが雄で何れが雌かを判定する方法,(3)井戸の石の平衡錘並びに風の綱のついた黄金のバケツは何を意味するか。   

    バスケリは他の賢者らと同様に直ぐには答えなかった。少考して,彼は第1問について,重く感ぜられるほうが根元側,軽く感ぜられる方が梢側と答え,王女はこれを正解と認めた。第2問について鼻の穴が広く深い方が雌,浅い方が雄と判じ,これも正解であった。第3問の平衡錘は出入りの場所,金は栄光,綱は生きた人間が接吻するときの呼吸を意味すると答えた。第3問の答は部分的に正しいのみで,王女は,平衡錘は石を,バケツは柄杓を,黄金は頭髪の抜けた娘を,風は接吻している男女の呼吸を意味すると述べた。かくして,プランバナンの使節は王女の要求を満たすことができなかった。.   

第IV節     

    アングリンドゥリア王は,プランバナン王は意図を捨てるべしと告げ,バスケリ以下のプランバナンの一行を退出させた。この事件の後,アングリンドゥリア王は,パティ・タンバクバヤにプランバナンの攻撃に備えるように命じた。   

    プランバナンの使節一行は王宮を出るとゲストハウスで小憩,バスケリは顛末を記した手紙を使者に託してプランバナンのカルンカラ王に送り,同行のバエクシ,カラバブリク,カラジャンバ他のラクササの将には,ゲストハウス付近のペンギンの民を直ちに攻撃するよう命じた。降伏させられた民は貢を強要された。   

    この出来事をパティ・タンバクバヤから聞いたアングリンドゥリア王は怒って,軍にプランバナンを討つよう命じた。   

    プランバナンで,手紙を受取ったカルンカラ王は怒って,トゥメングン・ジャワパックとトゥメングン・バンダワサにバスケリを援助するよう命じた。   

    プランバナン軍はペンギン軍と対峙し,双方は陣を敷いた。   

第V節.   

    トゥメングン・サンボジャ,カウェラサ,トゥメングン・パンギリンおよびトゥメングン・ペンコクを小隊長とするペンギン軍は,トゥメングン・ジャガラガの支援を受けた。トゥメングン・ジャガラガは騎乗して戦場に行った。彼は矢張り騎乗したバエクシと対決した。槍による激しい戦いで,最後にはバエクシが刺され。落馬した。レシ・スケリは,他のプランバナン兵にトゥメングン・ジャガラガを襲うよう命じた。槍と弓矢による戦が激しさを増した。戦が最高潮に達したとき,トゥメングン・ジャワパックとトゥメングン・バンダワサが到着した。ペンギン側は多大の打撃を蒙り,生残った者は戦場から遁走した。   

    アングリンドゥリア王は自ら戦場に赴くと言ったが,パティ・タンバクバヤが留まるよう進言した。王は,魔法に長けたキ・アジャール・ルンチャサを思い出して招き,戦況を話した。   

第VI節   

    キ・アジャール・ルンチャサはパティ・タンバクバヤの忠告を認めた。彼は,プランバナン軍とカルンカラ王を討った勇士にペンギンの王女を与えるという提案をした。パティ・タンバクバヤは候補者を探すよう命ぜられた。彼はペンギンの人々にプランバナン軍が来襲したら,障壁の背後で抵抗するよう命じ,夜になってから敵に気付かれないように勇士探しに出発した。   

    サレンビに話題を移す。ディパナタ王(アングリンドゥリアの兄)にドゥウィ・ナタスワティという名の美しい娘がいて,多くの男から求婚されたが,王は許可しなかった。彼には彼女が亡妻に似ていることから,自分の妻にしようとの魂胆が有り,実際に彼女を犯した。異常な関係であったが,娘は神の意思であろうと受容れた。王は,その結婚を国中に触れるようパティに指示した。結婚後直ぐにドゥウィ・ナタスワティは妊娠し,臨月に男児を産んだ。赤子はラデン・バカと名付けられた。王の一族は彼を愛し,やがて父を凌ぐ王になることを期待した。   

第VII節   

    アングリンドゥリアの弟,ダルマナタはスディマラの王となった。彼にはラデン・ダルママヤという名の息子あり,彼は長じて,ペンギンの伯父にドゥウィ・ララサティという美しい娘があることを聞いた。彼は父に別れを告げ,ララサティの謎解きコンテストに参加するべく出掛けた。   

    ラデン・ダルママヤは直接ペンギンに向うことなくムルバブ山の聖者キ・アジャール・ルンチャサを訪ね,謎解き法の助けを求めた。ペンギンへの道中,彼は優れた勇士を探していたパティ・タンバクバヤに出会い,ペンギンの状況および勇士募集について聞かされ,プランバナンのラクササ軍と戦うことを決心した。   

    パティ・タンバクバヤとラデン・ダルママヤは,町に入る前にプランバナン兵に遭遇し,ラデン・ダルママヤの魔力でもって多数の敵兵を殺した。プランバナンのバスケリとバエクシが黙っている訳なく,カラバブリク,カラジャンバとともにラデン・ダルママヤと彼の軍を攻撃したが,ダルママヤは討たれることなく,プランバナン側に多くの死者が出た。この攻撃中,カラバブリクおよびカラジャンバが戦死した。   

第VIII節   

    ペンギンの圧力を受けたレシ・バスケリは兵に一旦退却するよう命じた。ペンギンの追跡は深夜に及んだ。   

    パティ・タンバクバヤはラデン・ダルママヤを伴ってペンギンに帰り,後者をアングリンドゥリア王のもとに連れて行った。王は勝利を喜び,ラデン・ダルママヤと王女ドゥウィ・ララサティの婚礼の準備をするようパティ・タンバクバヤに求めた。王は娘を呼んで,ラデン・ダルママヤのプランバナン攻撃の手柄を告げ,彼と結婚するように言ったが,王女は,ダルママヤが彼女が先に示した謎々に未だ答えていないため不満であった。   

第IX節   

    王は娘の拘りに驚いたが,それをラデン・ダルママヤに告げた。恐らく神がドゥウィ・ララサティはダルママヤの妻となるべきと判断したのであろう。ダルママヤは件の謎々に正しく答えることができた。かくして,ラデン・ダルママヤとドゥウィ・ララサティは目出度く結婚した。   

    話をプランバナンに移す。カルンカラ王は自軍の敗北,特に指揮官カラバブリクとカラジャンバの死を聞いて激怒し,バスケリとバエクシに援軍を送ることを決め,その任務をカラチントゥンとカラベントンに託した。ペンギン軍とプランバナン軍の間で激戦が再開された。両軍譲らず戦況は膠着し,戦闘は毎日夜になるまで続いた。   

    話をサレンビに移す。ラデン・バカは成人していたが,どの王女とも結婚を欲しなかった。その理由は自身の母,ドゥウィ・ナタスワティに恋心が芽生えたためであった。彼は病気になって食物を口にしなかった。それを知らぬディパナタ王は息子の病気を心配し,妻にカプトゥランの魔女医のところにいる息子を見舞いに行かせた。母が来ると,彼は母への愛を明言し,その晩,母親を強姦した。   

    これを聞いた父のディパナタ王は息子を殺そうとしたが,その寸前にラデン・バカはカプトゥランを去って森に消えた。王の怒りを感じた母のドゥウィ・ナタスワティは,首を吊って自殺した。王はそれを悲しみ,病になって死亡した。   

    一連の悲劇は臣民に伝わり,サレンビの民は悲しみ暮れた。   

    サレンビでの悲劇的な事件はペンギンとスディマラでも噂された。彼らは親類としてサレンビで起きたことに悲しんだ。スディマラでは,ラデン・ダルママヤが戦場でプランバナン軍に殺されたという悪い報せ[14]が重なった。   

第X節   

    ダルマナタ王は愛息が死んだとの報を受けて悲しみに抗しきれずに自殺し,王妃も後を追った。スディマラの民は悲しんだ。これはドゥプラ時代994年の出来事である。   

    ダルマナタ王の訃報はペンギンに届いた。王はサレンビ,スディマラの2人の弟の相次ぐ死を悲しんだ。スディマラの家来は,スディマラの王子で世継のラデン・ダルママヤに仕えるようペンギンに呼ばれた。   

    ラデン・ダルママヤは妻ドゥウィ・ララサティと幸せに暮し,ララサティはプリンガダニのグトゥトゥカチャのように麗しく壮健な息子ラデン・バンドゥンを産んだ。アャール・ルンチャサはその子が健やかに成長するよう注意深く面倒を見た。それはドゥワパラ時代995年のことである。   

    息子が生後35日を迎えると,ラデン・ダルママヤはプランバナンと戦うために出発する許可を求め,ペンギン王は4人の指揮官を与えた。準備が整うと,彼は馬に騎乗して出発,ペンギン兵が前列についた。彼らはポカックの防衛基地で,作戦を練った。   

    プランバナン兵はマリンジョンでラデン・ダルママヤに支援されたペンギン軍を見て心を振わせた。カルンカラ王はペンギン軍のマリンジョン攻略に怒り,全兵士に応戦を命じた。トゥメングン・スリキはドゥウィ・ジョングランを護ってプランバナンに留まるよう命ぜられた。王自身はペンギンとの戦闘に加わるべく出掛けた。   

    ダルママヤとタンバクバヤが指揮するペンギンと,スケリとトゥメングン・パメンコック指揮下のプランバナンの間で戦闘が再開された。彼らは互いに砲弾を仕掛けた。パメンコックとタンバクユダの魔力は拮抗した。パメンコックは負けそうになったが,トゥメングン・ジャプラックが助けに来た。タンバックバヤはパメンコックとジャプラックに討たれそうになったが,タンバクランピルが助けに来た。ジャプラックは槍で刺され落馬した。バスケリは彼の兵がプランバナン兵に討たれるのを見て動顛した。トゥメングン・バンダワサ,トゥメングン・カラチントゥン,トゥメングン・カラベントンおよび彼らの兵は,ダルママヤを圧倒した。ペンギン・スディマラ連合軍とプランバナン軍の戦闘は混乱を極めた。兵士は叫び,ゴングの音が響いた。全ての兵器が血に塗れた。   

第XI節   

    プランバナンとペンギンの戦闘は益々混乱した。犠牲者が増しても両軍は怯(ひる)むことなく,能る限り敵を殺戮した。夜の帳だけが戦を停止させた。プランバナンの方が劣勢で,より多くの犠牲者を出した。この状況下でカルンカラ王は自ら戦闘に参加することを決心した。プランバナン兵の士気は上がり,彼らは再び前進した。カルンカラ王とラデン・ダルママヤの対決となったとき,カルンカラは棍棒で以って相手を撃とうと試みたが,最後にはダルママヤの槍がカルンカラの胸から背中に貫通し,カルンカラの命を絶った。   

    プランバナンのバスケリ,バエクシおよび兵士たちは王の死によって戦意を失い,各々の生命の安全を求めて敗走した。ペンギン軍の追及は続いたが,遅い時間になって一旦は止んだ。プランバナンの町の住民は扉を閉ざし,夜通し恐れ慄いた。   

    カルンカラ王戦死の報はララ・ジョングランに届いた。彼女は兄の死の報復のためプランバナンの包囲(防衛線)を破るよう100人の兵士に求めたが,レシ・バスケリは混乱する彼女の心を押し鎮めた。彼は優秀な勇士を募り,若し彼が首尾良くペンギンを打倒すれば,褒賞にララ・ジョングランを妻とすることを許すという案を出した。   

    左様な勇士を探す前に,レシ・バスケリはバエクシ,スリギ,パメンコック,ジャプラック,バンダワサ等の兵士を集め,プランバナンをペンギンの攻撃から守るよう命じた。   

    夜明け前,レシ・バスケリはペンギンを打破することが可能な勇士を探しに出掛けた。時を同じくして,ペンギン兵は攻撃を開始し,プランバナンの町の端に到達,双方に多くの死者が出たが両軍は怯むことなく激しく戦った。ペンギン軍はプランバナンの町を掌握せんとしたが,町を囲む塹壕は強固であった。夕刻,ペンギン軍は彼らの陣に引上げたが,封鎖は解かなかった。   

第XII節   

    サレンビの人々は6ヶ月間,行方知れずの ラデン・バカを探していた。彼は既に3ヶ月クリル山に籠っていた。漸く彼を発見すると,彼の両親,王と王妃が死亡したこと,サレンビの人々は彼が王位に就くことを願っていることを告げた。彼は悲しみつつ,母に似た美しい妻を得るまでは帰らないと言った。   

    その時,ラデン・バカの棲家にプランバナンのレシ・バスケリが来た。挨拶を交すと,彼はプランバナンからララ・ジョングランの使いでペンギンと対決しうる勇士を探しにきたこと,ペンギンを打破した曉にはララ・ジョングランと結婚しプランバナンの王になる条件であることを話し,さらにラデン・バカの気を惹くため,ララ・ジョングランの並びなき気品と美しさを語った。ラデン・バカはその話に乗って勇士になることに応じ,同時に使者を遣って,サレンビの兵をプランバナンに連れてくるように命じた。   

第XIII節   

    ラデン・バカはサワンガンという名の栗毛の馬で,レシ・スケリはラヤルの名の赤毛の馬でプランバナンに向い,それにサレンビの兵が続いた。   

    ペンギン兵は再びプランバナンを攻めに掛かったが,壕に阻まれた。両軍が武器として石を集めたので,オパク川の河原には石がなくなった。ペンギン側は最後にはプランバナンの町を包囲し,兵糧(ひょうろう)攻めを試みた。   

    ラデン・バカ,レシ・バスケリおよび部下の一行は,プランバナンに到着し,包囲を突破して町に入り,ララ・ジョングランに会った。ララ・ジョングランはバスケリの報告に喜び,勇士がペンギンに打勝った曉には,約束通り彼の妻となると言った。   

第XIV節   

    ララ・ジョングランの心はラデン・バカの美しさに惹かれた。ペンギンに勝った曉にはララ・ジョングランと結婚する前提で,ラデン・バカはプランバナンの支配者となった。   

    少し後,バカ王は会議を開き,パティ・ブバルハムに戦況について訊ねた。パティ・ブバルハムは,ペンギン軍はスラサンボジャ,スラカタワン,パリギ,タンバクランピルおよびタンバクバヤに補佐されたラデン・ダルママヤに率いられていること,ペンギン軍はプランバナンを包囲しているが,障壁の備った壕に阻まれていることを説明した。これを聞いたバカ王は微笑んで,ペンギンのラデン・ダルママヤは実は,彼の叔父でスディマラの王,ダルマナタ王の息子で彼の従弟あって,和戦の可能性もあると明かした。しかし,彼は和平が拒否されれば更なる戦も辞せずと考えた。   

    サレンビから到着したペンギン兵は,壕を守り,もしペンギン軍が攻めてきたら,プランバナンは今やバカ王の支配下にあること,ラデン・ダルママヤにバカ王と会見すべしと告げるよう命ぜられた。   

    話はペンギンに移る。ラデン・ダルママヤは,ラデン・バカがララ・ジョングランと結婚してプランバナン王になっていることを聞いて驚き,兵に攻撃を中止し,包囲を続けるよう命じた。彼はラデン・バカが故パンチャドゥリア王が共通の祖父であることを思い出すよう期待した。ラデン・ダルママヤから報告を受けたアングリンドゥリア王も,ダルママヤと同様に考え,プランバナンの包囲は解かないまでも,和平の可能性を優先すべしと考えた。   

第XV節   

    ラデン・ダルママヤはプランバナンに和平の機会を与えるよう兵に命令したが,もしラデン・バカがララ・ジョングランの甘言によって身内を忘れるようなことであれば,攻撃を厭はざるべしと考えた。   

    ラデン・バカのプランパナンにおける話は興味深い。彼はララ・ジョングランの美しさに抗し切れない気分であったが,彼女はラデン・バカがペンギンを打負かす前に性的関係を持つべきでないと主張した。ラデン・バカは恥らいと少し熱い気持で,兵士に戦の準備を命じ,彼自身は総司令官として行動することを決心した。   

    激戦が再開され,ラデン・ダルママヤとラデン・バカは,それぞれの力を敵に向けて誇示した。喊声とシンバルとゴングの音が響き,戦場は血に浸った。   

第XVI節   

    バカ王が攻勢を強め,多くのペンギン兵が殺された。ラデン・ダルママヤはプランバナンから退き,マリンジョンの基地に戻る決心をした。マリンジョンに敵を追ったプランバナンの兵は撃退され,ペンギンの防御は強化された。バカ王は攻撃を一旦中止し,ラデン・ダルママヤが従兄弟関係であることを思い出すよう期待した。プランバナンの兵はドンドゥハン川の基地に引き揚げ,バカ王は従者とともにプランバナンに戻った。   

    王宮に帰ったバカ王はララ・ジョングランに会った。彼は当然のこと彼女との肉体的接触を欲したが,彼女は彼が未だにペンギンを打負かすという約束を果していないために心を許さず,自室の扉を閉した。バカ王はララ・ジョングランのために庭で花を摘んだりもした。恋心が昂じ,バカ王は食事も睡眠もできなくなった。.     

    戦況が膠着状態であるとの報告を受け,ラデン・バカは,戦を中断するよう命じ,敵方が仕掛けてこない限り休息して良いと兵士に告げた。彼らは,暫時,闘鶏を楽しむことも許された。これは997年のことである。   

    ゴドゥハン川ではプランバナンとペンギンの兵が対面した。それに反しプランバナンの後列の兵は暇つぶしに闘鶏をやっていた。ララ・ジョングランはリラックスして,好きなコオロギで遊んでいた。これは998年のことである。   

    ムランドゥハンジャパラックは不幸に見舞われた。彼はダルママヤが捕えた蝉を探しているときに殺された。これは彼がバカ王のメッセージに背くという失策のためであった。この出来事は999年のことである[15]。   

第XVII節   

    バカ王のララ・ジョングランに対する欲情は募り,彼がそれを顕(あらわ)にする度に,彼女は自殺すると脅した。バカ王の心は揺れ,彼の瞼には昼も夜もララ・ジョングランが浮んだ。鶉やコオロギを贈って気を引こうとしたが駄目だった。彼の意を彼女が受け入れるようスケリに頼んだが,彼も説得できなかった。欲望が昂まって,彼は時々庭を歩き,恰も彼女に話している風に独り言をいった。   

    アングリンドゥリア王の孫のラデン・バンドゥンはアジャール・ルンチャサの世話を受けて成人した。彼は美丈夫で,山で修行して逞しくなっていた。15歳になると,戦場に出てプランバナン軍と戦っているペンギン軍に加勢すると言い,アジャール・ルンチャサも渋々それを容認した。彼には軍服が与えられ12名の護衛が付けられた。準備が整うと,彼はアングリンドゥリア王に神に加護と勝利を祈ってくれるよう頼んだ。一行は昼夜を徹してクレプに着き,プランバナン兵攻撃の基地を設けた。   

    バカ王のララ・ジョングランに対する欲望は留めること能わず,ある晩,彼は彼女の部屋に押し入った。ララ・ジョングランは驚いたが,バカはこの機を逃さず彼女を力づくで寝転がした。彼女は抵抗を試みたが,結局は力を失い,バカは彼女との肉体的接触の願望を遂げた。   

第XVIII節   

    明け方,ラデン・バンドゥンは戦場に着き,プランバナン軍と向き合った。プランバナン軍は,彼らがマリンジョン基地から来たと思った。戦いが始まると,ディアン・バンドゥンは魔力を発揮した。彼の肉体は槍で刺されたが,彼は力を維持し敵を攻め続けた。この戦闘において,多数のプランバナン兵が殺された。トゥメングン・バタンはラデン・バンドゥンの後を追っていて,ラデン・バンドゥンがラデン・ダルママヤの兵より先行したことを知った。ラデン・ダルママヤは息子の参戦に驚き,援軍を送った。   

    ラデン・バンドゥンはトゥメングン・バンダワサ,トゥメングン・パメンコックおよびトゥメングン・スリキに圧倒され,左右から攻撃を受けたが,傷付かなかった。ある瞬間,バンダワサの武器がラデン・バンドゥンによって手繰られ,バンダワサは地に落ちた。彼の頭は蹴られて破壊した。バンダワサの死後,ラデン・バンドゥンは,ラデン・バンドゥン・バンダワサと名乗った。彼は大声を上げて,プランバナン軍と戦闘を続けた。   

    プランバナン兵がラデン・バンドゥン・バンダワサを取囲んだとき,ラデン・ダルママヤが来て,息子を囲むプランバナン軍を攻撃し,滅ぼした。   

    バカ王はトゥメングン・バンダワサとプランバナン兵の死亡の報に駆立てられて,ラデン・バンドゥン・バンダワサと対決すべく 戦場に赴き,彼の援護のために兵士が続いた。打合いが続いた末,バカ王は棍棒をラデン・バンドゥン・バンダワサに掴まれて落馬,頭を蹴られて死亡した。バカ王の死にプランバナン兵は戦意を喪失して町に敗走し,ペンギンの追及を恐れて扉を閉ざした。   

    ラデン・ダルママヤは,プランバナンが降伏することを期待して,ラデン・バンドゥン・バンダワサに攻撃を中止するよう指示した。   

    バカ王の死はプランバナンの人々の恐怖を増大させた。バエクシの息子でララ・ジョングランを密かに憧れていたジャケ・ブルダンは,ララ・ジョングランにプランバナンから逃れるよう案内役を買ってでたが,彼女は,それを断って,プランバナンを守って死ぬ覚悟であると告げた。   

    翌朝,残るプランバナンの兵は最早プランバナンを維持することは不可能と見て,武器を捨ててプランバナンを離れた。ラデン・バンドゥン・バンダワサは兵に直ちにプランバナンの町に入るよう命じた。プランバナンの全ての財産は捕獲され,一箇所に集められた。ラデン・バンドゥン・バンダワサが,プランバナンの王宮に入ると,ララ・ジョングランの美しさに彼の血が騒いだ。彼女の容姿が,永らく憧れていたものに見えて,彼は一目惚れしたのである。   

第XIX節   

    ラデン・バンドゥン・バンダワサはララ・ジョングランに誰であるかを訪ねられると,彼女は戦場で死したカルンカラ王の妹であると答えた。ラデン・バンドゥン・バンダワサはララ・ジョングランに求婚したが,彼女はそれを受ける気はないと言った。プランバナンの陥落はテテカ時代1009年のことである。ラデン・バンドゥン・バンダワサは終日ララ・ジョングランを妻にしたいと考え続けた。   

    夕暮れになって,ラデン・バンドゥン・バンダワサは彼女への思いに堪えきれず,彼の意思を強要する決心をした。ララ・ジョングランは彼の愛が真実のものであるかを確かめるべく,自分は金もダイアモンドも要らないが,亡父レシ・スワルダを偲ぶよすがとするに相応しいものが欲しい,1000の石造のチャンディ(寺院)を今晩中に建造して呉れることを願望する,それを叶えてくれればラデン・バンドゥン・バンダワサの妻になってもよいが,さもなくば自殺すると告げた。   

    彼は逡巡しつつ,若し彼女を強制的に犯せば彼女は自殺するに相違ないが,彼女のような美人は他に見付けられない。かと言って彼女の要求は難題であると思い悩んだ。彼は最終的には彼女の要求に何とか応えようと決心した。ラデン・バンドゥン・バンダワサは直ちにララ・ジョングランの王宮を護るよう兵に命じ,自身は外に出て神に援助を与えてくれるよう祈った。   

    深夜,ラデン・バンドゥン・バンダワサは1000のチャンディを造るために石積みを始め,神の助けのお陰で,夜が白む頃までに1000のチャンディを1棟残して完成した。1棟残した理由はラデン・バンドゥン・バンダワサが,最後の一体を彼女の目前で造ろうと意図したからであったが,ララ・ジョングランは不満に思った。石像の数を数えるふうを装っていたララ・ジョングランは,他の者が注意を逸した隙にその場を離れ,森に行った。   

    それを聞いたラデン・バンドゥン・バンダワサは大層悲しみ,彼女の後を追って村々や森を捜したが,彼女を見付けることができなかった。トゥメングン・バタンは,ラデン・バンドゥン・バンダワサの出立をラデン・ダルママヤに知らせるべく使者をに送った。ラデン・ダルママヤは従者に息子の行方を追わせた。彼らはあらゆる村や森を探させたが,半月を費やしても,ラデン・バンドゥン・バンダワサとララ・ジョングランを発見できなかった。   

第XX節   

    ラデン・バンドゥン・バンダワサ自身は猶も捜索を続けていた。ラデン・ダルママヤは愛息の失踪のために気絶し,無意識の状態で妻の元に運ばれて,彼女を悲しませた。トゥメングン・バタンとスディマラの大臣が,ラデン・バンドゥンの捜索を命ぜられた。   

    話はプランバナンに戻る。ジャケ・ブルダンはララ・ジョングランの失踪を悲しみ,村々や森を探した。彼は心の中でララ・ジョングランは彼の妻となると信じ,捜し出さねばならないと誓ったのであった。   

    トゥメングン・バタンとスディマラの大臣は捜索の旅を続け,南海に到った。他の捜索隊と合流した彼らはペンギンに帰り,ラデン・ダルママヤにムンタマルやバゲレンまで捜したが,見付からなかったと報告した。   

    アングリンドゥリア王もまた ラデン・バンドゥン・バンダワサの失踪とアジャール・ルンチャサ死亡の報を悲しんだ。   

    月曜日,アングリンドゥリア王は会議を開いて,彼自身は退位すると述べ,後任にラデン・ダルママヤを任じ,ジャワの統治を命じた。そして,アングリンドゥリア自身は他の司令官と同列に座った。   

    他の2人の息子スウェラチャラとパンダやナタも地位を与えられた。スディマラとサレンビの大臣たちもペンギンとプランバナンに駐在するよう命ぜられた。プランバナンの家来たちは地元に帰り,ラデン・バンドゥン・バンダワサを見張るよう命ぜられた。この出来事はテテカ時代1010年のことであった。   

    ラデン・バンドゥン・バンダワサのララ・ジョングラン捜索は甲斐なく,プランバナンとペンギンの兵も彼女を捜し得なかった。ラデン・バンドゥン・バンダワサはプランバナンに帰ることを決心し,そこで,四臂を持ちアンディニ(=ナンディ,神牛)の上に立つララ・ジョングランを模した石像を拵えた。彼は像の顔に向い,井戸(sumur gumuling,背後に位置する井戸)が出現することを神に祈った。七日七夜,彼は真実のララ・ジョングランに会っている風に像に接吻し,それに満足すると,誰に覚られることなく西南方向の森に行った。道中,彼は悲嘆し,ララ・ジョングランへの思いに耽った。イジョー山に着いて立止ると美しい景色が拡がっていた。彼はそこで隠遁し,名をレシ・スブラタと変えた。   

    話はララ・ジョングランに移る。彼女が山裾を通って,イマギリ南のソカンの森に着いた頃,バカ王との間で妊娠した子の出産の時が来た。彼女はオパック川の畔で女児を出産すると,他界した。彼女の遺体は川に流されて消えたが,赤子の泣き声が川面から聞えた。   

    ランダ・ルウェクは水辺で野菜を摘んでいるとき,赤子の鳴き声を聞いた。駆けつけてみると,赤子が岩の上にいたので,保護し家に連れ帰った。彼には子供がなかったので,彼は大変に喜んだ。それはテテカ時代1010年のことであった。女児はララ・テモンと名付けられた。   

    キリンウェシのワトゥグヌン王の息子シンドゥラャラ王にはラデン・シンドゥハラという息子があった。彼は超人能力を会得していて,何時も若く見えた。彼は叔父のサン・ヒアン・ナガタトゥマラの娘,ドゥウィ・ナガワティと結婚し,彼らにはドゥウィ・テンビニ,ラデン・デワタチェンカル,ラデン・デワタプムナー,ラデン・デワパルムナーの4人の子があった。563歳[16]のとき,レシ・スンドゥフラはジャワに帰り,シガー山に隠遁した。   

第XXI節   

    ラデン・デワタチェンカルは修行して神の信頼を得,父の後を継いで王となった。彼も超能力を持っていた。   

    ウラウル山に棲む隠者レシ・パンチャドゥリアには3人の子,プトゥフト・プラダンガ,プトゥフト・グントゥール,エンダン・ジャエニがあった。娘のエンダン・ジャエニは大変な美人で,ラデン・デワタチェンカルと結婚した。彼女は夫と舅に忠実であった。夫は美男で,青い血を引いていた。ある日,ドゥウィ・ジャエニは炊事中にナスを刻んでいるとき,迂闊に指を切り,僅かの血が野菜に混ざった。昼食のとき,ラデン・デワタチェンカルはその日の料理が大変に美味いといい,ドゥウィ・ジャエニに,調理に何か特別なことがなかったかを問うた。彼女は躊躇したが,僅かの血が混ざったことを話した。   

    ラデン・デワタチェンカルは,妻に月に1度,人肉を料理するように言い,田舎の者に,月に1度,捕らえた泥棒を連れてくるよう命じた。盗人の肉は一部は料理に混ぜられ,一部はラデン・デワタチェンカルのための特別の干し肉に加工された。舅のレシ・パンチャドゥリアは,婿が人肉を喰うことを悲しみ,止めるように忠告したが,ラデン・デワタチェンカルは,舅の影ではその習慣を続けた。   

第XXII節   

    大舅のシンドゥフラと舅のパンチャドゥリアは,それに堪えきれず自殺した。家族はそれを悲しんだが,神の意思として受止めた。その後,ラデン・デワタチェンカルはシガルーの王位に就き,親族が補佐役になった。ラデン・デワタチェンカルは周囲の村々を征服し,服従せしめた。ドゥウィ・ジャエニは,父親似の男児を産み,その子はラデン・ダニスワラと名付けられた。ラデン・デワタチェンカルの即位と息子の誕生はテテカ時代1017年のことであった。   

    話はララ・ジョングランを探していたレシ・バエクシの息子ジャケ・ブルダンに戻る。彼はソカンに行き,オパック川で水を汲んでいるラ・ジョングランのように麗しい少女を見付けた。彼が聲を掛けようとすると,その少女ララ・テモンは驚いて手桶を捨て,家に逃げ帰った。彼は跡を追って川を渡ろうとしたが,増水した流れに飲まれ,漸く対岸に着いた。   

    半月後ジャケ・ブルダンは再度歩き始めたが,出遭うのは見知らぬ人ばかり,その後,彼はイジョー山に着いた。そこでジャケ・ブルダンは聖者スブラタに会ったが,彼は修行中で,何を聞かれても沈黙して答えなかった。ジャケ・ブルダンそれでもなおオパック川で会った女性について訊ねたが,全く答えてくれないので立腹し,(剣で)刺したが,隠者は傷付かなかった。ジャケ・ブルダンが石を掴んで隠者の頭を打つと,隠者は川原の岩に頭をぶつけて死に,遺体はジャケ・ブルダンに非難の声を浴びせながら消えた。その声は犬のような行為を行ったジャケ・ブルダンは何時か犬のように死ぬであろうとの呪詛であった。その隠者は実はラデン・バンドゥン・バンダワサであった。        ラデン・バンドゥンの呪い通りジャケ・ブラダンは赤犬に変身させられた。彼は罪を悔いて,呪詛が解かれて人間の姿に戻り,オパック川で見た女性に再会できることを神に祈った。彼は,彼の心を躍らせた彼女を捜すため,直ぐに川に沿って南に向った。   

    ララ・テモンはパソカン村で機を織っていた。家は高床式の小屋で,彼女が上にいるときには梯子が外されていた。ランダ・ルウェクはオパク川に水浴と水汲みに出掛け,この時は,長時間ララ・テモンを置去りにした。そのときララ・テモンは高床から地面に落ちたが,辺りには虎が出没していた。彼女は誰か梯子を掛けてくれる者はいないのか,家族に迎えてくれる者はいないのか,将来妻に娶ってくれる男性はいないのかと自問した。   

    犬の姿になったジャケ・ブルダンは彼女がオパック川で見た娘に相違ないと確信した。彼は梯子を咥えて小屋に掛けた。会話の中で,彼は自分はジャケ・ブルダンであるが,8年間その姿でいなければならないと話し,このことを口外しないよう頼んだ。彼は肉体関係を望めば,彼は人間の姿に戻れるであろうとも言った。ララ・テモンはジャケ・ブルダンを抱擁し,2人は暫時関係を持った。間もなくランダ・ルウェクが川から戻った。彼がララ・テモンを呼ぶと,彼女は一緒に食事をするために梯子を降りてきたが,彼女には犬がついてきた。ランダ・ルウェクは犬を打ち,ララ・テモンが止めるのを聞かず,さらに打ち続けた。犬は興奮してランダ・ルウェクを噛み殺した.。   

    遺体は燃えて筆舌を絶する声を上げたが,それは犬の姿のジャケ・ブルデンが無残な死に方をし,遺体は別の犬に喰われるであろうという意味の呪詛であった。その声はララ・テモンと肉体を絡めているジャケ・ブルダンには聞えなかった。ララ・テモンは妊娠し,やがて男児を産み,ジャケ・アナカンリと名づけられた。これは1078年の出来事であった。(註: ラ・テモン,ジャケ・ブルダンおよびララ・テモンの名はテキストの以下の部分に現れない。)   

第XXIII節   

    話は ラデン・デワタチェンカルに戻る。シガルー王としての彼の権勢は増大し,彼の支配地域が拡大してペンギン王国に迫ると,彼は兵をペンギンに向けた。   

    ペンギン王国はダルママヤ王の統治下で安寧を保ち,繁栄していた。前任のパティ(公爵)のタンバックバヤは神官となり,後任にはジャケ・ゲンタンが就いて,パティ・ケケランと称していた。   

    ダルママヤ王は,デワタチェンカル王のシガルーがセラを攻撃し,住民が食料を供与させられるばかりか,財産や家畜の略奪に遭っていることをジャケ・ゲンタンから聞かされると,激怒して,戦争を命令した。ダルママヤ王自身も戦列に加わった。武装して馬に乗ったペンギン軍の兵は,さながらブンガ・セタマン(水に浮かせた花)を散りばめたように見えた。シガラー兵と対面すると,ダルママヤは馬を下りて暴れ回り,兵士もそれに倣った。戦闘が激しさを増すと,矢が無常な雨のように行交い死体が散らばった。喊声,シンバル,ゴング,太鼓の音が戦場の雰囲気を高め,死体が散乱した。一時的にはペンギンが勝勢となり,これを見ていた デワタチェンカル王は激怒した。   

第XXIV節   

    デワタチェンカル王は戦場に行き,傷付いた牡牛さながらに奮闘した。パティ・ゲンタンは,デワタチェンカルを討とうと試みたが,逆に落馬させられて殺された。パティ・ゲンタンの死をみてダルママヤ王は馬から下りて戦場に出た。デワタチェンカルとの激しい一騎討は対等であったが,遂にはダルママヤが槍で刺されて殺された。ペンギン兵は王の死を見て,ペンギンの町に逃げた。   

    ペンギンの前王アングリンドゥリアは婿の死に滅入って死亡した。シガルーの兵はペンギンの町を包囲,ダルママヤ王の2人の息子,ディアン・パダヤナタとスウェラチャラは女官に伴われて森に遁走した。   

    翌朝,ジャケ・トゥンゲル指揮下のペンギン兵はデワタチェンカル王に降伏した。デワタチェンカル王はペンギンの王宮に入って,彼が故ダルママヤに代るペンギン王であると宣言,ペンギンの者どもはそれを受容れた。彼はジャケ・テンゲルを知事に任命し,クウに新しい町を築くよう命じた。   

第XXV節   

    ペンギンの敗北とデワタチェンカルの即位は1099年のことであった。新しい町の建設は1020年に完了し,ムンドゥハンカムランと名付けられた。   

(註: プランバナン王国並びにペンギン王国に関する記述は,ここで終っている。)   

   

   

   

   

第5章附録註

[1] J. F. Scheltema, Monumental Java, Macmillan, London 1915 (pp.70-75)

[2] PL Narasimham, Ancient Hindu Shrines of Java, in The theosophist 36, Theosophical Soc., Madras, India, 1915; Imperial Japanese Government Railways, An official guide to Eastern Asia: Vol. 5 East Indies. including Philippine Islands, Frenchi Indo‑China, Siam, Malay Peninsula and Dutch East Indies, Tokyo, 1917;

[3] Srima Sugiarti and Aditrijono (translation and summary), Babad Prambanan, Dept. of Education and Culture, Jakarta 1981。ババド(Babad)は日本語の「年代記」の相当する。

[4] Ranggasutrasna (Ki Ngabei), Ranggasutrasna (Raden Ngabei), Paku Buwana IV (Sunan of Surakarta), Darusuprapta, Tim Penyadur, Centhini, Tambangraras‑ Amongraga Jilid 3, Balai Pustaka,(1999) ロロ・ジョングランの石像ができた経緯についてのみ記すと,「999体のチャンディを作ったラデン・バンドゥンから約束(結婚)を果すよう求められ,城から逃出したロロ・ジョングランが,立ち竦んで祈る姿勢で捕らえられると,一瞬の静寂の後,彼女は,四臂の石像と化した。」とあって,本章の第一,第二の話の何れとも異なる。

[5] 原文の that monarch@は多少曖昧だが,ペンギン王と解釈される。

[6] 原典では legen-drawer。椰子の一種の花梗の切口から出る液体は,椰子酒並びに砂糖の製造に用いられ,また,そのまま飲用に供せられる。

[7] この部分原文意味不明であったが,明らかに誤植(語句の脱落)があったと見做して,斯様に解釈した。

[8] 原文は文法的に不完全であるため,誰を推薦したか不明。文脈からは,バンバン・カンディララスに相違ない。

[9] 原典脚注: これが最後ではない。この伝説にあるように,ラトゥ・ボコの呻声は,ポウィニヤン湖の住民のいうことを信ずるなら,今も毎晩聞えるという。

[10] 原典脚注: 「ボンドウォソの呪いは恐ろしい効果を放ち,付近のジャワ人の少女たちは,14歳位の婚期に至っても,(結婚するのに)何の代償を求めることなく10回ほどの雨期を遣り過ごさねばならないと言う。」 これは,ロロ・ジョングランの例に倣ったものと想像されるが,彼女の少女時代はセウ寺院年代記(Babad Chandi Sewu)によれば,そうではなかった。

[11] ジャワ暦は伝統的なパウコン(Pawkon,1年210日)暦とイスラム暦(太陽暦1年364日)を組合せた暦で,1633年にスルタン・アグンによって定められた。パウコン暦にはウク(Wuku,7日曜)とパサラン(Pasaran,5日曜)で構成され,ウク30週が1年(210日)を成す。太陽暦は8年で1サイクル(Windu)ウィンドゥを成す。(Windu)ウィンドゥを成す(Eric Oey ed., Java (Periplus Adventure Guide), Periplus (HK) 1997 参照)。文中の語の意味は以下の通りである。ワウ(Wawu) =ウィンドゥ第7年),ウク・マダンクンガン(wuku Madhangkungan)=ウク第20週),ルワー(Ruwah)=太陰暦8月,クリウォン(Kliwon)=パサラン第5日,カミス(Kamis)=ウク第5日)。

[12] 原文の764年は誤植と思われる (Nancy K. Florida, Javanese Literature in Surakarta Manuscripts, Vol. 2: Manuscripts of the Mangkunagaran Palace, Cornell University Southeast Asia Program Publications, 2000の中の,Serat Poncadriya dumugi Raja Erayana: Wlnastan Kintaka Maharana=Pustaka Raja Madya を参照して訂正。)

[13] Raksasa。ここでは仏教でいう「羅刹天(らせつてん)」と関係なく,「巨人」の意。

[14] 文脈から判断すると,「誤報」に相違ない。

[15] この段落は解釈困難である。

[16] ミスプリントと思われる。