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芥川龍之介「神々の微笑」への前書き

註釋者

       

       

大正から昭和前期に掛けての時期(1910-1940年代前半)は日本文學の一黄金時代であって,有島武郎,谷崎潤一郎,芥川龍之介,中島敦,太宰治ら數多の卓出した作家は,小説の概念を單なる讀み物から藝術の域にまで高める努力をしました。彼らは最高學府で文學を履修したエリートであって,古今東西の文學に精通してゐました。1892(明治25)年生れの芥川は,1916(大正5)年に東京帝国大学文学部を卒業しました。

       

彼らは,今日所謂大衆作家が文學的價値が如何であれミリオンセラーを生産するのと異って,各々獨自のジャンルを開拓し,獨自のスタイルを確立するために苦悶,彼らの多くは不養生或ひは自殺によって30-40代の若さで他界しました。芥川は1927(昭和2)年,35歳のとき過多の睡眠薬(バルビタール)服用によって自殺しました [1] 。私の個人的見方では,斯かる傳統を繼いだ最後の作家は,自害の理由は文學への煩悶ではなかったが,1970年に劇的な切腹によって命を絶った三島由紀夫でありました。英國で育ち,英國で教育を受けた2017年のノーベル賞受賞者,サー・カズオ・イシグロは日本人の父母から日本で生れた方と雖も,日本人作家には數へられますまい。

       

芥川龍之介(1892-1927)は約400篇の作品を遺しましたが,その中には「切支丹もの」に分類される約12篇の短編と長編がありました。

       

『神々の微笑(1922)』は,私の2019年のクリスマス・ストーリーで取り上げた『奉教人の死(1918)』,『きりしとほろ上人伝(1919)』を含む同じカテゴリーの他の作品が西洋或ひは東洋出自の聖人または信者の生涯や出來事を語ったものであるのに対し,ポルトガル人神父と老人に變裝した日本の靈がキリスト敎の神と日本の神々の違ひについて議論すると云ふユニークな作品であって,聖書を含むキリスト教關聯文書やギリシャ神話,記紀(古事記および日本書紀),佛典などからの引用がふんだんに鏤められてゐます。作者芥川は膨大な量の歐文,漢文,古文の書を讀んでゐたに相違なく,稀有の天才と謳はれた彼の能力に唯々驚嘆させられるばかりです。私は近年に至って本小説を讀みましたが,私にとって芥川の切支丹小説中で最も難解な作品でありました。

       

本小説は,大正11(1922)年1月,『新小説』第27巻1号(春陽堂刊)に發表されました。次ひで,翌年5月春陽堂刊の芥川龍之介著『春服』 [2] に,更に昭和10(1935)年6月岩波書店發行の『芥川龍之介全集・第4巻』に収録されましたが [3] ,『春服』以降の再録版には幾つかの改變が見られます。第一点はタイトルであって,原著版では「神々の微笑」でありましたが,再録版では「神神の微笑」に變っています。第二点は,五章からなる原著版の四つ目の,2000文字近い章が再録版では省かれてゐます。斯かる變更が作家自身の指示によって,或ひは他から示唆を受けてなされたことは確かでせうが,理由は如何であったか? タイトルについては,同種の神の複數と受取られ兼ねない「神々」よりも「神神」の方が異種の神を表すのに相應しい,四つ目の章の省略は,予備知識を缺く讀者には内容が難しすぎると判斷されたからかと考へられます。他に氣付いた差異と云へば,ルビが再録版では全部の漢字に付されているのに対して,原文では極く少數の難讀の漢字 [4] に限られていたことでありました。

       

本作品の出版された時代には未だテレビはもとよりラヂオ放送 [5] もなく,讀書は國民の代表的娯樂であって,人々は芥川らの新作發表を何時も待兼ねたと當時學生であった先輩から聞きましたが,彼等は斯様に難しい小説をも相當程度に讀み熟したに相違なく,彼らが現代の我々とは比較にならない高い教養と旺盛な知識欲を持合わせてゐたことを思ひ知らされました。勿論私にして然り,本文中の引用の中味や難しい語彙を,幸いにも今日にして利用可能なインターネットで檢索し,或ひは書物や文書を參照することによって,漸く全体を理解し得たと云ふのが僞らざるところです。

       

以下に,大正11年初出の原著版を,東京都立大学図書館の好意によって入手したコピーの原文にできるだけ忠実に,縦書きを横書きに改めて載せますが,原文では單に「「X」で区切られた章に,(1),(2),(3),(4),(5)を付しました。。再録版で省略されたのは(4)です。幾つかの明らかな誤植は訂正しましたが,句讀点は原文の儘に留めました。原文に使はれ,標準ウェブフォントにない書體の漢字 [6] は,標準フォントでもって充てました。ルビについては,全漢字でなく難しさうな字句に限って追加しました。また,本文中の引用や語句について調べた結果を文末註に載せました。

猶,芥川が読んだ聖書がどの版であったかは定かでありませんが,「神々の微笑」を含む切支丹物の殆どが1910年代後半から1920年代前半に書かれたことから,日本語譯であれば「文語譯聖書(1917年10月5日刊行)またはそれ以前に翻譯された「明治元譯聖書」,或いは英文または獨文聖書であったと推察されます。然し本文中の註釋では「文語譯聖書」を参照することにしました。

       

本小説の英語譯は,調べたところ2件[7]; [8] ありましたが,私も敢へて翻譯を試みました。ネイティブの英譯にチャレンジする積りはありませんでしたが,古典的なスタイルで書かれた原文を解釈し著者の眞意を理解すると云ふ點において,私にアドヴァンテージがあると思ったからでありました。

       

謝意

註釋者は,英譯原稿を添削して呉れた舊友 Prof. Malcolm Mackley の親切に深く感謝する。また草稿に対して有用なコメントと示唆を賜った友人諸兄に感謝する。

       

2020年11月,井口正俊(識)

       

       


[1] 本翻譯者にとって,芥川が何故その方向に進んだのか理解困難である。何故なら,彼は僅か一年半前に發表した短いエッセイ*の中で,自分の博学と才能に自信がある,彼の将来は渺茫且つ有望であると述べてゐたからである。(* 芥川龍之介,『風變りな作品二點に就て』,春陽堂,大正十五年一月発行。)

[2] 大正12年(1923)5月18日,春陽堂發行。同作家の他の13点の小説を含む。

[3] 戰後においては,新漢字新假名版の全集が岩波書店,筑摩書房から發刊された。

[4] 羅面琴(ラベイカ),泥宇須(デウス),御主(おんあるじ),金雀花(えにしだ),隱(こも)つて,大日孁貴(おほひるめむち),彦星(ひこぼし),棚機津女(たなばたつめ),臥亞(ゴア)の9ヶ所のみ。

[5] JOAK 開局,1925年。

[6] 情((忄+靑),内(冂+入),咲(口へんに八+天)。愉(忄+兪)。4個のフォント。

[7] Yoshiko and Andrew Dykstra, “Smiles of the Gods (in “Kirishitan Stories by Akutagawa Ryunosuke: Introduction and Translation)”, Japanese Religions, Vol. 31 (1), 2006, NCC Center for the Study of Japanese Religions, Kyoto. pp. 23-65. http://www.japanese-religions.jp/publications/previous.html

[8] Anthony Perrin, “The Smile of the Gods”, in: An archive of Anthony Perrin's 2014 attempt to translate one short story by Akutagawa Ryunosuke per week, January 5, 2015. https://akutagawaaweek.tumblr.com/post/107266689108/the-smile-of-the-gods