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圍碁文化論

 

日時: 2004/09/06

名前: Old Parr

 

年前より「碁界評論」をば繁く拝見,最近に至りてあまたの客人見るは同慶に耐へねど,管理人殿,日本圍碁界に一文字苗字の族滔るを嘆き,此れをば世界化の美名借りて稱へる輩共の楚歌をば依然四面に聞く如し,加勢と參らぬも拙き一小論を獻上致し度し。

 

單刀直入乍ら外國人容認派に缺けたるは,圍碁なるもの日本にて育まれし文化なりと言ふ視點ならんや。其の発祥,古代の印度なりしか支那なりしかいさ知らず,爛柯の遊戯,日本に渡來せしのち高尚なる棋道に發展せり。江戸の昔,大名に抱へられし碁打の衆,武士に倣ひて伎藝研鑚に勤み,彼等「棋士」と呼稱されるに至れり。

 

御維新ありて彼等路頭に迷ふを餘儀なきに陥りしが,大正期,大倉男爵なる大庇護者得て棋道甦れり。戰後,日本が傳統社會破壊されしと雖も,一時期は新聞社支援の役目擔へり。昭和期の棋士面々,棋理をば創意工夫の中に追求せり。呉清源・木谷實が新布石,岩本薫が豆撒き碁,高川格が一間飛び,かみそり坂田榮男,林海峰が二枚腰,コンピューター石田芳夫等々ありき,されど斯かる求道者,宇宙流武宮正樹が後に無かる可し。彼等,亦,美をば尊べり。相手は對局者に非ずして碁盤なりと宣ふて石置きし梶原武雄,相手失着にて勝利するを潔からずとて投了せし山部俊郎,寄せ半ば半目負を讀切りて終局求めし大竹英雄等あり,我等大衆,彼等が至心に陶酔せしものなり。

 

凡そ文化と呼ばるるもの王侯貴族,将又,富豪に依りて育成されし歴史あり,焉んぞ所謂民主主義が下に斯かるパトロンを求め得んや。平成に至り,棋院,名ばかりのアマ高段位をば高額にて鬻ぐに留まらず,マスメディア多様化に便乘せし風情にて新棋戰無闇に作りてスポンサー(パトロンに非ず)收入をば計り,果ては傳統的タイトルが値打は疎か,プロが段位の権威をも自ら破壊せしめたり。「棋道」をば謳う機關紙廢刊されしが,武士道に學びし棋道其のもの亦いづこ,「碁ワールド」が名に象徴される如く,日本文化解せぬ外國人碁打(棋士に非ず。語弊あらば go player)野放途に受容れ,圍碁をば骰子並の勝負事に堕落せしめし責め,棋院自ら負ふ可からむ。駄目詰め段階に於る逆轉,必至の應手を強ひる封じ手申すに及ばず,素人なりとも投了せん展開が局をば相手の倦怠するを俟って勝利する如き打碁,全く以って鑑賞に値するなく,美を好む日本國民,顰蹙するばかりなり。日本人若手棋士よ奮起す可しと矢鱈に言ふも,相手が相手なれば彼等戸惑ふばかりに相違なし。最近稀有の名勝負たりと賞さしれ山下・羽根が棋聖戰,その心,先學の感性をば知る日本人同士が對局なりし故ならん。

 

圍碁界が現状,所轄官廳たる文部科学省が等閑に一因ある可し。棋院が寄付行爲,外國人在籍をば如何に規定せるや,亦,彼等が在住,如何なる法的根據に依りて保証されをりしや,とまれ日本國に在らん財團法人に於て無制限ならざる可し。棋院にて碁を生業とする人,圍碁をば本來の棋道に復歸せしめ國民の喝采をば呼戻すに専念,財政援助をば國に求め,運營をば他者に委ねる可からむ。棋院が經費如き國家豫算に照らさば些少の額にて足れり,賢き經營者得たれば新事業をば外國に賣渡す如き過ち勿る可し。若者が伎倆の向上願はば,先に無憂の環境整へること普遍の定石なり,範例,時恰もアテネ五輪で復活せし柔道,體操他のスポーツ界に見る可し(文中敬稱略)。

 

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棋院機關誌

日時: 2005/04/17

名前: Old Parr

 

「月刊碁ワールド」新着五月號の表紙をば看るに特記有るは過日戰はれし斯界最高棋戰たる「棋聖戰」勝負結果に非ず,號違ひかと訝りて頁繰ること十數度,漸く辿着きし記事に再び己が目を疑へり。掲げられたる大判の肖像,敗者ならん結城聡氏のものにして,勝者ならん羽根直樹氏のものに非ず。次に現しは結城氏署名の感想文,記者が求めに應ぜしものならん,敗軍の將,古の作法知らずしてか,兵を語ること三頁に亙る。記事眞髄たるべき最終二局が解説,此れ又結城氏に依るものなり。改めて表紙捲りて見開を見るに,其処に羽根氏が寫眞あり,然れど梗概冒頭は結城氏が無念の記述なり。該雑誌,日本棋院の機誌ならん。然るに他棋院所属にして敗者たる結城氏を立て,己が所属棋院の勝者たる羽根氏をば輕んぜし編輯感覺,甚だ解し兼ねると申さざるを得ぬ。

 

巻頭記事なる「LG杯五番勝負第1局」,此れ外國企業主催棋戰にて對戰者は在日臺灣人と支那人なり。編輯人氏,誌名が「碁ワールド」の面目躍如とでも悦に入りをるや,己が奉ずる機關,日本國財團法人にして,購讀者殆ど日本人たる事をば忘却せし如く見ゆ。記事内容たるや件の如く小松英樹氏圍む検討會の速記録にして冗長たること甚し,其の分量たるや廣告除く冊子全體の一割餘,十四頁を數ふ。話し言葉は耳で聞く可きものにして,目で追ふは苦労なり。況や其の語り口,技倆恰も對局者に優ると錯覺せる者の言の如くあり,加へて私語,駄洒落,合槌の類其処此処に鏤められたれば不快すら覺ゆ。

 

翻りて目次に目を遣れば,相も變らず様々の書體の文字大小,記事の順序と無關係に亂雜に配置されをり。項目を概觀するに,低段棋士に依る初心者向け指南あり,文筆素人の随筆あり,面白くも有らぬ漫画あり,将又津々浦々の碁會催事案内に至る迄盛澤山,老若男女の讀者銘々に阿る編成意圖,評判宜しからぬ日本放送協會が番組と選ぶところなし。往年の棋道が誇りし格調高き記事今何処,僅か福井正明氏の古碁への造詣,呉清源氏の厭くなき研究心にその残影を見るに過ぎぬ。

 

畢竟,機關誌たるもの其の體を表すと申す可し。

 

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阿蘭陀通信

日時: 2005/06/15

名前: Old Parr

 

愚生,五月初より阿蘭陀國E工科大學客分の身にありて,先々週,愚息が會社同僚にして嘗て東京に在住,日本名,西館治朗を名乘る G. H. 氏をL市に訪ぬ。案内されたるは城砦邊の酒場の片隅,數名の仲間が麥酒片手に觀覽する中で,早速手合せを願ふ。歐州圍碁選手権歴戰の強者と聞き及びたりて,敬意を表して二子を置きて開戰,序盤から強手の連發を受くるも能く其に耐へ,中盤にして相手石の一群を制して勝利せしは正に僥倖と申すべし。

 

E市にも圍碁倶樂部ありと知らされ,大學内の部員に聨絡取りて,翌週月曜日の夕べ,都心の喧騷を隔つ住宅街の酒場サロンに設けられたる集會場に赴く。例會の日たりて三十名に滿たん老若男女あり,十數面の盤を挾んで對戰せる樣,壯觀たり。E市最強者四段と聞きて向ふ二子で對戰試みしが,初戰は見事に敗退せり。他に段位を稱へる者數名ありしが,本邦巷の格付けより少なくとも一乃至二階級控へ目と見たり。

 

痛く感心せしは彼等が對局態度なり。少年に至るも姿勢端正にして徒口吐かず,劣勢にして戰局好轉の見込みなしと見るや潔く頭を垂れる氣品,騎士道の傳統ならんや。棋道,武士道に通ずべし。本來の棋道を異國に見たる思ひに浸りしは,甚だ皮肉と申すべし。