Foreword  by Prof. Malcolm R. Mackley  

    The “Java Quest” written by Toshi Iguchi is a synthesis of his own initial interest and then total fascination with Indonesia. His scientific training and curiosity set him on a path to discover something about this country whose history has not been particularly well studied in the past. He became intrigued by the ancient architecture which in turn resulted in proving the origins of earlier Indonesian cultures.   

    On reading the essays I was surprised to learn that so little was known about the history of such an important country. Using his scientific background and command of many different languages, Toshi delves into Indonesia’s past and bravely tries to understand some of the links between different people, places and remaining monuments. There are uncertainties in some of his conjectures, however, his writing forms a basis for discussion and perhaps a starting point for future generations to prove him right or wrong.   

    Toshi was trained as a scientist and became a historian of Indonesia. His interest in the country is profound and he has studied its history as an academic, as an enthusiast, as a scientist and above all as someone with a passion that developed from spending time living in the country.   

    The first chapter of the “Java Quest” is a resume of the history of Java and this provides useful information on the way different dynasties have ruled different parts of the island for the last two thousand years. The next two chapters concern themselves with the birth of Jagatara and the subsequent emergence of Jakarta as we know it today. This is not told in a simple factual way, but by means of a number of stories, or essays relating to facts and legends surrounding the city and its life. A quite different chapter then follows the uncovering of ancient monuments throughout Java and here it is obvious that Toshi Iguchi has a particular mission in trying to understand just who and why many of these monuments were built. Subsequent chapters examine the spiritual life, myths, poetry and even theatre of Indonesia in an attempt to paint a picture of the country in the past.   

    The stories are both illuminating and informative. The book contains many illustrations and this gives vitality to these essays. As a scientist Toshi is familiar with telling scientific stories with the aid of figures and diagrams. As a historian of Indonesia he uses a multitude of past drawings, pictures and scripts to help the reader appreciate the story he is telling.   

    Our first meeting was in 1996 when he masterminded a “Green Polymer Workshop” centred at Bandung. and this was also my first exposure to Indonesia. Subsequently a friendship that initially centred around our common scientific interest in polymers developed and then broadened to an appreciation of his profound interest in the importance of history and in particular his fascination with all things Indonesian. The “Java Quest” is a central part of Toshi’s life and I very much hope readers will enjoy learning about the history of Indonesia from his unique approach, style and passion for this subject.   

 Malcolm Mackley,   

Cambridge,   

 United Kingdom    

 May 2013  

       

   

(Foreword 和訳)   

はしがき   

    トシ・イグチに依るこの「ジャワ探究」は,インドネシアについての彼が初期に抱いた興味と後に全面的に受けた魅惑との統合である。彼の受けた科学的訓練と好奇心は,過去に特段十分には研究されたことのなかったこの国の歴史について,何かを発見する細道に彼を置いた。彼は太古の建造物に魅せられ,後に初期インドネシア文化の根源を明かす結果となった。   

    このエッセイを読んで,私は斯様な重要な国について僅かばかりのことしか知られていなかったことを学んで驚嘆した。トシは彼の科学的予備知識と多くの異言語の駆使によって,インドネシアの過去を探求し,異なる人々,場所および記念物の間の関連を理解せんと果敢に試みた。彼の推論には不確かさがあるものの,彼の記述は様々な議論の基を形成し,恐らく後の世代の者が彼の正否を証す出発点ともなろう。   

    トシは科学者として訓練を受け,インドネシア史家となった。彼の此の国に関する興味は深遠で,彼はその歴史を,一学究として,一情熱家として,そして何にも増して此の国に住んで時を過したことから芽生えた熱愛を持つ者として研究した。   

    「ジャワ探究」の最初の章はジャワ史の概略であって,彼は過去二千年間に異なる王朝が此の島の異なる地域を支配した道程に有用な情報を与える。次の2つの章は「ジャガタラ」の誕生と今日我々が知るジャカルタの出現に関る。これは単純な事実の列記ではなく,この都市とその生命に纏る史実や伝承に関連する物語やエッセイをもって語られる。次に続く章は趣を異にしてジャワにおける太古の記念物の発見に関り,トシ・イグチは,明らかに,誰が何のためにこれらの記念物を建てたかを理解せんとする格別の使命を持った。以下の章(複数)では,この国の過去の姿の描写を試みんと,精神的息吹,神話,詩歌,果ては演劇を考察する。   

    物語は啓蒙的かつ教育的である。本書には多くのイラストが含まれ,それらは随筆に活力を与えている。トシは科学者として科学的な話を図表を用いて語ることに慣れ親しんでいる。インドネシア史家として,彼は読者が彼の語る話を理解するのを助けるため,夥多の過去の絵画,写真,文書を用いている。   

    彼と私の最初の出会いは,1996年,彼がバンドンを中心とした「グリーンポリマーワークショップ」を発案したときで,これは私が初めてインドネシアに身を曝した機会でもあった。爾来(じらい),我々の間には共通の科学的関心事を中心とする友人関係が発展,それは歴史の重要性に関する彼の深い興味,就中(なかんずく),インドネシアのあらゆる事柄への彼の感銘に対する理解へと拡幅した。この「ジャワ探究」はトシの人生の中心部分であって,彼のユニークなアプローチ,スタイルおよび本主題に関する情熱から,読者がインドネシアの歴史について楽しんで学ばれることを期待する。   

マルコム・マックレイ   

ケンブリッジ   

連邦王国   

2013年5月   

      

      

まえがき   

    ジャワは赤道僅か南に位置する日本の本州の約60%の面積を持つ島である。自然科学の一分野に身を染め,国立研究機関に職を奉じた筆者が始めてこの地を踏んだのは丁度30年前のこと,僅か数日間の出張ではあったが,それまで北半球中緯度帯のヨーロッパと北アメリカしか訪れたことのなかった者にとっては世界が二次元に広がったように感ぜられた。それは熱帯の豊かな自然を目にしたからばかりではなく,南国の大らかな気質の人々に会い,彼らによって育まれた固有の文物の一端に触れ得たからであった。その後,神の命によるものか,バンドン市に出向して2年間滞在することとなり,定年後には海外派遣研究員のフェローシップを授かって3年間をボゴールの研究所で過した。退職後は暫く国内外の大学の客員などを務めさせても頂いたが,ジャワの二千年の歴史と華麗な文化への思いが募り,その後は,専門の高分子科学は勝手に卒業させて貰って,新たな勉強に勤しんだ。幸にも時は異分野の勉学に味方した。インターネットが普及したお陰で,門外漢にも他分野の知識へのアクセスが,また世界中の書店にある新書,古書の検索,入手が可能になったし,電子メールという手段によって,インドネシアの友人に資料の探索や文献中の不明な箇所についての解釈を随時お願いすることも容易となった。本職を離れて時間の自由を得,時折現地に赴いて遺跡や博物館を訪ねたり,専門家の教えを乞うこともできた。就中,インドネシア国立博物館学芸員ラデン・アユー・ミセス・エコワティ・スンダリ文学修士からは,インドネシア在住時以来,書物にないことをも含め,多くのことを教った。   

    本職を離れて最初に手掛けたのは,往年の徳川義親公の名著「じゃがたら紀行」,郷土出版社,1931 の英訳書   

Marquis Tokugawa (translated by M. Iguchi, Journeys to Java,     

ITB Press, Bandung 2004, IBSN 979-3507-25-x   

の上梓であった。   

    同書の初稿は1966年,インドネシア・バンドンで開催された国際研究集会の準備に参画した筆者が,内外からの参加者にジャワを紹介するための資料として準備したもので,中味は原著のマラヤに関する部分を除く大半の訳文に訳者による緒言と若干の脚注を添えたものであった。同稿は Travels around Java in the 1920s と題し,徳川黎明會の名義を借りた私本として印刷,配布されたが,公刊に当っては,尾張徳川家の方々の全面的御支持を受けて旧稿を全面的に改訂,訳注の充実を図るとともに,原作と同時代の古写真を蒐集した附録を加えた。同書は,筆者の若きインドネシアの友人によって同国語に転訳され,2年後に   

Marquis Tokugawa (diterjemahkan oleh Ririn Anggraeni dan Apriyanty Isanasai), Perdjalanan menoejoe Djawa,Penerbit ITB,Bandung 2006, IBSN 979-3507-87-x   

として上梓された。   

    筆者をして本書「ジャワ探究」執筆に駆立てた裏には,上述の「じゃがたら紀行」に溢れる華族であり歴史学者であり自然科学者(生物学者)でもあった原著者の卓抜な識見と緻密な洞察,ならびに訳者によって加えられた緒言,注釈などに関心を抱いた内外の友人達から,「今度は自分自身のエッセイを書け」との命令ともとれる注文を受けた事情もあったが,ジャワに関する既存の出版物に,様々な意味で「飽き足らなさ」を感じたことも大なる理由であった。   

    戦前には,上述「じゃがたら紀行」のほか,竹越與三郎「南国記」二酉社(1910),小林一三「蘭印を斯く見たり」斗南書院(1941)などといった,格調高く且つ一般人が取付き易い名著があったが,現在に至っては時代錯誤的部分あること否めず,それらは絶版になってもいる。事情は外国書においても然りで,Frank G. Carpenter,Java and the East Indies (1928),J. F. Scheltema,Monumental Java (1928),John C. van Dyke,In Java and the Neighboring Islands of the Dutch East Indies (1929)などは殆ど忘却されている。現在,限られたテーマに関しては,幾つかの学術書が存在するが,読者がそれらの内容を脳内で纏め,総括的ジャワ史として理解するのは容易ではない。一般書の場合,当然と言えば当然であるが,事変,事象を原典に照らして記述したものは皆無に近く,中には読者に誤った知識,偏った見方を与え兼ねないものすら存在する。旅行案内書としては,往時,   

鐵道院編, An official guide to Eastern Asia: Trans-continental connections between Europe and Asia,全5巻 (1913-1927)   

なる名著,現在の世界の古本市場で驚くほどのプレミアムを付けている書も刊行されたが,その伝統は今何処,現代日本のガイドブックといえば,全ページに極彩色の画像を配して,恰も余白を文字で埋めた如きものばかり,説明といえば由来不明のコピーのコピーが殆どである。中には「バリとインドネシア」という不思議な題名のものも存在する(因みに,バリはインドネシア共和国を構成する州のひとつに過ぎない)。西洋の言語あるいはインドネシア語で書かれた案内書は数多存在するが,クウォリティは千差万別であって,優れた本を選び出すことすら至難に等しい。   

    とは申せ,本書は,ジャワ島に居住した筆者の経験,書物を通して得た知識,屡々ジャワを訪れて歴史遺跡等を調査した内容ならびに現地の友人および専門家と交した会話,更には旧宗主国であったオランダの友人の視点などを糧として,自らが選んだテーマに関して書下ろしたエッセイ数篇を束ねたものに過ぎない(各篇に含まれる事項は序章末に列記する。)冒頭には「ジャワ」なる語の由来とジャワ史の俯瞰を内容とする序章を設けたが,斯かる分野に公認の資格を持たない筆者には,それを補間,敷衍した学術書または教科書的なものを作る意図はさらさらなかった。本文中の事変,事象に関しては能う限り文献を参照し,随所に筆者独自の解釈または見解を含めたが,それは,分野こそ異なれ,長年に亙って学術的研究に携わった筆者の習性によるものであり,同時に本書が一般読者のための読物に留まらず,学究の人々の参考にも供せられたいという願望があったからに他ならない。   

    文体は序章ならびに一部の附録を除いて,全て口語体とし,各章には敢えて節を設けなかった。その理由は項目の拾い読みではなく,読者が,テーマ毎の全文を読み通すことによって該テーマに関する理解を得られたいとの筆者の願いによるに他ならず,同じ理由でもって,挿入図面の数は極力制限した。   

    本文中には,記述の不足を補うため,あるいは根拠を示すため多数の脚注を付した(各章毎に番号付け)。本書の末尾には,参考文献リストと索引を設けた。参考文献,就中書籍に関しては筆者が最初から最後まで読み通すことなく部分的に参照したものも多々含めたが,敢えて読者の参考に供したいと欲する所以である。日本語,英語以外のものについては,簡単な解題を付した。   

    本書の草稿は筆者の友人数人の閲読に供され,旧通商産業省工業技術院在勤時代の同僚であった上野勝彦博士からは綿密な校正を,出版に向けては学習院大学史学館助教鎌田純子女史ならびに旧友保科芳夫,北野利男両氏等から多大の激励を賜った。同草稿は日本語と並行して英語でも書かれて,英国,オランダおよびインドネシアの友人に呈せられ,ケンブリッジ大学名誉教授 Malcolm R. Mackley博士から全ページに亙る校正を賜った。英文稿もまた,世界の何処かの出版社から刊行されることを筆者は希う。Mackley博士からは,本書の冒頭を飾る「はしがき」の寄稿をも頂戴した。数多の挿入画像に関しては,版権を所有する団体,出版社ならびに個人から原図の提供,または出版物あるいはウェブ画面からの複写の許可を頂いた。   

    本書の出版に当っては,丸善プラネット株式会社統括部長白石好男氏から適切な御示唆を,戸辺幸美氏から可能な限りの御便宜を賜った。組版は筆者自身の手によって行われたが,挿入画像の調整等に関して富士美術印刷株式会社大田原純氏の助力を仰いだ。これら全ての方々に深甚の謝意を表する。   

    読者諸兄におかれては,率直な御叱正と御批判をお寄せ賜れるよう希う。   

平成25年5月   

東京練馬石神井の寓にて,著者識   

   

   

註:本書における外国語, 就中, 現地語単語のカナ表記   

    サンスクリットの流れを汲むインドネシア語には, 欧州言語と同様 'ℓ’ と ‘r’ に独立した音があるが, 日本語には区別がないので, 止む無く両方にラ行文字を充てる。筆者の知る例外は, 伝説の姫ジョングラン(Jonggrang)の尊称(英語の Lady に近い)であって, 書物によって Loro, Rara などとあるが, 本書では敢へて統一せず, 参照した原著に従って, ロロ, ララなどと記す。   

    現地語では, 固有名詞の中の母音 a と o が入替ることがある。概してスンダで a が, ジャワ(中部ジャワおよび東ジャワ)で o が用いられるが, 必ずしもそうとは限らず, 例えば, 寺院の名 Borobudur が Barabudur,  伝説の王の名 Boko が Baka と書かれるなどの例がある。本書では, 原著を尊重して, これらも, ボロブドゥール, バラブドゥール, ボコ, バカなどと記す。   

    ‘e’ には teh(=tea, 茶) の如く, 英語の ten の [e] に近い発音の場合のほか, Merapi (山名), besar(大きいの意の形容詞)などの場合のように, 無声音に近い場合がある。実際には英語の open や often の [ə] に近い弱音であるが, ムラピ, ブサールなどと表記する。日本の書籍や記事には, Gamelan(ジャワ伝統オーケストラ)が ガラン, Pekalongan(地名)が カロンガン などと書かれた例が散見されるが, 本書では原語の音に近い ガラン, カロンガン などを採る。   

    子音 ‘c’ は, イタリア語の c と同様, 英語の ch の音であるから, candi(古代寺院)はチャンディ, Ciliwung(川名)はチリウンなどと記す。因みに ‘c’ には, 以前はオランダ式の ‘tj’ が用いられたので, 人名や古い文書にはこの綴りが見られる。   

    母音 ‘u’ の綴りには, 嘗てはオランダ式の ‘oe’ が用いられたので, 古い文書や人名にはこの綴りが見られる。   

    語尾の ‘ng’ は, ‘g’ の音(鼻音)を無視して「ン」で表す。例えば, gunung(山), wayang(影絵人形劇)は, グヌン, ワヤンと記す。   

    語尾の子音, k, p, t などの音は微弱で, 例えば Salak(山名), cap(スタンプ, マークの意), Bubat(地名)等の場合, 日本人の耳には, サラ, チャ, ブバッ の如く聞えるが, 敢えて, サラッ, チャッ, ブバッ 等と記す。但し, Garut(地名)については, 耳に響く通り, ガルー と記し, Galuh(地名)との混同を避けるため, 原語綴りを括弧で付ける。Mendut(寺院)も, 例外的に ムンドゥ と記す。   

    日本では戦後の国語簡素化で, 濁音の「ヅ」は殆ど使われなくなったが, Hindu のように, 元が du の場合には, 「ヅ」を用いる。但し, 一般的には di, du は, ディ, ドゥ で表す。地名 Bandung は「バンドン」が日本語として定着しているので, その限りでない。   

    ワ行の 「ヰ」, 「ヱ」, 「ヲ」 は殆ど死文字化しているので, wi, we, wo は, ウィ, ウェ, ウォ で表す。   

    原語がオランダ語の場合, 例えば Batavia を, バタビアなどと書いた邦書もあるが, 本書では原音に近いバタフィアを採る。また, オランダ東印度会社の略称 VOC をブイ・オー・シーと書かれる例もあるが, 本書ではフェー・オー・セーと記す。   

    都市名 Yogyakarta(旧綴り Jogjakarta)を 「ジョジャカルタ」と記す例もあるが, g は母音を伴わない鼻音である故, 「ジョジャカルタ」と記す。   

   

 

   

目次   

(表紙ジャケット,表紙,書誌等)

Foreword by Prof. Malcolm. R. Mackley   

          (Foreword和訳) はしがき   

まえがき   

          註:本書における, 外国語, 取分け現地語単語のカナ表記   

序章   ジャワ史概観   

          附録 ジャワ史年表     

第1章 お春の渡ったジャガタラ     

          ジャカルタ地図   

第2章 ジャガタラ異聞   

第3章 太古の石碑―タルマ国のプラサスティ   

          附録(1) ヒンヅー暦/サカ暦   

          附録(2) 西ジャワの王統   

第4章 パジャジャラン国―スンダの人々の心の古里   

第5章 マタラム-神仏の坐す母なる地   

          附録 ロロ・ジョングラン伝説   

第6章 ジャワの文華―詩歌と演劇  

         附録 ジャヤバヤ王の予言   

参考文献   

(裏表紙ジャケット)