To the Original File

名古屋工業大学学報 (Bull. Nagoya Institute of Technology),
1965, No. 17, p.136-143
(Digitised by M. I., November 2020)

   

トマス・ハーディとメルストック合唱隊

綱島 康熙

    

THOMAS HARDY AND THE MELLSTOCK QUIRE

Yasuteru TSUNASHIMA

    

    

In spite of the disheartening result of “Desperate Remedies” which was rather neglected by the general reading public, Hardy, encouraged by his friends who were perspicacious enough to detect in him an unmistakable germ of a future novelist, did not give up writing novels; and he published "Under the Greenwood Tree" in 1872, Herein are discussed some of the main themes of this novel, emphasis being laid upon the decline and fading away of the dear, old Mellstock choir, as seen through Hardy's nostalgic vision.

 

    

    1871年の6月と7月の間,ハーディは作家とも建築家ともどっちつかずの日和見的気分のうちに,クリックメイの為にゴシック建築の設計製図に従事していたが,意気の揚らなかったことは,その頃彼の耽読していた‘マクベス’への余白記入にも窺われる。

“Things at their worst will cease, or else climb upward to what they were before.”(6)

‘最悪の事態は終るであろう,さもなくば過去の状態へと向上するであろう。’

その夏晩く,「緑の森の木の下に」或は「メルストック合唱隊-和蘭派の田園風景画」と彼が名附けた物静かな田園風物誌的小説を彼は書き終えた。これは,未公表に終った「貧乏人と貴婦人」の中の牧歌的風景や運送屋などの田舎人の描写が優れていることを少数の知人に称揚された結果,警ての恩師バーンズ先生の詩境の中にハー ディが題材を求めて出来た作品であって,最初彼は此の物語を「メルストック合唱隊」と名附けるつもりであったが,舞台面から見ても,当時の流行に従って,有名な詩句を表題とするに此の作品は相応しいとの考えから,少年時代にモールから贈られて以来愛誦していた“英国叙情詩集中のシェイクスピアからの文句を題名として 彼が採用したものと推察されるのである。題名は,聖歌 隊衰亡史と牧歌的恋愛物語との二つの要素の結合よりなる此の作品の描写技法が音楽的であり,絵画的であり,且つ劇的であることを示唆している。

    此の原稿もマクミランへ送ったが,マクミラン書店は“ハーディの申し出を利用したい気持に強くなっている”と書いて採用の意志を示していたのに,消極的なハーディは今度も体よくことわって来たものと曲解して原稿を送り返して貰い,彼は小説の創作を永久に断念して今後は建築に専念する旨を相愛のエマ・ギフォード嬢にも伝えた。然し嘗て自分は大作家の妻たるべき人であることを占に予言されていたエマは,超自然的幻想とも呼ばれるべき機敏な本能を以て,彼女が彼の真の天職たるべしと確信している著述を彼が固守することを願望してやまない旨の返事を寄越した。所が,却って,彼との結婚の問題を一言も言わず,ひたすら彼の将来を思ってくれているエマの気心を考えると,建築の方が結婚資金を稼ぐのに明らかに素速い方法であるので,彼は自分の都合よりもエマの利益の方を先ず考えざるを得なくなった。

    かくして建築商売に生きようとして再びロンドンに出掛けた時,彼の畏友モールに街頭でばったり出会った。完全な趣味を持った学者的批評家モールは,作家としてのハーディの潜在的可能性を確信していて,ハーディに決してペンを捨てること勿れと忠告した。だが,皮肉な事に,その頃,文芸の方面では世間的に酷評でいぢめられ,やすやすと買手もつかなかったが,親譲りの建築稼業の方では旺んにハーディに註文が舞い込んで来て,彼は,昼間の時間をロンドンの公立小学校の競争設計図作製でつぶし,それに,時々は恩師ブロムフィールドの許で建築設計の手伝いもしなければならず,又,有名なロンドンの建築家であり英国王立建築家協会のロージャー・スミス教授のお手伝いもおおせつかる仕末であった。エマやモールの忠告がなかったなら,すんでの事でハーディは詩人小説家にならずに,令名高きゴシック建築家になってしまう処であった。だが,結局は出版商売に抜け目のない本屋のティンズレーにすすめられて,郷里から「緑の森の木の下に」の原稿を取りよせ,たった30封度でたたき売りすることとなり,夜間を利用してその校正を行い,遂に1872年5月の最後の過に此の作品は出版されるに到った。「窮余の策」の場合とは異って世間は此の作品を親切にやさしく迎え,アシニーアム誌は,此の物語の中の結婚が完成されるのを見る為には人々は彼等の貴重な時間を割くのを惜しまないであろうとし,ルメル・ガゼット誌は多くの新鮮さと独創性に富む作品として遇した。テニスンやブラウニングも此の小説を一応ほめてはいるが (1) ,此の作品をゲーテの「ヘルマンとドロテア」に比し乍ら賞識したところのサターデー・レヴュー誌に載ったモールの批評は,ハーディを元気づけるための御世辞や仲間ばめの言葉では決してなく,新鋭文芸批評家の正鵠を失わない永却性を持った批評として受け取らるべきものである。

...“Under the Greenwood Tree is filled with touches showing the close sympathy with which the writer has watched the life, not only of his fellow-men in the country hamlets, but of woods and fields and all the outward forms of nature...... Regarded as a whole, the book is one of unusual merit in its own special line, full of humour and keen observation, and with the genuine air of the country breathing through it.” (8)

...“片田舎の村落に於ける彼の仲間達の生活のみならず,森や野原や,あらゆる外形を呈する自然の生活を,密接な共鳴感をもって見守った事を示す筆致で「緑の森の木の下に」は満たされている。......全体として見れば此の本はそれ独特のお得意の方面で異常な長所を持った作品であり,ユーモアと鋭敏な観察に充ちて居り,そして,田舎の純粋な空気が全篇を通じて呼吸している”

としてモールは此の作品を称揚しているのである。

    此の物語の粗筋は,運送屋の枠ディックと裕福な猟場番人チオフレー・デイの娘で,女子師範を出て,検定試験に首席でパスした後,メルストックの教会学校の女教師をしているファンシーとの恋愛事件を中心として進展 しており,ディックがファンシーに魅せられる時,農場 主で教会役員をしているシナーも同様に彼女に対し恋に陥る。ディックは果敢にファンシーの同意を得るが,父 親ディは沢山の金をかけて,鄙では稀な娘に成長した我が子を,身分のよいシナーに嫁がせようとして,ディッ クの申し出を拒絶する。同時に若い素性のよい新任の教 会牧師メイボールドも彼女に引きつけられ,彼女とディックとの間に既に約束のある事を知らないままに,彼女 に結婚を申し込む。ファンシーは将来有為な知的な都会的なメイボールドの申出に眩惑され,浅はかな女心から メイボールドの要求を受け入れる。但しその直後メイールドはディックに会い,ディックは彼とファンシーとの間に婚約のある事を告げる。そこで,教養高き真の紳士であるメイボールドは自らの思いを断念し,一方,ファンシーは魔女の入れ知恵で父親を説き伏せ,ディックと結ばれることとなる。シナーもメイボールドも共に心の底ではファンシーへの恋故に,彼女に教会のオルガンをひかせ,彼女の率いる女生徒達に讃美歌をうたわせて彼女を守り立て彼女の意を迎えようとする。これが由緒あるメルストックの弦楽器合唱隊を歴史的に滅亡させる一因として活用されており,更に,今一つには,美貌で誇高く,著しく衣裳好みで,コケティッシュで,情熱的な浮気なアニー・ローリー的ファンシーその人の経験する複雑な女姓心理の動揺の様相をめぐって,物語は面白く転回させられて行き,登場諸人物の悪意のないフェアプレイのユーモラスな演出の数々の後に,昔懐かしいヤルベリの森の下蔭で,物語は芽出度し芽出度しの終際を迎えることとなるのである。

    此処に画かれたメルストック聖歌隊は19世紀の初頭のウェセックス地方の村落,特にハーディの故郷アッパー・ボックハムプトンを中心とした地方の村落に於ける弦楽器合唱団の中では代表的なものをモデルとしたもので,楽手や歌手や,風俗習慣などの可成りリアルな光景をハーディは自己の体験に基づいて描出しているのである。建築にせよ,音楽にせよ,古き歴史の伝承を宿しているものに深い愛着を抱いていたハーディは,此等の教会楽手達が,たった一人の教会オルガン演奏者によってとって代わられることを遺憾としたものであって,古き伝統に生きる野なままの楽団演奏を新しき器楽で置き換える事は,結局教会行事に対する田舎人達の興味を削減し消滅せしめるものであって,牧師本来の教職的目的を掛って打ちこわすものだとのハーディの主張は,本作品の序文にも,又,本文中にも明示されている。旧式の弦楽合唱隊の編成計画の下では,6人乃至10人のおとな達が信徒達の結集された音楽趣味のチャンピオンとして演奏に奉仕的な熱をあげていたのであるが,オルガン弾奏者の導入と共に古き聖歌隊の結合が崩壊するのは必然的な時代の流れでもあった。此等過去の弦楽器演奏者達は彼等の演奏に対して殆ど報酬を貰わず,彼等の当時の楽譜はすべて彼等の手写によるものであって,彼等の日常の仕事を終えた後の晩に模写されたものであり,楽譜本は自家装幀であった。聖歌,讃美歌の曲譜の記されている同じ本の中にシグマリールや,ホーンパイプや歌謡曲などの舞踏曲をも記入するのが習わしであって,同一の楽譜本の中でいと神聖なるものと,いと世俗的なものとが相会し,祖父達や,恐らくは祖母達までが盛んだであろうような時代めいた大らかなチョーサー的なユーモアがその中に多分に含まれていたのである。メルストック教会のモデル原型となったスティンズフォード教会の楽団は事実上,トマス・ハーディ第一世(作者の祖父)(1778-1837)によって創設されたのであって,祖父は1837年彼の死に到る迄,即ち,1801年か或は1802年以来ずっと日曜日毎に朝夕二回のおつとめに聖歌を教会の二階棧敷で演奏していたのである。後に彼の二人の息子,即ち,トマス・ハーディ第二世(作者の父)とゼイムズ・ハーディによって受け継がれ,彼等は近所の音楽ファンの援助を得て凡そ1842年頃迄公式の演奏を続けていて,実にハーディ家のリーダーシップによる教会音楽の演奏期間は40年の久しきに亘っていたのである。スティンズフォード教会の合唱隊は歌手達の外に,2つのヴァイオリンと1つのヴィオラと1つのヴィオロンチェロ或はベイスヴィオラから成り立っていた。近所のパドルトン教会には8人の演奏者がおり,彼等は互に技を張り合ったものである。所が,パドルトンではバンドに喧しいクラリオネットを加えて之が牧師様の癇に障り,パドルトン聖歌隊消滅の因となっている。又,合唱隊員達はクリスマスの宵には夜を徹して家々を巡回して演奏したり教会堂では讃美歌や聖歌をいとおごそかに演奏するばかりでなく,ハーディの短篇‘二三の古臭い人物’,‘三人の見知ら男達’や短詩などの情景にも明らかな如く,洗礼や結婚祝いのパーティに招かれては祝い酒に酔って猛烈なダンス曲の演奏-少年ハーディ自らも加わってそのヴァイオリンを弾いたことのある-を楽しみとしていたもので,はては余勢を駆って居酒屋に迄侵入し,林檎酒や強ビールを煽って益々意気盛んにジグやリール曲に興じていたものであって―むしろこちらの方が目当てであったふしも見えるのである。ロンドン街道を東北方に数哩離れた処に位置するロングパドルの聖歌隊の連中は,ある寒いクリスマスの朝,あまりの寒さに酒を飲んで身体を暖めたら教会堂の棧敷の上で,牧師様の長たらしいお説教を聞き飽いていると,昨夜のクリスマス・イーヴの馬鹿騒ぎの疲れが出たせいか,ついうとうととまどろんでいるうちに,演奏の開始を告げられる段になっても,昨夜の居酒屋でのダンス曲の演奏中に目がさめたものと錯覚して讃美歌のかわりに,とんでもない下品な舞踏曲を神聖な教会堂で演奏して,会衆を啞然たらしめ,牧師の中止の命令を聞かばこそ,果ては‘各人は寄生木の下でKissしろ’と怒鳴るに到って,牧師様の逆鱗にふれ一途に愛すべきロングパドル合唱隊は解散壊滅の悲運に遭遇する。新しい楽器や発声法の発達,初等教育の普及と共に,おそかれはやかれ,彼等アマチュアの古めかしい聖歌隊は必然的に滅亡すべき運命に載せられていたのであるが,ハーディは此処では父祖三代のメルストック聖歌隊の滅亡史を小説の題材として採り入れているのであって,回想のウェセックスを画く彼の詩魂は,彼のみの画き得る最も適当な題材を見出し得たのである。又,メルストックの村は遥かに狂乱の都会を離れた辺鄙な村里であることはジョージ・エリオットの強靭な筆致で描かれたラビローの村と軌を一にするものであって,辺鄙なるが故に此の地方は,古代以来の伝承を形をこわさないままに保持していて,風俗史的興味に富んだ所であったことは,あの山蔭にも此の谷間にもアングロノルマン文化を誇る堂々たる教会建造物が,現在尚,その尖塔を聳えさせているのにも知られよう。当時に於ては,此の様な僻陬の地方を教区から教区へと専門に旅すら行商人に依って,提琴の弦や,ロジンや,楽譜用紙などが六ヶ月毎に供給され,ウェセックスの丘陵地帯に降り積む雪の深い時などには,丘の雪に閉じこめられて行商人がやって来ず,弦の代りにむち網や燃糸を使ったものであり,又,彼等行商人の提供し推奨した楽譜の中にはー神聖な讃美歌本には取り人れ得なかったにもせよーその遁走曲やシンフォニーに於ては中々優れたものもあったのである。聖歌にせよ谷由にせよウェセックスは古くから歌謡の国であったことは,酪農場に鳴り響く乳搾りのウェセックス娘達の唄う歌曲のリズムにも,吹雪の蕪畠の重労働の中に口吟む悲恋の‘テス’の歌声にも明らかであろう。

    之は,又,有能な若き建築家の設計になる小住宅的物語でもある。地取り,間取り,居住者の職業。気候の歓談,採光の明暗,光線の射人角度,音響効果等のあらゆる条件を配慮して,緑の森の傍らに,立派な粗削り乍ら堅牢な小住宅を建て上げた腕前は,ハーディの建築技師的技術の可成りの優秀性と,小説構成技法の一見平凡ながら自づと具わる非凡性との平行的存在を展示していると云われ得よう。即ち,之は,郷土に帰ったハーディが郷上と云う彼の体質にぴったりと適応した題材を握んで,始めて水を得た魚の如く,時にふざけていると見える程に軽快に自己の本領を定みなく発揮した小説であって,此の作品に於て,ハーディは,「如何にして私と云う小説家は私自身の小説と云うこちんまりとした家を建てたか」と云うことを我々に教えてくれているのである。「窮余の策」に於て彼がメレディスの指示に負う処あるが,彼の少年時代のラテン語の勉強に際し,彼の質問に応じてくれた言語学者ウィリアム・バーンズ先生の詩の題材ともなるべき郷土的資料の中に,茲では,ハーディは彼の小説の舞台と情緒と演出法とを見出しているので,もしバーンズが小説を書いていたらかくもあろうかと思われるローカル・カラー豊かな郷土讃歌を小説の形で歌いあげているのである。実力,世評ともに未だ無名作家の域を脱し得ざる彼が,小説の舞台を,幼童時代以来熟知し切った生家の周辺の狭いアッパーブロックハムプトンの範囲に限り,登場人物のモデルを親しい知人に搾りあげて,不得手な,他の作家の模倣追随による情的メロドラマ的技巧や,あまりにも重畳たるウェセックスの歴史の重荷や,囲繞する南英の壮大な自然美たどに圧倒されることのなかった処に,却って此の作品に於て,無理のないおとなしい描写法に於て彼が成功を収め,作品としての一応の纏まりに到達し得た所以がある。画家ハーディは未だ大きなキャンバスを使っていないのである。ハーディと云う詩人歌手が,此処では,むずかしい名曲ではなく,単純素朴な土地の民謡を軽いタッチで,嘗てメレディスに忠告された如く,心楽しく,より明るく自然に唄った処に,即ち,郷土人ハーディか郷土に溶けこんで,郷土の風物と人物とを相手としてお互に手を取りあってメルストック合唱隊の亡び逝く頃の懐郷の歌を相共に合唱した処に,此の作品が先ずは成功したと言い得る要因がある。欲を言えば,ハーディ未だ若く,人間の魂の深刻な苦脳の奥底まで揺さぶって見せて,人間対運命の相対的関係の神秘性まで探求しようとする処の,あの作者として必須の精神的突っ込みの深さがサイラス・マーナに於ける閨秀作家ジョージ・エリオット(女性,本名:Mary Anne Evans)のそれにも遥かに及ばない。即ち,此の作品は佳品ではあるものの,之が一大傑作へと成長する為には,此処では中途半端に探索されているに過ぎない理念を更に徹底的に追及し,部分的に表現されている感情の彫りを更に深め,淡彩に画き出されている登場人物の個性や容姿の浮彫を尚一層鮮明に琢磨すること等は,大作家たるべき彼の将来に残された課題である。又,一面から見れば,ハーディ文学は読者が晩年になってから読まねば充分にわかりかねる処のある程の精神的に成熟したおとなの文学である点は,数多くの英国の代表的作家の場合と同様であって,人が若い時には此の作品なんかは何の変哲もない何だかつまらない作品だと思って読み捨てられてしまう恐れが多分にあるかも知れないがー,実は,筆者自らにとっても,若い時には,通読したとは云うものの,此の作品は充分には味読し切れないでいたものであった事を,今にして悟る次第である。此れ程のおとなの文学を三十才そこそこのハーディが書いたのを見ると,精神的にハーディが大いにおませさんであったこともわかる。結局此の作品は,読者がウェセックスの方言に対する熟知と親和感とを持ち,且つ,ハーディの将来の他の諸作品とこの作品との関連に於て,成長過程にあるハーディその人を想定したらこれを読むと始めてうまいものだなあと幾度か微笑させられつつ読める楽しい作品なのであり,又,此の本の正当な鑑賞には,土地の出身者でなかった場合には,その土地に関する相当の予備知識と時代感覚とを備えていることが必要であると云っても過言ではあるまい。更に又,希臘劇に於けるコーラスの役目を果しつつも,単なるコーラス以上の主要登場人物群を構成しているところの,モデルとなった合唱隊の人達をハーディがよく知っていた以上に,コーラス群自身は皆お互に肝胆相照らす仲間達であって,彼等が―山舎の村人達が家を新築する際にお互に手を貸すようにーハーディの小説建設工事を助けているのであって,この小説をハーディが書いたと言うよりも,此の小説中においてメルストックのコーラス群がハーディと云う代弁者を借りてー村娘達が少年時代のハーディの筆力を借りて自己表現をなすべく愛の手紙の代筆をハーディにさせた如くにー自己表現を遂げたものと見做してもよいほどの由がある。彼等の喜憂,彼等のユーモアが劇作家ハーディの筆力に自己表現の手助けを首を長くして待っていたのである。茲に作家と故郷の登場人物と天然の舞台装置とを相融和せしめ,作者自らの,作者一家の,そして郷土の村落の親しい人々のすべての生活を,融合のシンボルたるメルストックの合唱隊に結集して,見な郷土人達の合同出演を作者は達成しているのである。此処ではそれぞれのコーラス・メンバー達が,物語のフロットをも,ヴィクトリア朝末期の田舎人の朴な人生観をも自ら語り,自ら展開させているのであって,物語運行のメカニズムの原動力は彼等の手に托せられていて,作者ハーディは舞台監督的ディタッチメントの立場から,一種のシンホジューム的演出法を採用しているとも見做し得よう。

    舞台がメルストックの森の小径の夕暮れ時の薄闇の中に開幕するのは「郷人の帰り」や「森林地の人々」の場合と同様であるが,此処では,エグドンの曠野の如く濃厚な支配的威力を以て自然は人に迫り来ることなく,むしろ人間と小規模な自然とはしっくりと互に共感し合っているのが感得されるのである。

...“To dwellers in a wood almost every species of tree has its voice as well as its feature.

At the passing of the breeze the fir trees sob and moan no less distinctly than they rock; the holly whistled as it battles with itself; the ash hisses amid its quiverings; the beech rustles while its flat boughs rise and fall. And winter, which modifies the note of such trees as shed their leaves, does not destroy its individuality.”(1)

 ...“森に棲む人々にとって,殆ど悉くの種類の木はその特色は勿論その声を持っている。微風の通過する時,樅は揺れ動くのと同様にはっきりと啜り泣いたり,呻きの声をあげる。柊は自らと戦い乍らヒューヒューとなるる。秦皮(しんぴ=梣/とねりこ)は身震いの真只中にもシューシューと音を立てる。ぶなはその平たい枝を上下させたらサラサラと鳴る。そして,冬は,落葉するような木々の音調を変えても,音調の個性を破壊しはしない。”

    此処に表現されている音に対する超感受性や樹木の習性に対する高精通度は,ルノアールの風景画*木陰やトムソンの詩*四季を我々に連想させるものがあり,此い物活論的自然描写は,後の「森林地の人々」への練習曲とも見做さるべき程の詩的なリズムの波に乗っている......此の調子をぐんぐく高めて行ったら,これは素晴らしい食事史劇的作品にでもなりはしないかと思われる程であらが,若いハーディの画家的自然描写技能はその当時はこれ位で息切れを来たしていて,此のレベルに達した今一つの自然の姿を,彼は,冬の部に始まって春・夏・秋の各部に到る四部よりなる此の物語の終りに近く,緑の季節の推移展開の中に示している。

......“When country people go to bed among nearly naked trees, are lulled to sleep by a fall of rain, and awake next morning among green ones; when the landscape appears embarrassed with the sudden weight and brilliancry of its leaves; when the night-jar comes and strikes up for the summer his tune of one note; when the apple-trees have bloomed, and the roads and orchard-grass become spotted with fallen petals, when the faces of the delicate flowers are darkened, and their heads weighed down, by the throng of honey-bees, ”......(1)

 ......“田舎の人達が殆どあらわな樹木の間に床に就き,降る雨の音を子守唄と聞いて眠れば,翌朝は緑の樹木の間に目をさます頃,陸景はその木の葉の重量とまばゆさてとまどい,夜鷹が訪れて同じ調子の山を夏が来たそこ唄い出す頃。林檎の木は花咲き,道や果樹園の草はひん紛たる(繽紛=多くのものが入り乱れている)落英の避ら模様で蔽われている頃,繊細な聚花の表が黒ずんで来て,花の頭は蜂の群の重みで垂れ下る頃”......

と続く季節感に溢れたドーセットの一隅い光景を叙するハーディの文体美は,同じ南英の丘陵地帯を幻と浮かばせる大和絵的風俗描写を得意とする占典作家の文体にも,晩春の宵空を縹渺模湖(広く果てしなくぼんやり)と漂い渡る満開のサマセットの‘アップルトリー’の自然描写に名高い知的作家の文体にも,北方の山湖の畔の微風に一斉にそよぐ無数の水仙やスタウアの流れのエメラルドに映える黄水仙の花影を唄った詩人達の自然描写の文字にもひけをとらは独自の詩的散文の特異性を散見させつつ,ハーディの将来の風物画家的作風を歴然と予告しているのであってー慧眼な英国の批評家の中には,英文壇未曾有の構成美を誇る立体的油絵的詩的風景描写の天才の胚胎を既にして此の作品中に読み取り得た人もあった筈。かくて春風秋雨の季節のうつろいのうちに,斉放の百花を求める蜜蜂の採集や,枝もたわわの林檎つみ,背負いきれぬほど沢山採れるクルミ狩り等を,魔女や,舞踏や,お祭りや,白衣を着て‘テス’も巡回したことのある此の地方特有の娘達のクラブ・ウォーキング等の諸行事と織り混ぜて,これ等を物語の筋に適時適所に巧みに組み合わせることに依って,メリー・オールド・イングランドの少年の日の僕の古里の山野の中に,ハーディは読者を心ゆくまで遊ばせてくれているのである。

    ハーディは此の物語の開幕に於ては,音によって宵闇の中の自然を視角的に朦朧と説明し,しかる後に,足音と,田園的格調豊かな心地よい民謡の反復音のリズムと共に若き運送屋ディックを登場させている。

......“With the rose and the lily

And the daffodowndilly

The lads and lasses a-sheep-shearing go.”(1)

......“薔薇と百合と

そして水仙百合と共に

若い衆と娘達が羊の毛を刈りに行く。”

開幕ではまだ総天然色は用いられず,森の下蔭や足影,白路や生垣などを淡彩画的に白黒で画き,風の音と‘オーイ’の呼び声の伴奏でディックとマイケル・メイルとを舞台に導入し,彼等の対話の中に始めて人物名を語らせていて,先ず登場人物の音としての出現から,続いて響く人々の足音でメルストック合唱隊のお歴々を登場させている音楽的演出法は我々にオペラの演出形式を思わせるーと云えば,此の物語に瞥見される森林の植物繁茂の状況や,獣や人間の動きの中には,何処か,ゲルハルト・ハウプトマンの‘北鐘’の舞台面を想起させるものすらある。

    &伝統的なキリスト降誕祭の祝歌,即ち,クリスマス・キャロルの行事は此の地では音に聞えたメルストックの唱歌隊に依って忠実に仕的になされていたのであって,祝宴歌手達は初期中世時代に遡るものである。キャロルは本来,歌を伴った舞曲で,一四世紀に於て人気の最高頂に達したものであった。ハーディは古き由緒あるキャロルを大いに愛好しはしたが,彼の画くウェセックスの人々の様には本物の古来のキャロルを載せてはいなくて,英国国教会の讃美歌の規準を忠実に遵守しつつ物語のキャロルを表現しているのである。彼のキャロルは少数の例外を除いては,本物の民謡からは採られていない。併し,年毎のメルストックの楽団の巡回演奏を示す短詩“せっかちな花嫁”“死せる合唱隊”等に於ては,ハーディはクリスマスの夜,家々をまわる唱歌隊の行事をなつかしんでおり,又,彼の田舎楽団への切々たる懐旧の念は疑っては此の物語をバーレスク風に結実させているのである。換言すればウイリアム,リューベンディック等の登場人物に大昔以来の伝統に生きる最後の吟遊詩人としての光栄を賦与しているのである。此の楽団に依って演奏された,今から見れば,奇妙なクリスマス・キャロルや民謡や歌謡やさまざまな田舎のダンス曲はハーディの幼年時代以来馴染み深いものであって,此の物語での運送屋デューイの家での楽団のリハーサルはハーディの父親の家で行われたもののおとなしい劇画であり,又,古いテートとブラッドレーの讃美歌曲を長く愛好し続けたハーディは,彼等楽団と合唱隊のクリスマスの巡回演奏には“生誕讃歌”“曉の星を見よ”“羊飼が洋群を見守る時”等の人口に膾炙したキャロルを演奏せしめているが,中でも素晴らしいキャロル第七十八番に関する記述は,幼童ハーディを我が子の如く可愛がってくれたマーティン夫人の住むスティンズフォードの荘園の館での有名なリハーサルを直接彼か聞いていた記憶に基づくものと思われるのである。星空の下で,教会堂の中で,田舎家のパーティの席上で,彼等の意気揚々と演奏した讃美歌や祝婚歌曲や舞踏曲などの描出は,今はなき,古きよき日の素朴なー素朴なるが故に真に芸術的なー旋律を後代に伝える貴重な記録とも見做さるべきもいなのである。ハーディは,コーラス中の異彩,靴屋のペニーの主張するく簡素な古風な音楽こそよけれとしたものであって,彼と音楽観を共にしたペニーの人となりはハーディを大いに喜ばしたものであった。ペニーは旧式の手縫いの靴屋であって,初めて登場する際,ファンシーの靴をポケットに入れているが,近代風の大量生産の靴は絶対に取り扱わぬ彼の頑固さは徹底していて,人の靴型や足型を見てその人の名前を当てその性格を知る程の職人としての名人芸に達して居り,店頭に看板を掲げず,広告もせず,昔からの長い間のお得意先だけでやって行ける古きよき日の靴屋さんである。彼の口を藉りてハーディは,具体的にはファンシー指揮の女生徒歌手達と彼女のオルガンに圧倒されて滅び逝くメルストック弦楽合唱隊衰亡史を画きつつ,ハーディ自らの教会音楽論を述べているのである。功成り名遂げた晩年の老文豪トマス・ハーディは,ペニーのモデルとなった口バート・リードの墓参をした日のことを記録 (6) に残している。彼等楽団員達の演奏する曲目や,歌う歌謡を聞いては,古き歌曲,古き舞踏を貴しとしたハーディの云わば郷愁的懐古的精神に読者は感謝と敬意を表すべきでもあろう。

    此の物語の本筋では,最初にオーイとディックに時びかけたマイケル老人,靴屋のペニー,夜間の教師もやったことのあるスピンクス,何の変哲もないチョーゼフ,ひょろ長く,善人で白痴のリーフ等の聖書的,太古の民的存在が,落葉を踏んで行く夕闇の中にメルストックの村落からの燈火が見え,クリスマスの鐘の音が,口ングパドルとウェザベリの両方向から聞えて来る。合唱隊は中間のディックの父と祖父との住む家へとはいって行く。此の際の説明的叙述は,音と光線の角度とを重んずる画家的音楽的建築家的技法に従って,家屋の外観から始って,室内装置・調度,それから所在する人物への順序で正確な線で描かれて居り,メルストックの合唱隊のお歴々の会話の中に人物の性格を浮き上らせー再び戸外での道行きへと移って行く手法を織り返していて,茲ではメロドラマ的構成は避けられ,偶然の一致も目立たず,人々の主義主張も憤懣も際立たず,静かに叙情的にスケッチが続けられつつ物語は進展する。彼等コーラス群と,彼等を取り巻く人々の対話と云うコーラスは,読者も彼等の仲間入りして読むべきものであって,此処で使用されている土の香も馥郁たる(良い香りの漂う)方言は短篇集「二三の古臭い人物」中のロングパドル行きの乗合馬車の乗客達の口にする方言と同一のものであって,ハーディの生国の人々だけがその充分なニュアンスと味を味わい得るような全くなまのままの方言である。従って始めての読者にとっては読解上の壁となり,余りにも郷土的過ぎる粗野な会話語は極めて舌ざわりが悪く,作品の市場的価値をそこねていると一般的には考え得る程である。ジョージ・エリオットの‘サイラス・マーナ’の第六章の酒場レインボーラ亭の場面も此の物語のように楽器論を村人達にひどい方言で勝手放題に喋らせて難解を極め,‘サイラス・マーナ’がフランスの英語教員検定試験の指定図書となった時,第六章だけは試験の範囲から省かれたことがあったと聞くが,此の物語でもそれに劣らず読みづらい方言が,特定の一章に集中せず,対話の中に物語の環境状況の推移や人物の批評をナレイトさせる劇的手法に従って,全第にわたって不遠慮にばらまかれている。本作品中の方言のいくつかを標準語と並べてみると,......

Tuens=tunes; shillen=shillings; rale wexw ork=real waxwork; as th'st know=as you know; Woll’ee!=Will you!; What b'st doing here?=What are you doing here?; Th'st take long enough time.=You have taken...; my sonnies=my wife; het=get; thou beest=you are,

......こんな具合になっている方言は,近代方言の中に於ける古代英語の生き残りの断片を示していると同時に,独逸語との近親性をも競わせている。ハーディは「郷人の帰り」を書く項ともなるともっと妥協的になって,方言と雖も,之をそれとわかる標準語の形に修正して使用しているのであって,さすがの言語的リアリスト,ハーディも大家となって,此の作品がマクミラン版のウェセックス・シリーズの一つとなった場合には,随分訂正を施しているのである。例えば,コリンズ版とマクミラン版を比較してみると,

Dibbeach choir=Weatherbury quire; trible=treble; tinner=tenor; seed(saw)=zeed; soup=suds slops; quare=queer; Mellstock copse=Cuckoo-Lane; she ses-she says; trew=true;.......

等となっていて,改訂されたのは単語だけにとどまらず補正の文章も加わって居り,ヤルベリの森がウェセックス伯の所領と説明されているくだりは,ウェセックス・シリーズ中の他の作品との連繋をはかる為に使用された意的と思われるのである。

    記念すべき合唱隊の組織はウイリアム・デューイがヴィオロンチェロ,ディックがトレブル・ヴァイオリン,リューベンがテノール・ヴァイオリン,マイケルがセカンド・ヴァイオリンの四人のおとなと七人の少年等の総計15人より成り立っている。彼等がメルストック教会堂の二階棧敷に至った時の配置は,ウイリアムが前列の中央に居てヴィオロンチェロを膝の間に置き,両側に二人宛の歌手を控え,彼の後の左側にはトレブル歌手とディックが,右側には運送屋とテノールが位置して居り,ずっと後にマイケル老人がアルトと補助員を引き連れている。かかる厳粛な教会堂内の聖歌隊棧敷の部署についていてもディックはファンシーの面影が忘れられず,祖父の肩越しに,クリスマス・イーヴに初めてかいま見たファンシーの幻が態々実物となって玄関にはいって来るのを見ると,彼女がもたらした暖い空気を一杯に吸いこんで,血潮の高鳴りを感じ,彼と彼女との間には,全会衆の目にも見えるつながりがあるんだと自分勝手に得意になる。併し,ライヴァルたる教区委員シナーと牧師メイボールドの出現と共に此の物語は錯綜を来たし,彼女をめぐる三人の男性の恋愛事件は,合唱隊廃止問題とも,ファンシーのうつり気とも,ディックの消極性ともからみ合って容易に解決を遂げようとはせず,ディックが大望を達成する迄には随分手数がかかるのである。これに反し,ディックの場合とは異って,作者ハーディの父親と母親ゼマイマとの結婚は,父親の積極的性格の故たいと簡単にきまったものであった。ハーディの両親達の最初のロマンスの次第は彼の短詩のモデルとなっていで,昔なつかしいスティンズフォードの教会堂の二階の西棧敷に鎮座したハンサム青年たることを自任する提琴弾きが,金ピカのボタンのついた青い燕尾服と花模様のチョッキを着で威風堂々と眼下の内陣席を睥睨する時,彼は下方の高い椅子に腰をおろしている見知らぬ一婦人を見そめ,ただちに御両人は以心伝心意気相投ずるに到る。事の顛末は御両人の息子ハーディの詩の中ではこう告げられているのである。

A Church Romance (Mellstock: circa 1835)

“She turned in the high pew, until her sight

Swept the west gallery, and caught its row

Of music-men with viol, book, and bow

Against the sinking sad tower window light.

She turned again; and in her pride's despite

One strenuous viol's inspirer seemed to throw

A message from his string to her below,

Which said: "I claim thee as my own forthright!(3)

教会のロマンス (メルストック:1835年頃)

彼女は高い座席でぐるっと振り向いた。

遂に彼女の視線は西の桜を一掃し,

沈み逝く物悲しげな塔窓の光を背景として,

ヴィオラと楽譜と弓を持った楽手達の列をとらえた。

彼女はもう一度振り向いたすると,彼女の誇をものともせずに,

一人の力強いヴィオラ演奏者は

彼の弦から下の彼女にことづてを投げかけるかに見えた。

そのことづてはこう言ったー

‘我,直ちに改を我自身のものとして要求する!’

    かくて彼等の心の契約は始まり,やがて署名された。そして歳月の経過がロマンスの影をうすめて後も,何か昔のような彼の姿勢やまなざしにふと接すると,若き日のこきれいな吟遊詩人としての彼女の夫が,あの教会の棧敷席で,熱烈に讃美歌曲を弾奏している姿が彷彿として彼女の瞼に浸かぶこともあったのである。

    こんな風にして出来上った夫妻と雖も,此の物語の中のディックの両親のように,彼等の子供も成長する頃になると,ロマンスの世界からリアルな現実生活の中へと慢性的に転住してしまうのが俗世の習わしであって,クリスマスパーティの晩におめかしをしているディックの両親の対話を聞くと,ハーディの両親の対話を盗み聞きさせて貰っているようなユーモアを感じるのである。

‘あなたったらーほんとにあなたの様な男を見るのは恥さらしですよ。’

と妻君に云われても御亭主の思いはいづこー馬耳東風―しつこく云われると彼は欠伸をするばかり。

‘そしてあなたのカラーときたら見るのもはずかしい,汚や埃や指や何やかやであんなにしっくいを塗られてー私のお里の人達はこれ一人としてあなたの様な汗かきではありませんでしたよ......一体何が私をこんな連中の所へお嫁入りなんかさせたのかしら

―馬鹿馬鹿しい......’

すると御亭主は,

‘わしがおまえに一緒になれとたいんだ時の女の弱さというもんだよ。’

と答えて平然たり。又,御亭主の方言ときたら妻君の癇に障ってたまらないらしい。‘うちの主人はちゃがいものことを労働者なみにテーティズ(taties)と云うんですよ,私の里ではテーターズ(taters)より短く発音することはなく,屡々完全にパーテートーズ(pertatoes)と云ったものです’と自慢するのが妻君である。一家族の者同志の間でも一致せぬ程奔放に乱れた方言が,初めこの読者に取りつきにくいのは当然である。だが,平叙文は次第に胡桃の如く引きしまってきて,ワン・センテンスが十数行にも及ぶハーディ特有の長いリズミカルな叙述文も既に始っていて,初恋男の心理描写や,女性の性格の複雑性,背景の自然などの描写に相当の成果をあげているのである。特に将来の長編に於ける女心の意地と情熱と,そして弱さと自惚れとの描出を得意とする彼の作風の一端は,ファンシーからメイボールへ与えた,ことわりの手紙にも認められよう。

“It is my nature— perhaps all women's ―to love refinement of mind and manners: but even more than this, to be fascinated with the idea of surroundings more elegant and pleasing than those which have been customary, And you praised me, and praise is life to me. Ambition and vanity they would be called: ......”(1)

“気心と態度の洗練味を愛するのは私のうまれつきー恐らくすべての女の人のうまれつきです。しかしこれにもまして,習慣的であったより以上に優雅な心地よい環境という考えに女は魅せられるものなのです。そしてあなたは私を褒めてくださいました。賞賛は私にとって生命なのです.......野心とも虚栄心とも呼ばれましょうが”

と書き誌して彼女の弱さを自認し正当な自己評価をしている処に,ファンシーの英知が窺えるのであって,結局彼女もディックもシナーもメイボールドも,そして,村人達も,みんな対人関係とか社会的連帯観等に於てフェアー・プレーの精神を失わないそれぞれの善人である。此等善人達の了解の下に古き合唱隊は,メイボールドの許可を得て,今一度クリスマスの日に最後の演奏を立派にやってのけて後,解散し,ファンシーの教会オルガンと彼女の指揮する女生徒等の若々しいコーラスによってとって代られることとなり,同時に,ファンシーとディックは晴れて結ばれるに到るのである。登場人物の棲む緑の森蔭を,ハーディは「お気に召すまま」の舞台面になぞらえつつ,シェイクスピア的手法を活用して,此の物語を一種の喜劇として,総員登場のうちにフィナーレを迎えさせてはいるが,しかも猶,セルベリの森の青草の上の,歌と踊の楽しい祝宴の場での新婚夫婦の対話を次のように聞くのである。

“......‘We'll have no secrets from each other, darling, will we ever? ― no secret at all.’

‘None from to-day,' said Fancy. 'Hark! what's that?’

......From a neighbouring thicket was suddenly heard to issue in a loud, musical, and liquid voice―

‘Tippiwit! swe-e-et! ki-ki-ki! Come hither! Come hither, come hither!’

‘O, ’tis the nightingale,’ murmured she, and thought of a secret she would never tell.(1)

“......‘お聞きなさい!’あれは何でしょう。

“......近所の繁みから突然喧しい音楽的な透き通った声が 聞こえて来た。

‘ティッピウィト!スイーイート!キー,キー,キ ーここへおいで,ここへおいで,ここへおいで!’

‘おや,ナイチンゲールですわ,’と彼女は呟いた。そして彼女が決して打ち明けないであろう秘密のことを思った。

“......‘僕達は今日からは決してお互に秘密を持ちますまいね,永久に―ちっとも秘密なんか持ちますまいね。’

‘今日からはちっとも,’とファンシーは言った。’ 

茲に表示された女性心理の綾の中には,即ち,教養も,地位も,財産も,ディックよりすぐれたメイボールドに未練を残しつつもディックに嫁ぎ行く若き女性の心の中には,後年の作家ハーディの作風を予想させる悲劇的陰翳が射し込んでいるのを我々は認めずには居られないのである。

    

    

Works Consulted

(1) Text: Macmillan's Pocket Edition

(2) Text: Collin's Pocket Edition

(3) Text: Collected Poems of Thomas Hardy

(4) E. Brennecke: The Life of Thomas Hardy

(5) R. A. Firor: Folkways in Thomas Hardy

(6) F. E, Hardy: The Life of Thomas Hardy

(7) S. Katayama: Thomas Hardy

(8) W.R, Rutland: Thomas Hardy

(9) Evelyn Hardy: Thomas Hardy

(10) F.O. Saxelby: A Hardy Dictionary

(11) E. Blunden: Thomas Hardy

(12) B. C. A. Windle: The Wessex of Thomas Hardy &c.