To English

文學精読: 果心居士

イントロダクション

 

井口正俊

 

 

   

小説『神々の微笑』(1922)の終章で,芥川龍之介は南蠻寺の Padre Organtino について次のやうに書いてゐる。「悠々とアビトの裾を引いた鼻の高い紅毛人は,黄昏の光の漂つた,架空の月桂や薔薇の中から,一双の屏風へ歸つて行つた。南蠻船入津の圖を描いた三世紀以前の古屏風へ。」 (本ウェブページの別項参照)

  

この情景は,ラフカディオ・ハーンの小説「果心居士のはなし」(1901) [1] のエピローグの,天正時代(1573〜1591)に京都に頻繁に出没した謎の僧が終には明智光秀の館で八曲屛風に描かれた近江八景の繪の中の小舟を招き寄せ,部屋が腰の高さの洪水で溢れて人々が驚く中で,その舟に乗込んで姿を消したとの記述を想起させ,芥川が自分の物語の終結にハーンのアイデアを真似たものと想像させた。實際,芥川は果心居士を意識し,『煙草と惡魔』(1916) [2] の中に,「松永彈正を飜弄した例の果心居士と云ふ男は,この惡魔(フランシスコ・ザビエルとともに日本に渡來した)だと云ふ説もあるが,これはラフカデイオ・ヘルン先生が書いてゐるから,ここには,御免を蒙る事にしよう。」と書いてゐる。

  

アイルランド人の父とギリシャ人の母を持つイギリス人作家で,日本の文化と文學を西洋に紹介したラフカディオ・ハーン(1850-1904)は,日本に來て,島根県松江の士族小泉家の娘のセツと結婚して得た小泉八雲という日本名で知られ,彼の作品は學校の教科書にも採用されてゐる。私は過去数年間,果心居士の話を,パソコンと携帯電話に保存した音声ファイルによって,日本語の朗読で幾度も聞いた。日本語のテキストはハーン自身が書いたものだと思ってゐたが,最近になって,彼の弟子(田部隆次教授)による翻譯 [3] であったこと,ならびに果心居士の話は,傳承傳説の類を基にした創作ではなく,石川鴻齋の漢文小説集『夜窓鬼談』(1889刊) [4] の中の確固たる一作品,「果心居士黄昏艸」の翻案であったことを知った。また「果心居士のはなし」ほかの幾篇かの作品を讀んで,彼の日本語讀解力のレベルは,ドナルド・キーン教授やロバート・キャンベル教授の如き著名な日本學者 ── 彼らの日本語は完璧以上である ── に比べて遥かに低かったであらうと想像した。私見ではあるが,石川鴻齋の「果心居士黄昏艸」とハーンの “Story of Kwasin Koji”を詳しく比較すれば明らかなやうに,前者の高い文學的価値が後者に正当に引継がれたとは思はれない。

  

果心居士の話は他の本にも書かれてゐる。芥川が言及した果心居士が松永彈正を騙した(彼の亡き妻に變身した)との逸話は,中山三柳が1670年(寛文10年)に書いた『醍醐随筆』 [5] ならびに林義端が1696年(元禄9年)に刊行した怪談書,『玉箒子(たまははき)』 [6] に見られる。但しラフカディオ・ハーンが果心居士をキリスト教の悪魔と同一視したことを書いた記事を私は捜し得てゐない。

   

玉箒子には,(i)果心居士が登ること不可能な高い塔の上で辺りを眺めていた,(ii)笹の葉を魚に變えた,(iii)果心居士が(不特定の飲み会で),呪文を唱へ,扇を振って洪水を引き起こした,といった他の果心魔術も含まれてゐる。

  

1749年に出版された講釈師・瑞龍軒恕翁の『虚實雜談集』 [7] には以下の噺がある。豊臣秀吉の時代,昼を夜に變えることのできる果心居士といふ男がゐた。彼は秀吉が嚴に秘めてゐた或る女との關係ついて明かしたので捕縛され獄に入れられたが,獄吏に縄を少し緩めるやうに頼み,鼠に化けて鳶に拾はれて脱出した。

   

文禄の頃,1590年代に愚軒が編纂した『義殘後覺』[8] には,次のようなエピソードが書かれてゐる。(i) 果心居士が筑紫から上方に來て伏見の能楽を見物に行った時のこと,舞台の前が混雑してゐたので自分の首を摩って頭を二尺に伸ばしたので,観客のみならず俳優たちまでもが彼を見に來た。(ii) 廣島では借金取りに返濟を迫られたが,他人に變装して逃げた。(iii)戸田の出羽という著名な兵法家を訪ねたとき,劍の試合に勝利した。戸田と七人の弟子が総掛りで對戰したが,試合中果心居士が自分の姿を不可視と化したので,勝負は同じ結果に終った。

  

石川鴻齋の漢文小説集『夜窓鬼話』の中の「果心居士黄昏艸」については,ロバート・キャンベル教授によってなされた和讀がある[9]。原文に含まれる數多の語句や文節に教授の日本文學に關する蘊蓄を注いで付けられた校註は極めて充實したものであって,原著者石川鴻齋が古典をに關する膨大な知識を有して,それらを暗黙に引用してゐたことをも証してゐる。このウェブページに載せる「The Story of Kwashin Koji/果心居士」には上記キャンベル教授の校註の一部を引用する。猶, 「果心居士黄昏艸」の私による英譯(試譯)を英語ページに載せた。

  

因みに,現代作家の司馬遼太郎の作品に1961年が著はした『果心居士の幻術』 [10] というタイトルの歴史小説があるが,これには夜窓鬼談の話は含まれてゐない。

  

  

このWebサイトは,以下に記事を載せる。

1. イントロダクション (本記事),

2. The Story of Kwashin Koji, Lafcdio Hearn(1901)/田部隆二による日本語譯*

3. 『夜窓鬼談』:「果心居士黄昏艸」の漢文テキスト,

4. 『夜窓鬼談』:「果心居士黄昏艸」のロバート・キャンベル教授による和讀/ 井口正俊による英(試),

5. 參考畫像.

*ハーンの “The Story of Kwashin Koji” には,平井貞一譯(『日本雑記他』,恒文社1975) もあるが,田部隆二譯の方が,より逐語的である。

       

2022年3月

  

  


[1] “The story of Kwashin Koji”, in: Lafcadio Hearn, Japanese Miscellany, Little, Brown, and Company, Boston, MA, 1901, Page 37-51

[2] 芥川龍之介: 『煙草と惡魔』, 新思潮, 11, 1916 (大正5)

[3] ヘルン(著), 田部隆次(譯): 『旅の宿の夜話』, 養徳社, 奈良, 1948)

[4] 石川鴻斎: 『夜窓鬼談』, 東陽堂, 東京1889 (明治22). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/896581. ロバート・キ ャンベル教授による漢文和讀. 池澤一郎, 宮崎修多, 徳田武, ロバート・キャンベル: 『新日本古典文学大系 3 - 明治編』, 岩波書店, 2005 に所収.

[5] 中山三柳:『醍醐随筆』, 1670 (寛文 10). 須永朝彦(編): 『江戸奇談怪談集』, 筑摩書房 2012 に所収.

[6] 林義端; 『玉箒子』, 1696 (元禄9). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533757

[7] 瑞龍軒恕翁: 『虚實雜談集』, 1749. 勝俣基, 木越俊介: 『江戸怪談文芸名作選 5 - 諸国奇談集』, 東京図書刊行会 2019 に所収.

[8] 愚軒(編):『義殘後覺』, 1590s (文禄年間)). 高田衛: 『江戸怪談集』, 岩波書店, 1989 に所収.

須永朝彦(編), 『江戸奇談怪談集』, 筑摩書房 2012

[9] Ref. 5.

[10] 司馬遼太郎: 『果心居士の幻術』, オール読物 1961