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文學精讀:

文字禍

         

中島敦

   

   

   

文字の靈などといふものが,一體,あるものか,どうか。

   

アッシリヤ人は無數の精靈を知ってゐる。夜,闇の中を跳梁するリル,その雌のリリツ,疫病をふり撒くナムタル,死者の靈エティンム,誘拐者ラバス等,數知れぬ惡靈共がアッシリヤの空に充ち滿ちてゐる[1]。しかし,文字の精靈については,まだ誰も聞いたことがない。

   

其の頃——といふのは,アシュル・バニ・アパル大王の治世[2]第二十年目の頃だが——ニネヹの宮廷に妙な噂があった。毎夜,圖書館の闇の中で,ひそひそと怪しい話し聲がするといふ。王兄シャマシュ・シュム・ウキン[3]の謀叛がバビロンの落城で漸く鎭まったばかりのこととて,何か又,不逞の徒の陰謀ではないかと探って見たが,それらしい様子もない。どうしても何かの精靈どもの話し聲に違ひない。最近に王の前で處刑されたバビロンからの俘囚共の死靈の聲だろうといふ者もあったが,それが本當でないことは誰にも判る[4]。千に余るバビロンの俘囚は悉く舌を拔いて殺され,その舌を集めた所,小さな築山が出來たのは,誰知らぬ者のない事實である。舌の無い死靈に,しゃべれる譯がない。星占や羊肝卜[5]で空しく探索した後,之はどうしても書物共或ひは文字共の話し聲と考へるより外はなくなった。ただ,文字の靈(といふものが在るとして)とは如何なる性質をもつものか,それが皆目(かいもく)判らない。アシュル・バニ・アパル大王は巨眼縮髪の老博士ナブ・アヘ・エリバ[6]を召して,此の未知の精靈に就いての研究を命じ給うた。

   

その日以來,ナブ・アヘ・エリバ博士は,日毎問題の圖書館(それは,其の後二百年にして地下に埋没し,更に二千三百年にして偶然發掘される運命をもつものであるが)に通って萬巻の書に目をさらしつつ研鑽に耽った兩河地方(メソポタミア)では埃及と違って紙草(パピルス)を産しない。人々は,粘土の板に硬筆を以て複雑な楔形の符号を彫りつけてをった。書物は瓦であり,圖書館は瀬戸物屋の倉庫に似てゐた。老博士の卓子(その脚には,本物の獅子の足が,爪さえ其のままに使はれてゐる)の上には,毎日,累々たる瓦の山がうずたかく積まれた。其等重量ある古知識の中から,彼は,文字の靈についての説を見出そうとしたが,無駄であった[7]。文字はボルシッパなるナブウの神の司り給ふ所とより外には何事も記されてゐないのである[8]。文字に靈ありや無しやを,彼は自力で解決せねばならぬ。博士は書物を離れ,唯一つの文字を前に,終日それと睨めっこをしつつ過した。卜者は羊の肝臓を凝視することによって凡そすべての事象を直觀する。彼も之に倣って凝視と静觀とによって眞實を見出さうとしたのである。その中に,をかしな事が起った。一つの文字を長く見詰めてゐる中に,何時しか其の文字が解體して,意味の無い一つ一つの線の交錯としか見えなくなって來る[9]。單なる線の集りが,何故,さういふ音とさういふ意味とを()つことが出來るのか,どうしても解らなくなって來る。老儒ナブ・アヘ・エリバは,生れて初めて此の不思議な事實を發見して,驚いた。今迄七十年の間當然と思って看過してゐたことが,決して當然でも必然でもない。彼は眼から(こけら)の落ちた思がした[10]。單なるバラバラの線に,一定の音と一定の意味とを()たせるものは,何か? ここまで思い到った時,老博士は躊躇なく,文字の靈の存在を認めた。魂によって統べられない手・脚・頭・爪・腹等が,人間ではないやうに,一つの靈が之を統べるのでなくて,どうして單なる線の集合が,音と意味とを()つことが出來ようか。

   

この發見を手初めに,今迄知られなかつた文字の靈の性質が次第に少しづつ判って來た。文字の精靈の數は,地上の事物の數程多い,文字の精は野鼠のやうに仔を産んで殖える。

   

ナブ・アヘ・エリバはニネヹの街中を歩き廻って,最近に文字を覺えた人々をつかまえては,根氣よく一々尋ねた。文字を知る以前に比べて,何か變ったやうな所はないかと。之によつて,文字の靈の人間に對する作用を明らかにしようといふのである。さて,斯うして,をかしな統計が出來上った。それに依れば,文字を覺えてから急に蝨を捕るのが下手になった者,眼に埃が餘計はいるやうになった者,今迄良く見えた空の鷲の姿が見えなくなった者,空の色が以前程碧くなくなったといふ者などが,壓倒的に多い。「文字ノ精ガ人間ノ眼ヲ喰ヒアラスコト,猶,蛆虫ガ胡桃ノ固キ殻ヲ穿チテ,中ノ實ヲ巧ニ喰イツクスガ如シ」[11]と,ナブ・アヘ・エリバは,新しい粘土の備忘録に誌した。文字を覺えて以來,咳が出始めたといふ者,くしゃみが出るやうになって困るといふ者,しゃっくりが良く出るやうになった者,下痢するやうになった者なども,かなりの數に上る。「文字ノ精ハ人間ノ鼻・咽喉・腹等ヲモ犯スモノノ如シ」と,老博士は又誌した。文字を覺えてから,俄かに頭髪の薄くなった者もゐる。脚の弱くなった者,手足の顫えるやうになった者,顎がはづれ易くなった者もゐる。しかし,ナブ・アヘ・エリバは最後に斯う書かねばならなかった。「文字ノ害タル,人間ノ頭腦ヲ犯シ,精神ヲ痲痺セシムルニ至ッテ,スナハチ極マル。」文字を覺える以前に比べて,職人は腕が鈍り,戰士は臆病になり,獵師は獅子を射損ふことが多くなった。之は統計の明らかに示す所である。文字に親しむやうになってから,女を抱いても一向樂しゅうなくなったといふ訴へもあった。もっとも,斯う言出したのは,七十歳を越した老人であるから,之は文字の所爲ではないかも知れぬ。ナブ・アヘ・エリバは斯う考へた。埃及人は,ある物の影を,其の物の魂の一部と見做してあるやうだが[12],文字は,その影のやうなものではないのか。

   

獅子といふ字は,本物(ほんもの)の獅子の影ではないのか。それで,獅子といふ字を覺えた獵師は,本物の獅子の代りに獅子の影を狙ひ,女といふ字を覺えた男は,本物の女の代りに女の影を抱くやうになるのではないか。文字の無かった昔,ピル・ナピシュチムの洪水[13],以前には,歡びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって來た。今は,文字の薄被(ヴェイル)をかぶった歡びの影と智慧の影としか,我々は知らない。近頃人々は物憶えが悪くなった。之も文字の精の惡戯である。人々は,最早,書きとめて置かなければ,何一つ憶えることが出來ない。着物を着るやうになって,人間の皮膚が弱く醜くなった。乗物が發明されて,人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して,人々の頭は,最早,働かなくなったのである。

   

ナブ・アヘ・エリバは,或る書物狂の老人[14]を知つてゐる。其の老人は,博學なナブ・アヘ・エリバよりも更に博學である。彼は,スメリヤ語やアラメヤ語ばかりでなく紙草(パピルス)や羊皮紙に誌された埃及文字まですらすらと讀む。凡そ文字になった古代のことで,彼の知らぬことはない。彼はツクルチ・ニニブ一世王[15]の治世第何年目の何月何日の天候まで知ってゐる。しかし,今日の天氣は晴か曇か氣が付かない。彼は,少女サビツがギルガメシュ[16]を慰めた言葉をも(そら)んじてゐる。しかし,息子をなくした隣人を何と言って慰めてよいか,知らない。彼は,アダッド・ニラリ王の后,サンムラマットがどんな衣装を好んだかも知ってゐる。しかし,彼自身が今どんな衣服を着てゐるか,まるで氣が付いていない。何と彼は文字と書物とを愛したであろう!読み,諳んじ,愛撫するだけではあきたらず,それをる愛するの餘りに,彼は,ギルガメシュ傳説の最古版の粘土板を噛砕き,水に溶かして飲んで了ったことがある。文字の精は彼の眼を容赦なく喰ひ荒し,彼は,ひどい近眼である。餘り眼を近づけて書物ばかり讀んでみるので,彼の鷲形の鼻の先は,粘土板と擦れ合って固い胼胝が出來てゐる。文字の精は,又,彼の脊骨をも蝕み,彼は,臍に顎のくっつきそうな傴僂(せむし)である。しかし,彼は,恐らく自分が傴僂であることを知らないであろう。傴僂(せむし)といふ字なら,彼は,五つの異った國の字で書くことが出來るのだが。ナブ・アヘ・エリバ博士は,此の男を,文字の精靈の犠牲者の第一に數へた。ただ,斯うした外觀の惨めさにも拘はらず,此の老人は,實に——全く羨ましいほど——何時も幸福そうに見える。之が不審といへば,不審だったが,ナブ・アヘ・エリバは,それも文字の靈の媚藥の如き奸猾な魔力の所為と見做した。

   

偶々アシュル・バニ・アパル大王が病に罹られた。侍醫のアラッド・ナナは,此の病輕からずと見て,大王の御衣裳を借り,自ら之をまとうて,アッシリヤ王に扮した[17]。之によって,死神エレシュキガルの眼を欺き,病を大王から己の身に轉じようといふのである。此の古來の醫家の常法に對して,靑年の一部には,不信の眼を向ける者がある。之は明らかに不合理だ,エレシュキガル神ともあらうものが,あんな子供瞞しの計に欺かれる筈があるか,と,彼等は言ふ。碩學ナブ・アヘ・エリバは之を聞いて厭な顔をした。靑年等の如く,何事にも辻褄を合せたがることの中には,何かしらをかしな所がある。全身垢まみれの男が,一ヶ所だけ,例へば足の爪先だけ,無闇に美しく飾ってゐるやうな,そういふをかしな所が。彼等は,神秘の雲の中に於ける人間の地位をわきまへぬのぢゃ。老博士は浅薄な合理主義を一種の病と考へた。そして,その病をはやらせたものは,疑もなく,文字の精靈である。

   

或日若い歴史家(或ひは宮廷の記録係)のイシュデイ・ナブが訪ねて來て,老博士に言った。歴史とは何ぞや? と。老博士が呆れた顔をしてゐるのを見て,若い歴史家は説明加へた。先頃(さきごろ)のバビロン王シャマシュ・シュム・ウキンの最期について色々な説がある。自ら火に投じたことだけは確かだが,最後の一月(ひとつき)程の間,絶望の餘り,言語に絶した淫蕩の生活を送ったといふものもあれば,毎日ひたすら潔斎してシャマシュ神に祈り續けたといふものもある。第一の妃唯一人と共に火に入ったという説もあれば,數百の婢妾を薪の火に投じてから自分も火に入ったといふ説もある。何しろ文字通り煙になったこととて,どれが正しいのか一向見當がつかない。近々,大王は其等の中の一つを選んで,自分にそれを記録するやう命じ給ふであらう。これはほんの一例だが,歴史とは之でいいのであらうか。

   

賢明な老博士が賢明な沈黙を守ってゐるのを見て,若い歴史家は,次の様な形に問を變へた。歴史とは,昔,在った事柄をいふのであらうか? それとも,粘土板の文字をいふのであらうか?

   

獅子狩と,獅子狩の浮彫とを混同してゐるやうな所が此の間の中にある。博士はそれを感じたが,はっきり口で言へないので,次の様に答へた。歴史とは,昔在った事柄で,且つ粘土板に誌されたものである。この二つは同じことではないか。

   

書洩らしは? と歴史家が聞く。

   

書洩らし? 冗談ではない,書かれなかった事は,無かった事ぢゃ。芽の出種子(たね)は,結局初めから無かったのぢゃわい[18]。歴史とはな,この粘土板のことぢゃ。

   

若い歴史家は情なさうな顔をして,指し示された瓦を見た。それは,此の國最大の歴史家ナブ・シャリム・シュヌ誌す所のサルゴン王ハルディア征討行の一枚である。話しながら博士の吐き棄てた柘榴の種子が共の表面に汚らしくくっついてゐる。

   

ボルシッパなる明智の神ナブウの召使ひ給ふ文字の精靈共の恐しい力を,イシュディ・ナブよ,君はまだ知らぬと見えるな。文字の精共が,一度或る事柄を捉へて,之を己の姿で現すとなると,その事柄は最早,不滅の生命を得るのぢゃ。反對に,文字の精の力ある手に触れなかったものは,如何なるものも,その存在を失はねばならぬ。太古以來のアヌ・エンリルの書に書上げられてるない星は,何故に存在せぬか? それは,彼等がアヌ・エンリルの書に文字として載せられなかったからぢや。大マルズック星(木星)が天界の牧羊者(オリオン)の境を犯せば神々の怒が(くだ)るのも[19],月輪の上部に蝕が現れればアモオル人[20]が禍を蒙るのも,皆,古書に文字として誌されてあればこそぢゃ。古代スメリヤ人が馬といふ獣を知らなんだのも,彼等の間に馬といふ字が無かったからぢゃ。此の文字の精靈の力程恐しいものは無い。君やわしらが,文字を使って書きものをしとるなどと思ったら大間違ひ。わしらこそ彼等文字の精靈にこき使はれる下僕(しもべ)ぢゃ。しかし,又,彼等精靈の齎す害も随分ひどい。わしは今それに就いて研究中だが,君が今,歴史を誌した文字に疑を感じるやうになったのも,つまりは,君が文字に親しみ過ぎて,其の靈の毒氣に中ったためであらう。

   

若い歴史家は妙な顔をして歸って行った。老博士は尚暫く,文字の靈の害毒があの有爲な靑年をも害はうとしてゐることを悲しんだ。文字に親しみ過ぎて却って文字に疑を抱くことは,決して矛盾ではない。先日博士は生來の健啖に任せて羊の炙肉を殆ど一頭分も平らげたが,その後當分,生きた羊の顔を見るのも厭になったことがある。

   

靑年歴史家が歸ってから暫くして,ふと,ナブ・アヘ・エリバは,薄くなった縮れっ毛の頭を抑へて考へ込んだ。今日は,どうやら,わしは,あの靑年に向って,文字の靈の威力を讃美しはせなんだか? いまいましいことだ,と彼は舌打をした。わし迄が文字の靈にたぶらかされをるわ。

   

實際,もう大分前から,文字の靈が或る恐しい病を老博士の上に齎してゐたのである。それは彼が文字の靈の存在を確かめるために,一つの字を幾日もじっと睨み暮した時以來のことである。其の時,今迄一定の意味と音とを有ってゐたはずの字が,忽然と分解して,単なる直線どもの集りになって了ったことは前に言った通りだが,それ以來,それと同じ様なやうな現象が,文字以外のあらゆるものに就いても起るやうになった。彼が一軒の家をぢっと見てゐる中に,その家は,彼の眼と頭の中で,木材と石と煉瓦と漆喰との意味もない集合に化けて了ふ。之がどうして人間の住む所でなければならぬか,判らなくなる。人間の身體を見ても,其の通り。みんな意味の無い奇怪な形をした部分々々に分析されて了ふ。どうして,こんな恰好をしたものが,人間として通ってゐるのか,まるで理解できなくなる。眼に見えるものばかりではない。人間の日常の營み,凡ての習慣が,同じ奇體な分析病のために,全然今迄の意味を失って了った。最早,人間生活の凡ての根柢が疑はしいものに見える。ナブ・アヘ・エリバ博士は氣が違ひさうになって來た。文字の靈の研究を之以上續けては,しまひに共の靈のために生命をとられて了ふぞと思った。彼は怖くなって,早々に研究報告を纏め上げ,之をアシュル・バニ・アパル大王に獻じた。但し,中に,若干の政治的意見を加へたことは勿論である。武の國アッシリヤは,今や,見えざる文字の精靈のために,全く蝕まれて了った。しかも,之に氣付いてゐる者は殆ど無い。今にして文字への盲目的崇拝を改めずんば,後に臍を嚙むとも及ばぬであらう云々。

   

文字の靈が,此の讒謗者をただで置く譯が無い。ナブ・アヘ・エリバの報告は,いたく大王の御機嫌を損じた。ナブウ神の熱烈な讃仰者で當時第一流の文化人たる大王にして見れば,之は當然のことである。老博士は即日謹愼を命ぜられた。大王の幼時からの師傅(しふ)たるナブ・アヘ・エリバでなかったら,恐らく,生きながらの皮剥[21]に處せられたであらう。思はぬ御不興に愕然とした博士は,直ちに,之が奸譎な文字の靈の復讐であることを悟った。

   

しかし,まだ之だけではなかった。數日後ニネヹ・アルベラの地方を襲った大地震の時,博士は,たまたま自家の書庫の中にゐた。彼の家は古かったので壁が崩れ,書架が倒れた。夥しい書籍が——數百枚の重い粘土板が文字達の凄まじい呪の聲と共に此の讒謗者の上に落ちかゝり,彼は無慙(むざん)にも壓死した。     (完)

   

   

   

  (原文は,『文學界』 第二號, 昭和十七年二月一日発行, 138-151 (初出), 公益法人・日本近代文学館の好意によりコピー入。)

   

引用記事リスト

 

[Yasufiku 2001          

 (安福智行, 『中島敦「文字禍」論: その成立過程について』, 仏教大学京都語文 ( 07 ) 2001.05.11.

 

[Matsumura 1995]     

松村良,中島敦『古譚』: 〈声〉と〈文字〉をめぐって,学習院大学国語国文学会誌 (38), 76-85, 1995-03-15.

 

[Yamashita 2017]*     

山下真史, 『中島敦 「文字禍」の典拠詳解』, 中央大学国文 60, 13-26, 2017.

 

[Olmstead 1923]

A. T. Olmstead, History of Assyria, Charles Scribners & Sons, New York,  1923

 

[Jastrow, Jr 1915]

Morris Jastrow, Jr., The Civilization of Babylonia and Assyria, J. B. Lippincott Co., 1915

 

[van Ness Myers 1904]

Phillip van Ness Myers, Ancient History (2nd Revised Ed.), Gin and Co., 1904

 

[Breasted 1935]

James Henry Breasted, Ancient Times - A History of The Early World (2nd Revised Ed.), Gin and Co., 1935

 

[Budge 1901]

Sir Ernest Alfred Wallis Budge, Egyptian Magic, Kegan    Paul, Trench, Trubner & Co..London 1901

 

[Peloubet & Peloubet 1897]

D. D. Peloubet & M. A. Peloubet, Select notes - A commentary On the International lessons For 1897, W. A. Wilde and Company, Boston 1897

 

[KJV] 

King James Bible, https://www.kingjamesbibleonline.org/

    

  

  

参照文献およびノート


[1]怪物の名は中島の「ノート6」に書かれてゐる [Yasufuku 2001]。原典は,[Jastrow, Jr 1915, p.243].の以下の記述と推定される。“Rabisu, the one lying-in-wait; Labasu, overthrower; Lilu and the feminine Lititu, nightspirit; Etimmu, ghost or shade, suggesting an identification of some demons with the dead who return to plague the living, Namtar, pestilence, …”

[2] アシュル・バニ・パル王の在位は,669631BC。 然らば,第二十年目は 650BC

[3] アシュル・バニ・パル王の兄のアシュル・バニ・パル王は,668BC以来バビロンに君臨した。彼は648BCに謀反を企てたが,戦に敗れ,バビロンは陥落した。

[4] 原典は [Olmstead 1923, p.475] の以下のパラグラフと推定される。 “The fate of the citizens was terrible enough, and even those who had attempted to abandon the Babylonian prince in his last days were not received. They were carried off to Ashur to meet Ashur-bani-pal, and by the same sculptured bulls which had witnessed the assassination of Sennacherib, their tongues which had blasphemed the gods were cut out and they were deprived of life. The streets and public squares were choked by the bodies of those who had died of hunger and pestilence during the siege, and to them were added the slain in the sack of the city. There was great feasting for the wolves, vultures, and fish, for the dogs and swine which roamed the streets.

[5] [Olmstead 1923, p.587] に次の記述がある。 “Liver divination was the method of unveiling the future most in use at the Assyrian court. Throughout the whole world, at a certain stage of knowledge, the liver is conceived as the seat of the emotions, and the story of the last Assyrian century has shown how this belief survived side by side with the more familiar identification of this centre with the heart. While this belief was still dominant, Shumerian scholars had worked out an elaborate system of prediction based on the assumption that the future might be foretold by the most knowing part of the sacrificed sheep, the liver.

[6] [Olmstead 1923, p.386] に次の記述がある。“The education of Ashur-bani-pal began early. At birth Marduk granted him a wide-open ear, an all-embracing understanding; Nabu, scribe of the divine hierarchy, endowed him with his own wisdom; from Urta and Nergal he obtained virility and unequalled strength. As he grew older he came to need teachers who were a little less divine. Among these, his father picked Nabu-ahe-eriba.

[7] 著者は以下の記述を参照したと想像される。“Higher interests were also cultivated among the Assyrians, and literature flourished. Assurbanipal, grandson of Sennacherib, and the last great Assyrian emperor, boasts that his father instructed him not only in riding and shooting with bow and arrow but also in writing on clay tablets and in all the wisdom of his time. A great collection of twenty-two thousand clay tablets was discovered in Assurbanipals fallen library rooms at Nineveh, where they had been lying on the floor for twenty-five hundred years., [Breasted 1935, p.160]; Its fall was forever, and when two centuries later Xenophon and his ten thousand Greeks marched past the place, the Assyrian nation was but a vague tradition, and Nineveh, its great city, was a vast heap of rubbish as it is to-day. [Breasted 1935, p.163], and others.

[8] 以下の記述が参照されたと想像される。“Nabu was the god of wisdom, he was also the god of Borsippa …” [Olmstead 1923, p471]; Like all the other gods of Babylonia, Nabu starts on his career as a local patron. He belongs to the city of Borsippa, lying in such close proximity to Babylon on the west bank of the Euphrates as to become, with the extension of Babylon, almost a suburb of the latter. Writing is his invention communicated to mankind, …” [Jastrow, Jr 1915, p.218-219]

[9].「線」の意味は「線分(segment)」,正確には「楔形の線分(wedge)」であらう。但し英訳では segment を用ひるに留めた。

[10]由来は,新約聖書・使徒行傳第九章第17-19節(下線部分)。「17爰にアナニヤ徃きて其の家にいり,彼の上に手をおきて言ふ『兄弟サウロよ,主,即ち汝が來る途にて現れ給ひしイエス,われを遣し給へり。なんぢが再び見ることを得,かつ聖靈にて滿されん爲なり』 18直ちに彼の目より鱗のごときもの落ちて見ることを得,すなはち起きてバプテスマを受け, 19かつ食事して力づきたり。」ヨーロッパのキリスト教徒の國々でも,當然,此の比喩は使はれる。

[11] 現代の知識では,クルミミバエ(Rhagoletis complete)の幼虫(蛆)は未熟な果実の表面に産付けられた卵から生れ,細管を穿って内部に侵入する。著者は,ナブ・アへ・エリバ,または古代アッシリア人が斯く理解してゐたと想像して,「蛆虫ガ胡桃ノ固キ殻ヲ穿チテ,...」と書いたのであらう。[Olmstead 1923, p.587] によれば,スメリア人は,動物を「生き物」:人間,脊椎動物および鳥類,と「蛆の類」:魚類,眞の蛆虫およ他の下等動物に分類してゐた。彼等は斯様な下等動物は自然発生すると考へてゐたに相違ない。因みに,動物学の父とされるアリストテレス(384322 BC)ですら,「幾つかの生き物は非・生き物から自然発生する。例へば蛆虫は腐敗した肉から,...」と考へてゐた(例へば, Marshall, A. J. (ed), Parker, T. J. and Williams, W. D. (au), Textbook of Zoology: Invertebrates, MacMillan Education, 1972, p.1)。胡桃のシェルの硬化過程のついては,以下の文献を參照。Nannan Xiao, Peter Bock, Sebastian J. Antreich, Yannick Marc Staedler, Jürg Schönenberger and Notburga Gierlinger, "From the Soft to the Hard: Changes in Microchemistry During Cell Wall Maturation of Walnut Shells", Front. Plant Sci., 21 April 2020, https://doi.org/10.3389/fpls.2020.00466

[12] 著者は,[Budge 1901, p.217] の以下の記述を讀んでゐたと想像される。“The peculiar ideas which the Egyptians held about the composition of man greatly favoured the belief in apparitions and ghosts. According to them a man consisted of a physical body, a shadow, a double, a soul, a heart, a spirit called the Jehu, a power, a name, and a spiritual body. When the body died the shadow departed from it, and could only be brought back to it by the performance of a mystical ceremony; the double lived in the tomb with the body, and was there visited by the soul whose habitation was in heaven. …”

[13] ギルガメッシュ叙事詩は世界最古の文學であると見做されてゐる。前18世紀の所謂「オールド・バビロニアン・ヴァージョン」がコピーの形で現存するが,アシュルバニパル圖書館で発見された12枚の Tablet (粘土板)に書かれた叙事詩が「スタンダード」とされてゐる。ピル・ナピシュチムの洪水の話のあらすじは,筆者の理解する限り,以下の通りである。「偉大な神々は,ユーフラテス川のほとりのシュルッパク周辺の平原に洪水を引き起こすことに決めた。そのうちの一人, Ea は,ピルナピシュティム(ウトナピシュティム)へ計画を漏らし,家を破壊して箱舟を建造し,一族郎党ならびに野のすべての獣と動物をそこに入れるように命じた。恐ろしい嵐が来て,箱舟は氾濫した水の上に6日6夜漂流した。7日目に,箱舟はティグリス川とユーフラテス川の合流点近くのニムシュ山(ニシル山)に着陸しました。ピル・ナピシュチムは羊を生贄として捧げ,一行はそこに定住した。」この伝説は,「ノアの箱舟」のアッシリア・バージョンであるとの説がある。

[14] 筆者が文献を検索した限り,ナブ・アヘ・エリバより年長で,且つ優れた學者は見付からなかった。著者は,この登場人物ををナブ・アヘ・エリバのダブル(二重写し)として創造したのかも知れない。

[15] Tukulti-Ninurta I は,中古アッシリア時代,アッシリアを包囲して,当時の王, Kashtiliash II (c. 1261-1254 BC)を捕縛,.アッシリア王として,君臨した(c.12431207 BC)。

[16] 筆者は,[Jastrow, Jr 1915, p.443-462].が参照されたと想像する。

[17] The author might have been hinted by the descrition in [Olmstead 1923, p.412]:

著者は,[Olmstead 1923, p.412] の以下の記述をヒントにしたのかも知れない。“The crown prince, Ashur-bani-apal, has the fever, the god is angry because of the kings sin, let the king make his prayers of supplication in that day. The physician will make a substitute image in human form for the crown prince, with a view of thus deceiving Ereshkigal, the goddess of the dead. Shamash-shum-ukin, however, is well, he is in no need of medical attention.

[18] 下記の教へが, [Peloubet & Peloubet 1897] の日曜學校テキストにある。 “… In like manner, faith that is superficial, that is a mere belief of a creed or theory, so that it hath not works, the fruits that ought to come from faith, is dead, being alone. It dies as a seed that does not sprout, it has no issue beyond itself, it is dead in its very nature, as is proved by its not going out of itself. The author might have learnt this from one of his uncles, Kwanyoku () who was an Anglican priest, or himself. 著者は英國國教會神父の伯父(関翊)から習ったか,自習したのかも知れない。

[19] [Olmstead 1923, p.387] に次の記述がある。 “If Jupiter enters Orion, the gods will rage against the land. Nabu-ahe-eriba is said to have been an astronomer.

[20] アモオル人(the Amorite)はユーフラテス川の西側の地域(前3世紀までにシリアとなる)に定住した種族。聖書に,アモオル人はカナアンに住む山岳民族との記述がある(創世記 10:16).

[21] 生きたままでの皮剝ぎの刑は,[van Ness Myers 1904], [Jastrow, Jr 1915], [Olmstead 1923], [Breasted 1935] 他によれば,アッシリアでは普通に行われてゐたらしい。