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文學精讀: 文字禍

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左: 父・田人および母・千代子,多分祝言の時の寫真;中:一高時代の敦 (何れも村上吉廣:『評伝・中島敦』より複寫)。右:敦 1942 Wikipedia)

   

   

 

『文字禍』が『明月記』と纏めて「古譚」として掲載された「文學界 昭和四十二年二月號」の表紙と目次。目次のページ,新人の中島の「古譚」は終りから四行目に小さい文字で載ってゐる。

   

   

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『明月記』冒頭部分を刻した中島敦文学碑。昭和501月,横浜学園高校脇の汐汲坂に建立(村上吉廣:『評伝・中島敦』より複寫)。

   

   

       

   

馬上で狩りをするアシュルバニパルのレリーフ,ニネヴェ,アッシリア,645635 BC. Who was Ashurbanipal: https://blog.britishmuseum.org/who-was-ashurbanipal/ より複写。

   

   

 

右:アシュルバニパルおよび右:兄のシャマシュムウキンを彫った立像 (複写元は同上)。

   

   

   

ライオンを狩るアシュルバニパルのレリーフ。645 635 BC. (複写元は同上)。

   

   

   

アシュルバニパルが妃と王庭でくつろぐレリーフ。645 635 BC. (複写元は同上)。

   

   

   

アッシリア軍のエラマイト攻略の詳細を示すレリーフ。645 635 BC. (複写元は同上)。

   

   

   

アッシリアのバビロン包囲のレリーフ。645 635 BC. (複写元は同上)。

   

   

   

アシュルバニパル圖書館のタブレット(粘土板)の一部,大英博物館内のセット (複写元は同上)。中島敦は「瀬戸物屋の倉庫に似てゐた」と譬へた。

   

   

   

ギルガメッシュ叙事詩の洪水の話を刻した粘土板の斷片 (複写元は同上)。

   

   

   

サー・オースティン・ヘンリー・レイアードによるニネヴェ山のアッシリア宮殿の半分のイラスト,1853 (複写元は同上)。

   

   

   

サー・オースティン・ヘンリー・レイアードによるニネヴェ山から眺めたアッシリア宮殿のイラスト,1853 (複写元は同上)。

   

   

   

大英博物館収蔵のアッシリアの守護ライオン像,元はイシュタル神殿の入口に据えられてゐた。右に寫ってゐるのは,アダド・ニラリ3世とサムラマットによりナブ神に捧げられた随伴神の像。筆者のアルバムより(Pentax k-3ii により, 2017.04.07. 撮影)

   

   

   

楔形文字碑の一例。大英博物館ーアシュルバニパル圖書館シリーズ,粘土板斷片で,ウライ川(Ulai River)の合戰の場面が書かれてゐる(https://www.britishmuseum.org/collection/object/W_K-2674 より複寫)。