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文學精讀

“A Tradition of Eighteen Hundred and Four” by Thomas Hardy (1882)

『千八百四年の言ひ傳へ』 トーマス・ハーディ著 (1882)

    

翻譯者によるイントロダクション

    

    

トーマス・ハーディの “Life's Little Ironies and A Few Crusted Characters (Macmillan, 1925)”の目次の中,“A Tradition of Eighteen Hundred and Four” (1882年作)といふ特異なタイトルが目に留りました。最初の2,3ページを走り讀みし,この小説に書かれてゐるのはナポレオン戰爭中のエピソード,具体的には英國海峽沿ひのイギリス領土がフランス軍によって脅かされた時の話で,老いた退役軍人が語った話であることを知りました。

    

私の高等學校(新制學校)のカリキュラムでは,「世界史」は第3学年にが割り振られてゐました。教科書は何處でも同じであるやうに四大文明から始まりました。先生は大學で専攻した古代エジプトについて熱心に講義し、第一学期(4月-7月)のほぼすべてが費されました。従って,第2學期(9月-12月)と第3學期(1-3)の前半には, 3月に予定されていた大學入試に出る可能性のあるトピックスに焦点が絞られ,教科書の他の部分は斜めに独び飛ばされる羽目になりました。

    

ナポレオン戰爭中の英佛關係については,トラファルガーの海戰(1805),ワーテルローの戰ひ(1815),ならびにそれぞれを指揮したネルソン提督とウェリントン公爵の名前が強調され,他の詳細は省かれました。

    

高校終了の10年後,ポスドクトラル・フェローとしてイングランド南東部コルチェスターのエセックス大学に滯在中,第二次世界大戰時に,英國が大陸からの侵略を懸念したことを知りました。それは,友人が私をエセックス州の海濱の町 Clacton-on-Sea に連れて行き,Martello Tower と呼ばれる円の防御砲塔を見せてくれた折のことでありましたが,彼はそれらの砲塔が元々のナポレオン戰爭中に建設されたものであることは話してくれませんでした。エキゾチックな Martello の語が,語源的に,1794年,イギリス軍がコルシカ島に遠征したとき,攻略困難であったとされる Cape Mortella の円形砲塔に因むと知ったのはつい最近のことでした。

    

A Tradition of Eighteen Hundred and Four” の全ページを讀み終へて,この小説は數多のトーマス・ハーディの作品の中で非常にユニークであり,且つ興味ある作品であるという印象を受けました。登場人物は少數で,“I” で代表されるジョブ叔父さん,彼の叔父であるソロモン・セルビー爺さん,ナポレオン・ボナパルトと彼の部下の將校のみ,物語は “I” が見たり、聞いたり,考へたりしたことをナレーション調で綴ったものでした。 これは “To please his wife”, Tess of the d'Urbervilles” を含むハ-ディーの他の作品で登場人物,特に女性の心の綾が如實に描写されてゐるのと極めて對象的でありました。

    

小説の筋から離れて,イギリス海峽の海底にトンネルを通す可能性が,この小説の冒頭の節に書かれてゐる如く,19世紀後半に議論されてゐたことは注目するに値します。左様な發想はナポレオン戰爭の時に描かれ得たらしく,1803年作,Divers Projets sur la descente en Angleterre (トンネルと風船に依ってイギリスを侵略する計画)と題する畫家不明の風刺画に示されてゐます(“View reference images” の Figure 7 參照)。これは,計畫がユーロトンネルの建設(1994年)によって實現する略々二百年も前のことであります。

    

この小説の日本語訳は,森村豊・大宮健太郎(著)『ハアデイ短篇全集_第1輯』,森田書店 1926 に既に存在しますが,本記事の翻譯は私によってなされた新版であります。

    

2021年12月