ウィスカー誕生

 

1973年に発表したポリオキシメチレン(POM)針状結晶は伸びきった分子鎖からなる世界初の高分子ウィスカーとして一世を風靡した。本随想は,これに関する研究が佳境にあった1981年,舊・通商産業省工業技術院の機関誌『工業技術』(第22巻,第2号)[研究余滴]欄に獻じた。翌年,月刊誌「PHP11月号に再掲された。(オリジナル記事 PDF)。

   

科学の歴史を繙くとき,昔の人がより率直な眼で造物主の仕事振りを観察していたことにしばしば気付く。

   「銀塊を小さな装飾用の細工物に鋳造するさい,それをナイフで軽く切るか引っ掻くかし,熟くなるまで炭火の上にかざすと,銀が恰も鉱物の中にみられるヘアー・シルバーのように,表面から芽生え,成長してくる。この様は大変に面白く,また見て楽しい。」

   16世紀,Lazarus Ercker が著した「鉱石と試金に関する論文」[1]1574)にはこのような観察があって,今日,キャット・ウィスカーまたはウィスカーと呼ばれるものの最初の学術的記述とされている。しかし,ヘアー・シルバーがダイヤモンドと同じ研究対象となることはなかった。

    世は未だ錬金術の時代,銀はすでにノーブルな金属であって,人々の興味はこの奇妙な現象よりも寧ろ銀細工の方にあったと思われる。細くて長い形状はそれまでに培った加工技術で容易に作り得た筈であるし,他にもいろんなものが入手できた。本物の猫のヒゲはいざ知らず,羊毛のごとき獣毛繊維,綿や麻といった植物繊維は有史以前から人類の営みに役立っていた。

    まえに,「ウィスカーを曲芸とかけて解け」という謎のような依順を高分子学会から受けて困惑したことがある。結局,大意として次のような心でご勘弁いただいた。[2]

   「曲芸の1つのカテゴリーに,物を高く積上げる類のものがあります。ここではむしろ職人芸というべきかも知れませんが,レンガ積みをやりましょう。レンガ建築の最初のステップは文字通り第1段目の土台を正しく築くこと,第2段目以後の作業で大切なことは1個1個のレンガを丹念にきちんと積んでゆくこと。ウィスカーとは誰が言い出したものか猫のヒゲのような結晶のこと,今世紀の科学はこれが原子または分子レベルのレンガ建造物であることを明らかにしました。では何段位積まれているのでしょうか。仮にレンガの大きさを2Åとすれぽ,高さ 0.1 mmの建物ですら500,000段の積層をもつ勘定になります。自然は恐るべきレンガ職人でもあります,因みに英国エセヅクス大学にはレジデンシャル・タワーと呼ばれるスリムな建物があって,レンガ建造物としてその国随一の高さを誇っていますが,レンガの段数はたかだか1千,人間業の限界はこの程度のものでしょう。(後略)」

   ウィスカーが再び注目を集めるようになったのは,Erckerからほぼ400年を経た1952年,ベルテレフォン研究所において,錫のウィスカーがほぼ無欠陥の単結晶(一つの核から一斉に成長した結晶)であって,理論値レベルの強度をもつことが明らかにされたのが契機であった。高分子材料として最もポピュラーな繊維はウィスカーではなかった。1929年代の高分子概念の確立期,X線回折によって分子は概ね長さ方向に並んで結晶部分を作っているが非晶部分もあることが判明し,以後,分子が平行に配列して部分的に束ねられているとする,いわゆる「ふさ状ミセル」のイメージが定着することになった。

   筆者が繊維高分子材料研究所に採用された十数年前は,最近入所した若い連中が羨むように,研究に従事する者にとって,確かに未だ古きロマンの時代であったかも知れない。特別研究とかプロジェクト研究とかいってプレッシャーがかかることもなく,テーマは提案を承認して貰うかたちで決った。(その頃は年間研究予算の4分の3は経常研究費として下され,4分の1が経常研究を発展させるための特別予算でであった。)

   多少なりとも背景に触れる必要があろう。丁度10年前の1957年には,高分子の構造の分野で最もセンセーショナルな発見かあった。希薄溶液から沈殿したポリエチレン(PE)に厚さ僅か100Å程度のラメラ状単結晶が見出された。そして細くて長い分子は,恰も真珠のネックレスを宝石箱に丁寧に仕舞うときのように折りたたまれて結晶をつくるといったハビット(習性)を持つことが明らかにされた[3]。大学院ではある「ケラー学派」の先生のもとで,折れたたみ説の渦中に身を置いた。折りたたみが研究される一方では古来描かれてきた分子の伸びた構造が探求され,一,二の例は既に見出されていた。しかし単結晶はなかった。

   夢は「重合の過程で分子鎖の伸び切った単結晶はできないか」であった。実験は種々の重合を種々の條件で試み,析出してくるポリマーを顕微鏡で覗くといったことで始まり,それとおぼしき最初の形は2年後に現れた。トリオキサンをシクロヘキサンに溶かし,三フツ化ホウ素を触媒とする重合系でPOMが矢羽根型結晶をつくっていたのである。構造を調べてみると明らかに目的とする単結晶(双晶)であったので早速学会誌に報告したが,これがいけなかった。写真も撮ったし一連のサンプルも残っている。しかし,同じ筈の実験を幾度か繰り返しても矢羽根型結晶は幻と消えたまま再び取を見せることは絶えてなかった。大抵は不定型の沈殿しか得られず,なぜ初回の実験カりまくいったかはミステリーとなった。

   機会あって2年間を英国で過して帰国し,また幻を迫うことになった。外国の大学からは,「おまえの方法をトレースしても結晶などできないじゃないか。」といった手紙も受け取った。もとよりこの種の重合では微量の水が重要な役割を演ずることが分っていたから,徹底的に脱水を試みるうち,1972年のクリスマスの前のある日の実験で触媒を加えても全く反応の開始しない場面に遭遇した。詳しく書けばきりがない。フラスコに僅かばかりの湿った空気を導入すると系は白く濁りポリマーを生成した。顕微徹鏡下に美しい姿を見せたが,それは何と針状結晶(ウィスカー)であった。矢羽模型結晶の生成條件はあとで分った。

   先に述べた「曲芸の解説」は次のように結んだ。「ポリオキシメチンンウィスカーは施工上いくぶん特殊な方法を用いてつくられた建造物で,レンガはCH2O。目地のセメントに高さ方向と横方向で異種のもの(それぞれ共有結合とファンデルワールス結合)が使われています。」

   一度できた筈の結晶が二度とできない有名な話に「ハネーのダイヤモンド」がある。18世紀のはじめ James Hannay がパラフィンと骨油とアルカリ金属を入れた鋼管を赤熱してつくった結晶は大英博物館のマスターピースの一つとして現存するが,再現の努力はこれまで悉く徒労に終っている。[4]

   結晶づくりの常としてその造形は自然の摂理に委ねられ,この場合もメカニズムの詳細は未だ人智の及ぶところとはなっていない,しかし,兎にもかくにも分子が平行に集まったポリマー単結晶かできるようになった。しかも予想もしないウィスカーの形で。径13μm,長さ0.1mm程度までの大きさとはいえ,1本1本は恰も鉛筆のようなかたちの単結晶で,完全度は金属や単純物質に劣らない。物性的にも普通のボリーマ-と異なった種々の特徴がみられ,機械的性質の評価を兼ねて樹脂に埋め込んだ場合の補強効果を調べたところ,ウィスカーの弾性率がほぼ100GPaを下らないことが分かった。この値はほぼ理論値に匹敵する,因みに普通のPOM樹脂の弾性率は高々3GPa程度に過ぎない。密度は理論値通り1.49,ポリマーとしては大きい方だが,金属や無機物と比べればはるかに小さい。何かに使えないだろうか,音速(=[弾性率/密度]0.5は大きい筈である。

   とあるティ-・テーブルの会話がもとで,ソニー技術研究所の西美諸氏らが音響振勁板への応用を検討されることになった。ある日ウィスカーはスピーカーとなって視聴室でボイスコイルの振動に合せて震えていた。大丈夫かなと心配に思えたが,その軽快なリズムは確かであった。

   ウィスカーを大量につくることを急がねばならない。そのとき隣の研究室の非凡な才能の持ち主である末廣哲朗君が助力を申出てくれた。ガラス器具の組合せから金物の装置へ,1Lから20Lスケールへ,皆で知恵と汗を絞って建設したベンチプラントからはバケツー杯のウィスカーが穫れた。        ウィスカーの生成條件の確立には住友化学の村瀬一基氏が多大の貢献があった。

   ベルテレフォンの研究から30年,ウィスカーは一般に量産が離しく,その素晴らしい物性にも拘わらず未だ一般的な工業材料とはなっていない。高分子ウィスカーとして初めてのPOM針状結晶は幸いにもポピュラーな用途を見出し,スピーカーユニツトに組み込まれて世に出ることになった。応用の途はこの他にも拓かれるかも知れない。

   天保の頃,古河藩主・土井利位侯は雪の結晶を顕微鏡で観察し,そのスケッチを「雪華図説」(1832)及び「続雪華図説」(I840)に著した[5]。むろん雪に関する世界で最初の学術的研究である。筑波に移って3年,茨城は結晶の研究に相応しい場所かも知れない。

 



[1] Lazarus Ercker (Author), A. G. Sisco and C. S. Smith (Transl.), Lazarus Erckers Treatise on Ores and Assaying, University of Chicago Press 1951.

ラザルス・エルカ―の実験室の様子は木版画で原著に載せられている。Lazarus Ercker, Beschreibung, Allerfürnemisten Mineralischen Ertzt vnnd Bergwercksarten, Georg Schwartz, Prague, (1574); Tampachs, Frankfurt (1692). https://books.google.co.jp/books?id=RJs8AAAAcAAJ&printsec;

Fig. 1 銀のマットを低温炉で加熱(焼鈍?)する図(木版画)。https://books.google.co.jp/books?id=RJs8AAAAcAAJ&printsec, page xxxii.

[2] 井口正俊,“[曲芸] どんどんのばせ”『高分子』 29 12月号 (Dec. 1980)

[3] A. Keller, A note on single crystals in polymers: Evidence for a folded chain configuration, Phil Mag. 2(1957)1171-1175; P. H. Till Jr., The growth of single crystals of linear polyethylene, J. Polymer Sci. A 24 (1957)301-306; E W Fischer, Stufen- und spiralförmiges Kristallwachstum bei Hochpolymeren, Z. Naturforsch. 12a(1957)753-754. 後に分子鎖の折れたたみに関するK. H. Stokesの先行論文があることが分っ た。曰く「驚くべきは,殆どの微結晶が高分子の長さより遥かに薄いフィルムの面に垂直方向に配列していることであ る。(中略)グッタパーチャ分子は単結合の周りの回転によって折れたたむことができる。このポリマーの繰返し単位は短 く200Å厚のフィルム内で比較的少ない数の折れたたみあれば良い。(後略)」 (K. H. Storks, An electron diffraction examination of some linear high polymers, J. Am. Chem. Soc. 1938, 60, 1753).

[4] ハネーのダイアモンドが贋物でないことは,1943年にX線回折で証明された (F. A. Bannister and K. Lonsdale, An X-ray study of diamonds artificially prepared by J. B. Hannay in 1880, Mineralogical Magazine 26(1943)315-324)12個のうち11個の回折は天然ダイアモンドの回折に一致した。

Fig. 2 左:ハネーのダイアモンド粒子のX線回折図。右:同回折図(ネガ)を天然ダイアモンド粉末の回折図に重ねた図。

[5]土井利位,雪華圖説,1832; 土井利位,續雪華圖説,1840. 下総古賀藩主土井利位(1789-1848)は三河刈谷土井家の四男として誕生, 古賀家に養子入りし,1722年から1748年まで藩主の座にあった。在位中の1838-1844年, 彼は徳川幕府の老中を務めた。彼は自然学者でもあった。上記2著には,それぞれ86点および96点の雪華圖が載せら れているが,これらは文政・天保年間(1818-1830/1830-1845)観察されたもので,幾点かは大阪および京都所司代中のものであった。第一の書には土井家家老鷹見忠常による補遺があり, Johannes Florentius Martinet による12点の雪結晶パ ターンが再録されている(J. F. Martinet, Katechismus der Natuur, 4 volumes, Amsterdam 1778-79/ http://www.ndl.go.jp/nichiran/e/data/R/M3/M3-001r.html)。彼らはそれらの載った蘭書のコピーを所有したが,ロバート・フックの雪結晶の観察記録が収められた「マイクログラフィア」の章(MicrographiaThe Royal Society1665 Observ. xiv. Of several kinds of frozen figures. https://ebooks.adelaide.edu.au/h/hooke/robert/micrographia/observ14.html)を見る機会はなかったと 思われる。

Fig. 03土井利位,雪華圖説,1832 の抜粋。右から,表紙,本文最初のページ,本文最後のページおよび図版の最初 のページ,図版の第2及び第3ページ。国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536975)に拠る。

 

Fig. 04 左: Culpeper型顕微鏡(ca 1737, 土井利位公が所有したのと同型のもの。古河歴史資料館蔵

http://www.miyagaku.sakura.ne.jp/05sekkazu.htm)。右:雪華を配した印籠。高見家寄託。古河歴史資料館 (https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/lifetop/soshiki/rekihaku/tenji/yukitono.html.