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果心居士

       

ヘルン(著),田部隆次(譯)『旅の宿の夜話』,養徳社,奈良, 1948, p.82 - 91

       

       

       

天正年間,京都の北の方の町に,果心居士と云ふ老人がゐた。長い白い髪をはやして,いつも神官のやうな服装をしてゐたが,實は佛畫を見せて佛教を説いて生活を営んでゐたのであった。晴天の日にはいつ祇園(ぎをん)祠の境内で,木に大きな掛物をかけるのが習慣であつた,それは地獄變相の圖であつた。この掛物はそれに描いてある物が悉く眞に迫つて巧妙にできてゐた。そして老人はそれを見に集まって來た人々に見せて,携へてゐ如意(にょい)もつて色々責苦(せめく)詳しく説き示し,凡ての人に佛の教に從ふやうに勸めて,因果應報の理を説いてゐた。その繪を見て,それについて老人の説教するのを聞くために,人が群をなして集まった。そして喜捨を受けるためにその前に敷いてあるむしろは,そこへ投げられた貨幣の山で,表面が見えない程であった。

       

その當時,織田信長が畿內を治めてゐた。彼の侍臣荒川某,祇園の祠へ參詣の途中,偶然そこで その掛物を見て,あとで殿中に歸つてその話をした。信長は荒川の話を聞いて興味を感じ,直ちに果心居士に幅を携へて參上するやうに命じた。

       

掛物を開いた時,信長はその眞に迫れる繪を見て驚きの色を隠すことはできなかつた。獄卒及び罪人は實際彼の眼前に動くやうであった。そして彼は繪の中から叫號の聲を聞いた。そしてそこに描いてある鮮血は實際流れて居るやうであつた。­── それで彼は,その繪が濡れて居るのではない かと指を觸れて見ないわけに行かなかつた。しかし指は汚れなかつた。── 卽ち紙は全く乾いて居るからであつた。益々驚いて信長はこの不思議な繪の筆者を尋ねた。果心居士はそれに對して,それは名高い小栗宗丹が,── 靈感を得んがために淸水の觀世音に熱心に祈り,百日の間毎日齋戒(さいかい)行ったあとで,── 描いた事を答へた。

       

その掛物をたしかに信長所望(しょもう)て居る事を見て,荒川はその時果心居士にその幅を信長公に獻上してはどうかと尋ねた。しかし老人は大膽に答へた。── 「この繪は私のもつて居る唯一の寶で,それを人に見せて少し金を儲ける事ができるのです。今この繪を信長公に獻上すれば,私の生計の唯一の方法がなくなります。しかし,信長公が是非お望みとあれば,黄金壹百兩を頂きたい,それだけのお金で,私は何か利益のある商賣でも始めませう。さうでないと,繪はさし上げられません」。

       

信長はこの答を聞いて,喜ばないやうであつた,そして黙つてゐた。荒川はやがて何か公の耳にささやいたが公は承諾したやうにうなづいた。それから果心居士は少しのお金を賜はって,御前から引き下がった。

       

しかし,老人が屋敷を離れると,荒川はひそかに跡を追った。── 奸計(かんけい)もつてその繪を奪ひ取るべき機會を得ようとしたのであつた。その機會は來た。果心居士は郊外の山の方へ直ちに通ず(みち)偶然さしかかつたからであつた。彼が山の麓の或る淋しい場所に達した時,彼は荒川に捕へられた。荒川は彼に言った。── 「その幅に対して黄金百兩(むさぼ)のは何と云ふ慾張りだらう。黄金 百兩の代りに,三尺の鐵の一片をやる」それから荒川は剣を扱いて老人を殺して,幅を奪つた。

       

翌日荒川は掛物を ── 果心居士が信長の邸を退出する前に包んだ通りのままで,信長に獻上した, 信長は直ちにそれを開いて掛ける事を命じた。しかし開いて見ると,信長も彼の侍も二人とも,繪は全く無い,ただ白紙だけである事を見て驚くばかりであつた。荒川はどうして,もとの繪が消え失せたか証明ができなかった。そして彼は ── 知ってか或は知らないでか ── 主人を欺いた事について罪があるので,處罰されるときまった。それで彼は長い閉門(へいもん)蟄居(ちっきょ)命ぜられた。

       

荒川の閉門の時期が終らないうちに,果心居士が北野の祠の境内にその名高い繪を見せて居ると云ふ知らせがあつた。荒川は殆んどその耳を信ずる事ができなかつた。しかしその知らせを聞いて,彼の心にどうにかしてその掛物を奪って,それで先頃の失策を償ふ事ができさうな望みが湧いて來た。そこで彼は急いで從者の幾人かを集めて,祠に急いだ。かし彼がそこに達した時に,彼は果心居士が去ってしまったことを知った。

       

幾日か後に,果心居士がその繪を淸水堂で見せて,夥しい群集に對して,それについて説教して居る事が知れて來た。荒川は大急ぎで淸水へ行った。しかし,そこに着いた時,群集は丁度散つて 居るところであつた。卽ち果心居士は再び消えて,ゐなかったのであつた。

       

たうとう或る日の事,荒川は思ひがけなく或る酒店で果心居士を認めて,そこで彼を捕へた。老人は自分の捕へられたのを見て,機嫌よくただ笑ふだけであった。そして云った。 ── 「一緒に行つて上げるが,少し酒を飲むまでお待ちなさい」。この要求には,荒川異存(いぞん)なかつた,そこで果 心居士は十二の大杯を飲みつくして,觀て居る人々を驚かした。十二杯目を飲んでから少し滿足したと云った。それから荒川は彼を縄でしばることを命じて,信長の邸へ連れて行つた。

       

邸の取調所で,果心居士は,直ちに奉行の取調を受けた。そして嚴しく責められた。最後に奉行は彼に言った。── 「お前は魔術で人を欺いてゐた事はたしかだ。その罪だけでも,お前は嚴罰に値する。しかしもしお前がその繪を信長公に恭しく獻上すれば,今度罪は大目に見てやる。さもなければ,必ず嚴罰に處することにする」。

       

威嚇(いかく)聞いて果心居士は困つたやうな笑ひ方をした。 ── 「人を欺くやうな罪を犯したのは私ではない」。それから,荒川に向つて,彼は叫んだ。 ── 「お前こそうそつきだ。お前は繪をさし上げて信長公に諂はうとした。そしてそれを盗むために私を殺さうとした。罪と云ったら,これ程の罪はどこにあるか。幸にして,お前は私を殺す事はできなかった,しかし,お前が望み通り私を殺したらその行ひに對してどんな辯解ができるか。とにかく,繪を盗んだのはお前だ。私のもつて居る繪はただの寫しだ。お前が繪を盗んでから,信長公に獻上する事がいやになつたので,その秘密の行ひや目的をかくさうと,その罪を私に着せて,私が本物の繪を白紙の掛物と取替へたと云つて居るのだ。どこに本物の繪があるか私は知らない。多分お前は知って居るのだらう」。

       

かう云はれて,荒川は怒りの餘り,騙け寄つて,果心居士を打たうとしたが,番人等に遮られて果さなかつた。しかしこの不意の怒りの爆發は,奉行に荒川が全く無罪ではあるまいと思はせることになった。暫く,果心居士を獄に下してから,奉行は荒川を嚴しく調べにかかつた。ところで荒川は元訥辯(とつべん)あつたが,この場合,殊に興奮の餘り,殆んど云ふ事ができないで,吃ったり,つじつまの合はないことを言ったりして,どうしても罪のありさうな様子を示した。そこで奉行は,荒川を打つて白状させるやうに命じた。しかし事實の白狀らしい事も彼にはできさうになかった。そこで彼は鞭で打たれて,感覺を失って,死人のやうになつて倒れた。

       

果心居士は獄にゐて,荒川のことを聞いて笑った。しかし暫く經つてから,彼は獄吏に向つて云った。── 「あの荒川と云ふ奴は全く姦邪の振舞をしたので,私(わざ)この罰を與へて,彼の惡い心根を懲らしてやらうとしたのだ。しかし,荒川は事實を知らないに相違ないから,それで私はよく分るやうに一切のことを説明しますと奉行に傳へてくれ」。

       

それから果心居士は再び奉行の前に連れられて,つぎのやうな宣言をした。── 「本當に優れた繪なら,どんな繪にも魂がある,そして,そんな繪には自分の意志があるから,自分に生命を與へてくれた人から,或は又正しい所有者から離れることを好まないことがある。眞の繪には魂があることを證明するやうな話が澤山ある。昔,法眼元信が襖に描いた雀が何羽か飛んで行つて,そのあとが空になった事はよく知られて居る。掛物に描いてある馬が毎夜草を喰ひに出かけた事もよく知ら れて居る。ところで,今の場合では,事實はかうだと私は信する。卽ち信長公は私の掛物の正當の所有者ではなかつたから,繪が信長公の面前で開かれた時,紙の上から自分で消えたのであらう。しかし,もし私が初めに云った通りの値段,── 卽ち黄金壹百兩をお出しになれば,その時は私の考では,繪はひとりで今白紙になつて居るところへ現れませう。とにかく,やって見てはどうです。少し危い事はない。── 繪が現れなければ金は直ちに返すまでのことだから。

       

こんな妙な斷言を聞いたので,信長は百兩支拂ふ事を命じて,その結果を見るために親しく臨席した。それから掛物は彼の前で開かれた,。そして列席者一同の驚いたことには,その繪は,悉く詳細に現れた。しかし色が少しさめて,亡者と獄卒の形が,前のやうに生きて居るやうではなかっ た。この相違を見て,信長公は果心居士に向つて,その理由を説明するやうに求めた。そこで果心居士は答へた。── 「初めて御覧になつた繪の價値は,どんな値もつけられない程の價値でした。しかし御覧になつて居る繪の價値は,丁度お拂ひの金額 ── 即ち黄金壹百兩を表はして居ります。...... 外に仕方がどざいません」との答を聞いて列席の人々は,もうとれ以上との老人に反對することは到底無効であることを感じた。彼は直ちに赦された。そして荒川も亦赦された。彼の受け た罰によつて彼の罪は十二分に償はれたからであった。

       

ところで,荒川に武一と云ふ弟がゐたが, やはり信長公の侍であった。武一は荒川が打たれて獄に入れられたのを非常に怒つて,果心居士を殺さうと決心した。果心居士は再び放免されるや否や,酒屋へ行って酒を命じた。武一はそのあとから店に入って,彼を斬り倒し,首を切り落した。 それから老人に拂はれた百兩を取って,武一は首と金とを一緒に風呂敷に包んで,荒川に見せるために家に急いだ。しかし彼が包みを解いて見ると首と思つたのは空の酒徳利で,黄金は土塊であっ た。......それから間もなく,首のない體は酒屋から歩き出して,── どこへだか,いつだか誰も知らないが,── 消え失せた事を聞いて,この兄弟は益々驚くばかりであつた。

       

一月ばかり後まで,果心居士の事は知られなかった。その頃になつて,信長公の邸前で,遠雷のやうな 大鼾 ( おおいびき ) をして寢て居る一人の泥酔者があつた。一人の侍が,その泥酔者は即ち果心居士である事を發見した。この無禮な犯罪のために,老人は直ちに捕へられて牢に入れられた。それでも眼をさまさない,そして生で彼は十日十晚間斷なく眠り續けた。── その間たえずその高鼾が餘程遠くまで聞えた。

       

この頃に,信長公は部下の一人明智光秀に弑せられ,光秀が政權を取った。しかし光秀の天下は 十日しか續かなかつた。

       

ところで,光秀が京都の主權者になった時,彼は果心居士の事を聞いた。それから命じて,その囚人を彼の前に出させた。そこで果心居士は新らしい君主の面前に呼ばれた。しかし光秀は彼に丁理な言葉をかけて,賓客として待遇し,そして立派饗應(きょうおう)するやうに命じた。老人に御馳走をしてから,光秀は彼に言った。── 「聞くところによれば,先生は大層お酒がお好きださうです。── 一度にどれ程めし上りますか」。果心居士は答へた。── 「量はよくは知らんが,酔へば止めます」。そこで光秀公は果心居士の前に大盃を置いて,侍臣に命じて老人の飲めるだけ,幾度となく,酒を注がせた。そこで果心居士は,續いて度大盃を飲み干して,さらに求めたが,家來は酒が盡きた事を答へた。列席の人々で,この酒豪ぶりに驚かない者はなかつた。そこで光秀公は果心居士に尋ねた。「先生,未だ不足ですか」。「はい,少し満足しました」。果心居士は答へた。── 「ところで御親切の御返體として,私の技を少し御覧に入れませう。どうかその屛風を見てゐて下さい」。彼は大きな八曲屛風を指した。それには近江八景が描いてあった。そのうちの一つに,湖上遙かに舟を漕いで居る人があった。── その舟は,屛風の表面では,長さ一寸にも足りなかつた。果心居士は舟の方へ手をあげて招いた。すると舟が突然向き直って,繪の前面の方へ動き出すのが見えた。近づくに随つて段々大きくなつた。そして船頭の顔つきが,はつきり認められるやうになつて來た。やはり次第に舟が近くなつて來た。── 段々大きくなって,── たうとうそれが近くに見えて來た。それから突然,湖水が溢れて來るやうであつた,。── 繪から,部屋へ,そして部屋は洪水になった。そして水が膝の上まで達したので見物人は急いですそをからげた。同時に舟が,── 本當の漁船が,── 屏風の中から,滑り出るやうであつた。── そして一丁の艪の軋る音が聞えた。やはり部屋の洪水は増す一方であったので,見物人は帶まで水に浸って立つてゐた。それから舟は果心居士のととろへ近づいて來た。そして果心居士はその舟に上った。そこで船頭はふりかへつて,急ぎ漕ぎ去らうとした。それから舟が退いた時,部屋の水は急に低くなって,── 屛風の中へ退くやうであつた。舟が繪の前面と思はれるところを通過するや否や,部屋は再び乾いた。しかし,やはり繪の中舟は,繪の中の水の上を滑るやうであった。── 段々寒くへ退いて,段々小さくなつて行つて, たうとう最後に沖の中の一點となつて小さくなつた。それから,それは全く見えなくなった。そして果心居士はそれと共に消えた。彼は再び日本には現れなかった。

       

「本雜録」より。石川晦鴻齋の「夜盗鬼談」の「果心居士」による。 (編者)