序章附録   

ジャワ史年表   

 

西暦

西ジャワ

西暦

中部ジャワ/東ジャワ

 

 

78

アジ・サカ一行,インドから渡来し文明(仏教,文字,暦など)を齎す。末路は不明。

130

デワワルマン1世,インドから渡来し,西ジャワ西部にサラカナガラ(サラカ国)建国(→363)。

 

 

358

ジャヤシンガーワルマン,サラカナガラの遺産を継承し,西ジャワ中部にタルマナガラ(タルマ国)建国(→669)。数個の石碑現存。宋書(420-479)「列傳」に記載の「呵羅單國」は,都がアルトゥン川上流(現チアンペア村)に存在したことを示唆(筆者推測)。舊唐書(618-907)「列傳」に「多羅磨」の地名。

 

 

526

タルマナガラ第7代スルヤワルマン王の女婿マニクマヤ,東方のケンダン(現在のバンドン東郊)にケンダン国建国(→852)。

 

 

612

ケンダン第4代ウレティカンダユン,都を更に東方のガルー(現チオマス付近)に移す

 

 

 

 

648

インド出身のカルティケヤシンガー,ケリン(カリンガ)国建国。舊唐書列傳に記載の「訶陵國」はこの国に相当(筆者推測)。都は恐らく中部ジャワ北部。

666

タルマナガラ第12代リンガワルマンの女婿タルスバワ,スンダ国建国(→1482)。都は恐らく現ボゴール。

 

 

 

 

674

カルティケヤシンガー王崩御,妻のシマ(舊唐書列傳の「悉莫」)が女王となる。

709

ガルーの王子セナ即位(妻は中部ジャワ・カリンガの女王シマの孫娘サンナハ)。サンジャヤ・ハリスダルマ誕生。723年,サンジャヤはスンダ国初代の孫娘と結婚してスンダ第2代王となる。ガルー王を兼ねる。

 

 

 

 

c725

スレンドラ(サイレンドラ),サイレンドラ国を建てる(出身は恐らくスマトラ)。

 

 

732

西ジャワのサンジャヤ,中部ジャワに移ってケリン国シマの曾孫を娶り遺産を継承,一帯を平定してサンジャヤ国を建てる。

 

 

745

ガジャヤナ(シマの曾孫でサンジャヤの義兄弟),東ジャワ(現マラン付近)にカンジュルハン王国建国。新唐書の「其祖吉延東遷」に相当するとみられる。

 

 

c752

サイレンドラ第2代バーヌ即位。

 

 

760

サンジャヤ第2代パナンカラン即位。妻はサイレンドラの王女。778 カラサン寺院起工(竣工年不詳)。

 

 

782

サイレンドラ第3代インドラ即位。この王の時代に,ムンドゥ寺院建立,ボロブドゥール寺院起工。

 

 

812

サイレンドラ第4代サマラトゥンガ即位。妻はシュリヴィジャヤのターラ王女。

 

 

824

ボロブドゥール寺院竣工

 

 

828

サイレンドラのプラモダワルダニ王女,サンジャヤのラカイ・ピカタン王子と結婚

 

 

832

サイレンドラのサマラトゥンガ薨じ,サイレンドラ国はサンジャヤ国と合邦。

 

 

838

ラカイ・ピカタン,サンジャヤ王に即位。

 

 

850

サイレンドラのバーラタプトゥラ王子,義兄ラカイ・ピカタンと争った後,母の里スマトラのスリヴィジャヤに移って,サイレンドラ王を名乗る。

 

 

856

プランバナン寺院建立。

 

 

898

ラカイ・ワトゥクラ(=ディア・バリトゥン)即位。碑文に影絵劇ワヤン上演,ラーマーヤナ朗詠,舞踊披露などの記録。

 

 

929

サンジャヤ国のムプ・シンドク,東ジャワ中部メダンに遷都,イシャナ朝開朝。

 

 

1006

メダン,シュリヴィジャヤの攻撃で落城。バリの王子アイルランガ,メダンの王女を伴って避難。

 

 

1019

アイルランガ挙兵,乱れた国を平定し,ジャワの王となる。

 

 

1035

アイルランガの頌歌「カカウィン・アルジュナウィワハ」書かれる。

 

 

1037

アイルランガ,東ジャワ西部カフリパンにクディリ王国建国。文学にも配意。

 

 

1135

クディリ第3代ジャヤバヤ即位。文学栄え,バーラタユッダ,クリシュナヤーナ,ボーマンタカ等のカカウィン書かれる。

 

 

1185

クルタジャヤ即位(→1222)。暴君。

 

 

1222

ケン・アロック,クディリ国内トゥマペル(現マラン付近)の領主トゥンガル・アメトゥンを討ち,アメトゥンが拉致して妻としていた仏教聖者の娘ケン・デデスを娶る。次いでクディリを征服して,シンガサーリ国を建国。

 

 

1247

ケン・アロック,トゥンガル・アメトゥンの忘れ形見アヌサパティに暗殺される。

 

 

1268

シンガサーリ第5代のクルタネガラ即位。この王の時代,シンガサーリ絶頂期。元のクビライ・カーンが求める朝貢を2度拒否。

1292

マルコ・ポーロ,スマトラ(小ジャワ)に寄留,大ジャワ(ジャワ)に関する伝聞を聞く(ヴェネツィアに帰国後,イル・ミリオーネを著す)。

1292

5月,シンガサーリ支配下クディリ代官ジャヤカトゥワン,クルタナガラを暗殺。シンガサーリ終焉。

 

 

 

11月,来襲した元軍,ジャヤカトゥワンを屠る。この機に,ラデン・ウィジャヤ(ケン・アロック/ケン・デデスの曾孫)元軍を撃払い,マジャパヒト建国。

 

 

1328

第3代トゥンガデウィ女王即位(→1351)。パナタラン寺院拡充。

1333

西ジャワ東部にカワリ王国分立。

 

 

 

 

1350

マジャパヒト第4代ハヤム・ウルク即位。宰相ガジャ・マダの貢献あって国威発揚。史書(地誌)「デサワルナーナ(別名ナーガラクルターガマ)」書かれる

1355

ブバト悲劇。婚礼のため娘ディア・ピタロカらを伴ってマジャパヒトを訪れたカワリ王リンガブアナ一行,ガジャ・マダの姦計により戦を強いられ全員討死。女性も殉死。

1355

マジャパヒト王ハヤム・ウルクがカワリ第2代リンガブアナ王の娘ディア・ピタロカに求婚。.

1355

カワリ王弟スラディパティ就位,国体維持。

 

 

 

 

1389

ハヤム・ウルク崩御。後に王位継承争い。

 

 

1416

馬歡著「瀛涯勝覧」に爪哇國(マジャパヒト)国情の詳細な記述。

 

 

1475

ラデン・パター,イスラム国ドゥマック建国。

 

 

1475

マジャパヒト終焉

1482

カワリ第6代デワニスカラの女婿スリ・バドゥガ(通称シリワンギ),西ジャワ統一,パジャジャラン国建国。王都パクアン(現ボゴール)。この頃長編詩「ブジャンガ・マニク物語」,数多のシリワンギ物語書かれる。

 

 

1513

ポルトガル船初到来(スンダクラパ港)。

 

 

1522

パジャジャラン・ポルトガル防衛協定(対イスラム,効果なさず)。

 

 

1526

ファタヒラー率いるイスラム教徒によりバンテン陥落。

 

 

1521

パジャジャラン第2代スラウィセサ即位。

 

 

1527

スンダクラパ陥落。

 

 

1533

スラウィセサ,スリ・バドゥガ顕彰碑(バトゥ・トゥリス)を建てる。

 

 

1552

シャリフ・ヒダヤット(スリ・バドゥガの孫,イスラム教徒)チレボンのパジャジャランからの独立を宣言。

 

 

1579

パクアン陥落,パジャジャラン滅亡。国宝スメダンラランに移転,秘匿される。

 

 

 

 

1584

マジャパヒトの末裔パネムバハン・スノパティ,スルタンを名乗りパジャン(現在のソロ近郊)に新マタラム国建国。

1595

オランダ船初到来,バンテンに寄港。

 

 

1603

VOC(オランダ東インド会社)設立。

 

 

1611

VOC,ジャヤカルタに城砦建設。

 

 

 

 

1616

スルタン・アグン・ハニョクロクスモ即位,カルタスラに王都。国土拡大。

1619

英・バンテン連合ジャヤカルタ占領,VOCのJ. P. クーン総督が奪還。

 

 

1621

ジャヤカルタ,バタフィアと改名。バタフィア砦建設。バタフィア都市計画。

 

 

1628   

-29

バタフィア,マララム王スルタン・アグンの攻略を2度受けるも,それに耐える。

1628   

-29

スルタン・アグン,バタフィアに2度遠征(失敗)。

1632

十字教会建立。

 

 

1640

日本から追放のジャガタラお春ら蘭英人子女バタフィア着。

 

 

1698

チレボンでワングサクルタ王子チームにより「列島列王記」等の歴史叢書完成。

 

 

1710

バタフィア市庁舎改築(現・歴史博物館)。

 

 

1722

ピーター・エルベルフェルド反逆事件(未遂)。

 

 

1740

シナ人大暴動。

 

 

 

 

1743

バタフィアのシナ人暴動の影響(シナ人流入)による混乱後,新マタラムのパクブウォノ二世,スラカルタ(ソロ)に新都。

 

 

1755

ジャワ継承戦争(王位を巡る内乱)の果て,VOCの調停により新マタラム国は,ススフナン家(ソロ)とスルタン家(ジョクジャカルタ)に二分割。以後国情安定し,両家で史学,文学,芸術興隆。ワヤン・クリット洗練,舞台劇ワヤン・ワング,宮廷舞踊(スリンピ,ブドヨ)創始。

1744

ファン・インホフ総督,バイテンゾルフ(現ボゴール)に私的別荘を設ける(1870 東インド総督公邸となる)。

 

 

1799

VOC破産。

 

 

1808

フランス支配下オランダのデーンデルス総督着任,バタフィア改造,ジャワ縦貫道路建設。

1810

バンドン市(要塞)建設。デーンデルス解任され,ヤンセンス将軍が後任。

1811

ミント卿率いる英軍ジャワ占領,スタンフォード・ラッフルス副総督支配。

1815

ウィーン条約でジャワ(および属領)オランダに返還。蘭領東インド政府発足。

1825

ジャワ戦争(ディポネゴロ反乱→1830)。

1901

蘭領東インド政府,女王の命により「倫理政策」施行(原住民の教育,医療,福祉を増進)。

1922

東インド,蘭領ギアナ(スリナム)およびキュラソー島,憲法上ネーデルラントと同格となる。

1942

東インド全域,大東亜戦争で日本軍に占領される(1945年8月15日終戦まで)。

1945

8月17日,インドネシア独立宣言(1949年12月27日ハーグ円卓会議で承認)。