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文學精讀:

木乃伊

    

中島敦

    

    

    

大キュロス [1]とカッサンダネとの息子, 波斯(ぺるしゃ)ンビュセス [2] が埃及に侵入した時のこと,その麾下の部將にバリスカスなる者があつた。父祖は,ずつと東方のバクトリヤ邊から來たものらしく,何時迄たっても都の風になじまぬ頗る陰鬱な田舎者である。何處か夢想的な所があり,その爲,相當な位置にゐたにも拘はらず,何時も人々の嘲笑を買ってゐた。

    

波斯軍がアラビヤを過ぎ,愈々埃及の地に入った頃 [3] から,このパリスカスの様子の異常さが朋輩や部下の注意を惹きはじめた。パリスカスは見慣れぬ周囲の風物を特別不思議さうな眼付で眺めては,何か落著かぬ不安げな表情で考へ込んでゐる。何か思出さうとしながら,どうしても思出せないらしく,いらいらしてゐる様子はっきり(・・・・)える。埃及軍の捕虜共が陣中に引張られて來た時,その中の或る者の話してゐる言葉が彼の耳に入った。暫く妙な顔をして,それに聞入つてゐた後,彼は,何だか彼等の言葉の意味が分るやうな氣がする,と,傍の者に言った。自分で其の言葉を話すことは出來ないが,彼等の話す言葉だけは,どうやら理解できるやうだ,といふのである。パリスカスは部下をやって,その捕虜が埃及人か,どうか(といふのは,埃及軍の大部分希臘(ぎりしゃ)その他の傭兵だったから)を尋ねさせた。たしかに埃及人だといふ返辭である。彼は又不安な表情をして考へに沈んだ。彼は今迄に一度も埃及に足を踏入れたこともなく,埃及人と交際をもったこともなかったのである。激しい最中(さなか)あっても,彼は,なほ,ぼんやりと考へこんでゐた。

    

敗れた埃及軍を追うて,古の白壁の都メムフィスに入城した時,パリスカスの沈鬱な興奮は更に著しくなった。癇病者の發作直前の様子を思はせることも屡々である。以前は嗤ってゐた朋輩達も少々氣味が惡くなって來た。メムフィス(まち)づれに建ってゐ方尖塔(オベリスク) [4] の前で,彼は其の表に彫られた繪畫風な文字を低い聲で讀んだ。そして,同僚達に,其の碑を建てた王の名と,その功業とを,矢張,低い聲で説明した。同僚の諸將は,皆,へんな氣持になって顔を見合せた。パリスカス自身も頗るへんな顔をしてゐた。誰も(パリスカス自身も),今迄バリスカスが埃及の歴史に通じてゐるとも,埃及文字が讀めるとも,聞いたことがなかったのである。

    

其の頃から,パリスカスの主人,カンビュセス王も次第に狂暴な癲癇の氣に犯され始めたやうである。彼は埃及王プサメニトスに牛の血を飲ませて,之を殺した [5] 。それだけで慊焉(あき)らず,今度は,半年前に崩じた先王アメシス [6] の屍を辱しめようと考へた。カンビュセスが含む所のあったのは,寧ろアメシス王の方だったからである [7]。彼は自ら一軍を率いて,アメシス王廟所(びょうしょ)あるサイス(まち)向った。サイスに着くと,彼は,故アメシス王の墓所を探出し,その屍を掘出して,己の前に持つて來るやう,一同に命令した。

    

かねて斯かる事のあるべきを期してゐたものと見え,アメシス王の墓所の所在は巧み(くら)されてゐた。波斯軍の将士はサイス市內外の多數の墓地を一つ一つ(あば)いて(あらた)て歩かねばならなかった。

    

さて,パリスカスも,此の墓所搜索隊の中に加はってゐた。他の連中は,埃及貴族の木乃伊と共に墓に納められた無數の寶石,装身具,調度類の掠奪に夢中になっていたが,パリスカスだけは,そんなものには目も呉れず,相變らず沈鬱な面持で,墓から墓へと歩き廻ってゐた。時々その暗い表情の何處かに,曇天の薄れ()やうな明るみが射しかけることもあるが,それは直ぐに消えて,又,元の落著のない暗さに戻って了ふ。心の中に,何か,或る,解けさうで解けないものが引掛つてゐるやうな風である。

    

搜索を始めてから何日目かの或る午後,パリスカスは,たった一人で,或る非常に古さうな地下の墓室の中に立ってゐた。何時,同僚や部下と,はぐれて了ったものか,この墓は(まち)どの方角に當るものか,それらは,まるで判らない [8] 。とにかく,何時もの夢想から醒めて,ひょいと氣が付いて見たら,たった一人で古い墓室の薄暗がりの中にゐた,といふより外はない。

    

眼が暗さに慣れるにつれ,中に散乱した彫像,器具の類や,周囲の浮彫,壁畫などが,ぼうっと眼前に浮上って來た。棺は蓋を取られたまゝ投出され,埴輪人形(ウシャブチ)が二つ三つ,傍にころがってゐる。既に他の波斯兵の掠奪にあった後であることは,一見して明らかである。古い埃のにほひが冷たく鼻を襲ふ。闇の奥から,大きな鷹頭神の立像が,硬い表情でこちらを覗いてゐる。近くの壁畫を見れば,豺や鰐や青鷺などの奇怪な動物の頭をつけた神々の憂鬱な行列である [9]。顔も胸もな(おお)きな(ウチャト)一つ,細長い足と手と()して,其の行列に加はってゐる。

    

パリスカスは殆ど無意識に足を運ばせて奥へ進んだ。五六步行くと,彼は躓いた。見ると,足許に木乃伊がころがってゐる。彼は,又殆ど何の考もなしに其の木乃伊を抱起して,神像の臺に立掛けた。數日來見飽きる程見て來た平凡な木乃伊である。彼は,その儘,行過ぎようとして,ふと其の木乃伊の顔を見た。途端に,冷熱いづれともつかぬものが,彼の脊筋を走った。木乃伊の顔に注いだ視線を,最早()すことが出來なくなった。彼は,磁石に吸寄せられたやうに凝乎(じつ)身動きもせず,その顔に見入った。

    

どれ程の長い間,彼は其處に,さうしてゐたらう。

    

その間に,彼の中に非常な變化が起ったやうな氣がした。彼の身體を作上げてゐる,あらゆる元素どもが,彼の皮膚の下で,物凄く丁度,後世の化學者が,試驗管の中で試みる實驗のやうに)泡立ち,煮えかへり,其の沸騰がけくして静まった後は,すっかり以前(もと)性質と變って了ったやうに思はれた。 [10]

    

彼は大變やすらかな気持になった。氣がつくと,埃及入國以來,氣になって仕方のなかったこと――朝になって思出さうとする昨夜の夢のやうに,解りさうでゐて,どうしても思出せなかったことが,今は實に,はっきり判るのである。なんだ。こんな事だったのか。彼は思はず聲に出して言った。「俺は,もと,此の木乃伊だつたんだよ。たしかに。」

    

パリスカスが此の言葉を口にした時,木乃伊が,心持,唇の隅をゆがめたやうに思はれた。何處から光が落ちて來るのか,木乃伊の顔の所だけ仄明るく浮上つてゐて,はっきり見えるのである。

    

今や,闇を劈く電光の一閃の中に,遠い過去の世の記憶が,(いち)どき蘇つて來た。彼の魂が會て,此の木乃伊に宿つてゐた時の様々な記憶が。砂地の灼けつくやうな陽の直射や,木蔭の微風のそよぎや,氾濫のあとの泥のにほひや,繁華な大通を行交ふ白衣の人々の姿や,沐浴のあとの香油の匂や,薄暗い神殿の奥に跪いた時の冷やかな石の感觸や,さうした生々しい感覺の記憶の群が忘却の淵から一時に蘇って,殺到して來た。

    

その頃,彼はプターの神殿の祭司ででもあったのだらうか。だらうか,と云ふのは,彼の會て見,觸れ,經驗した事物が今彼の眼前に蘇って來るだけで,その頃の彼自身の姿は一向に浮かんでこないからである。

    

ふと,自分が神前に捧げた犠牲の牡牛の,もの悲しい眼が,浮かんで来た。誰か,自分のよく知ってゐる人間の眼に似てゐるなと思ふ。さうだ。確かに,あの女だ。忽ち,一人の女の眼が,孔雀石の粉を薄くつけた顔が,ほっそりした身體つきが,彼馴染(なじみ)しぐさと共に懐かしい體臭効伴つて眼前に現れて來た。ああ懐かしい,と思ふ。それにしても夕暮(みずうみ)紅鶴の様な,何と寂しい女だらう。それは疑もなく,彼の妻だった女である。

    

不思議なことに,名前は,何一つ,人の名も所の名も物の名も,全然憶出せない。名の無い形と色と匂と動作とが,距離や時間の觀念の奇妙に倒錯した異常な静けさの中で,彼の前に忽ち現れ,忽ち消えて行く。

    

彼は最早木乃伊を見ない。魂が彼の身體を抜出して,木乃伊に入って了ったのであらうか。

    

又,一つの情景が現れる。自分(ひど)熱で床の上に寐てゐるらしい。傍には妻の心配さうな顔が覗いてゐる。その(うしろ)は,まだ誰やら老人らしいのや子供らしいのがゐる様子である。ひどく咽喉が渇く。手を動かすと,直ぐに妻が來て,水を飲ませてくれる。それから暫く,うとうとする。眼が覺めた時は,もうすっかり熱がひいてゐる。うす(・・)眼をあけて見ると,傍で妻が泣いてゐる。後で老人達も泣いてゐるやうだ。急に,雨雲の陰が湖の上を見る見る暗く染めて行くやうに,蒼い大き(かげ)自分の上にかぶさって來る。目の(くら)やうな下降感に思はず眼を閉ぢる。――――

    

其處で彼の過去の世の記憶は ぷつつり(・・・・)れてゐる。さて,それから幾百年間の意識の闇が續いたものか,再び氣が付いた時は,(即ち,それは今のことだが)一人の波斯の軍人として,(波斯人としての生活を數十年送った)(おのれ)會ての身體の木乃伊の前に立ってゐたのである。

    

奇怪な神秘の顯現に慄然としながら,今,彼の魂は,北國の冬の湖の氷のやうに極度に澄明に,極度に張りつめてゐる。それは尚も,埋沒した前世の記憶の底を凝視し續ける。其處には,深海の間に自ら光を放つ盲魚共のやうに,彼の過去の世の經驗の數々が音もなく眠ってゐるのである。

    

其の時,闇の底から,彼の魂の眼は,一つの奇怪な前世の己の姿を見付け出した。

    

前世の自分が,或る薄暗い小室の中で,一つの木乃伊と向ひ合って立ってゐる。をののきつつ,前世の自分は,其の木乃伊が前々世(おのれ)身體であることを確認せねばならない。今と同じやうな薄暗さ,うすら冷たさ,埃っぽいにほひ(・・・)中で,前世の己は,忽然と,前々世の己の生活を思出す......

    

彼はぞっとした。一體どうしたことだ。この恐ろしい一致は。(おそ)れずに尚仔細に観るならば,前世に喚起した,その前々世の記憶の中に,恐らくは,前々々世の己の同じ姿を見るのではなからうか。合せ鏡のやうに,無限に內に畳まれて行く不気味な記憶の連続が,無限に――目くるめくばかり無限に繰いてゐるのではないか?

    

パリスカスは,全身の膚に粟を生じて,逃出さうとする。しかし,彼の足は,すくんで了ふ。彼は,まだ木乃伊の顔から眼を離すことが出來ない。凍ったやうな姿勢で,琥珀色干涸(ひか)らびた身體に向ひあって立ってゐる。

    

翌日,他の部隊の波斯兵がパリスカスを發見した時,彼は固く木乃伊を抱いたまま,古墳の地下室に倒れてゐた。介抱されて漸く息をふき返しはしたが,最早,明らかな狂氣の徴候を見せて,あら譫言(うはごと)しゃべり出した。その言葉も,波斯語ではなくて,みんな埃及語だったといふことである。

    

(本文は,中島敦(著), 「光と風と夢」, 筑摩書房,昭和17年7月15日,初版に依る。)

    

    

參照文献および註釋


[1] History of Herodotus, Book II, の冒頭に次の記述がある。“On the death of Cyrus, Cambyses his son by Cassandané daughter of Pharnaspes took the kingdom.” (George Rawlinson, History of Herodotus Vol. II, .John Murray, London 1862. 以下[Rawlinson, Herodotus Vol. II, 1862], Chapter 1, p.1.) 大キュロス, またはキュロス II世 (在位 559–530 BC) アケメネス朝の祖で,最初のペルシャ帝国皇帝。メディア,リディア,ネオ・バビロニアを征服し,近東全域を支配した。

[2] カンビュセス II世, アケメネス朝第2代の王,在位 530-522 BC。エジプトを征服した。

[3] 525 BC.

[4] 古書にメンフィスのオベリスクに関する記録がある。

(1) “King Nectabanus, by others call'd Necho,Nectabanus. seven hundred and forty years before Christ, erected a great Obelisk at Memphis, which afterwards Ptolomeus Philadel∣phus removed to Alexandria, and placed in the Temple of Arsinoe. Most of all these Obelisks at several times by the Roman Emperors were brought out of Egypt to Rome. Lastly, the Persian King Cambyses, after the Conquest of Egypt, which happened in the Year of the World 3528. destroy'd all that remain'd.” In: An Accurate Description of Africa, by John Ogilby (1600-1676). https://quod.lib.umich.edu/e/eebo2/A70735.0001.001/1:8.3?rgn=div2;view=fulltext.

(2) “En 3300 , le Roi Nectabanus fit élever à Memphis un autre Obélisque, que Ptolomée Philadelphe fit transporter à Alexandrie dans le temple d'Arsinoé. Dans la suite des tems, les Obélisques furent si multipliés que presque tous les membres qui composent les principaux tribunaux du pays se sont vus forcés de fuire; le tribunal des échevins est désert; la chambre des comptes ne tient plus de séances; le Conseil - privé est absolument sans activité; (In 3300, King Nectabanus erected another obelisk in Memphis, which Prolomée Philadelphe had transported to Alexandria in the temple of Arsinoe. In the course of time, the Obelisks were so multiplied that almost all the members who compose the principal tribunals of the country were forced to flee; the court of aldermen is deserted;)” In: Histoire du diocèse et de la principauté de Liége (1724-1852) , by Joseph Daris 1872. https://www.google.co.jp/books/edition/Dictionnaire_d_architecture_civile_et_hy/HThISeLzp5IC?hl=ja&gbpv=1&dq=%22+Nectabanus%22+%22memphis%22+%22Ob%C3%A9lisque%22&pg=PA251&printsec=frontcover.

[5] History of Herodotus, Book II, に以下の記述がある。“He (Psammenitus or Psammetichus III) was discovered to be stirring up revolt in Egypt, wherefore Cambyses, when his guilt clearly appeared, compelled him to drink bull's blood, which presently caused his death. Such was the end of Psammenitus.” ([Rawlinson, Herodotus Vol. II, 1862], Chapter 15, p.343)

[6] History of Herodotus, Book II, に以下の記述がある。“He (Cambyses) entered the palace of Amasis, and straightway commanded that the body of the king should be brought forth from the sepulchre. When the attendants did according to his commandment, he further bade them scourge the body, and prick it with goads, and pluck the hair from it, and heap upon it all manner of insults.” ([Rawlinson, Herodotus Vol. II, 1862], Chapter 16, p.343)

[7] History of Herodotus, Book II, に依れば,理由は以下であった。 When Cambyses asked for the hand of Amasis’s daughter, Amasis suspected she would be received as a concubine, not as the wife. Then, he sent Nitêtis, the daughter of his predecessor, Apries, whom he rebelled against and killed. Sometime later, Cambyses learnt the truth from Nitêtis and became angry. ([Rawlinson, Herodotus Vol. II, 1862], Chapter 1, p.331)

[8] 著者は墓の構造のイメージを下の図から得たのかも知れない。

 

トトメス4世の墓の平面図および断面図。所在: Howard Carter and Percy E. Newberry, The Tomb of Thoutmosis IV, Archibald Constable & CO., Westminster, 1904. p. XXVIII。

[9] 著者は壁画のイメージを下の絵から得たのかも知れない。

 

トトメス4世の墓の前室壁画。所在: Howard Carter and Percy E. Newberry, The Tomb of Thoutmosis IV, Archibald Constable & CO., Westminster, 1904。詳細および他の関連画像は“Reference Images” のページを参照!

[10] これ,および以下のパラグラフについては “イントロダクション”参照!